「将軍にだけはなりたくない」幕臣たちが語った徳川将軍の過酷すぎる日常
現代人はとにかく忙しい。
コロナ禍を経てオンライン会議が定着して以降、会議室を押さえなくても気軽に会議ができるようになってしまったため更に忙しくなった気がする。
筆者に限らず、30分刻みで会議の予定が入っている人は相当数いるものと思われる。
それに比べて昔はもっと大らかだった、と言いたいところだが、昔の人もどうやら忙しい人は1時間単位のスケジュールで動いていたようだ。
その有名な例が徳川将軍である。
江戸時代の名も無き人の日常生活となると、幕末の下級武士だった尾崎石城の日記がその克明な記録として現代に残っているが、同時代のトップがどのような日常生活を送っていたのかも勿論記録がある。
竹本要斎(正明)は幕末の幕臣で、小姓頭取や御側御用取次、外国奉行などを務めた人物である。家慶から慶喜まで4代の将軍に仕え、将軍の日常や幕府中枢の実情を間近で見ていた。
徳川将軍には政務を行う「表」と、日常生活や大奥に代表される「奥向き」の世界があるが、要斎の証言が収められた『旧事諮問録』の「御側御用取次・外国奉行の事」は、将軍の「表」寄りの克明な記録である。(大奥は男子禁制のため要斎も直接は見ていない)
「公方様にだけはなりたくない」
要斎の証言には、同僚たちと冗談まじりに「公方様(将軍)にだけはなりたくない」と話していた、というものがある。
要斎によると、将軍は1日の間に下記のようなスケジュールで動いていたようだ
・6時起床
・7時~8時 うがい、洗顔、月代、髭剃り、健康診断
・8時~9時 朝食
・9時~10時 大奥に行き、位牌に拝礼・御台所(正妻)に対面する「朝の総触」
・10時~12時 学問の講義、乗馬、剣術、昼食
・12時~14時 政務
・14時~15時 大奥に行く
・15時~17時 自由時間(政務の無い場合)
・17時~18時 入浴・夕食
・18時~20時 自由時間
・20時~21時 大奥に行き「夜の総触」
・21時~22時 就寝
自由時間こそあるものの、将軍の生活リズムは決まって(というか決められて)おり、6時から22時まで一日中、行動の自由度は著しく低かった。
朝も夜も決められた合図で起床・就寝するため、夜更かしも寝坊もできない。
自由時間中も身の回りの世話をする要斎たち小姓がついており、小姓たちが晩酌、将棋の相手、雑談などに対応することもあったようだ。
入浴時は小姓たちが服を脱がせ、湯殿係が将軍の体を洗うなど、ほぼ常に誰かが付いており、プライバシーはあまりなかったようだ。
大奥に行く夜の生活も世継ぎを生んでもらうための将軍の仕事であり、こちらにも公の側面がある。
そういった意味では将軍にはプライベートもプライバシーも制限されていたと言えるだろう。
「忙しい」以上に「自由がない」生活であり「公方様だけにはなりたくない」と要斎たちが冗談で言い合うのも解る。
12時~14時は将軍の表の姿である政務の時間だが、政務の内容には下記のようなものが含まれた。
・政治向けの重要なお触れ
・幕閣の人事や相続
・諸大名の相続
・死刑や流刑などの重罪の判決
また、要斎が生きた幕末の徳川将軍は、開国要求に伴う外交と尊王攘夷運動による朝廷との関係調整で心労が絶えなかったようだ。
大変な時期だったため、政務は2,3時間では終わらず夜まで続く場合もあった。
15時~17時は「自由時間」だが、あくまで政務がない場合で、夜の時間帯まで政務に追われることもあったという。
大規模な年中行事
これに加えて、年中行事もあった。
幕府の行事には将軍宣下(征夷大将軍職に任ずる儀式)、武家諸法度発布など、一代に一度限りの行事の他に、正月の「年始の礼式」から年末の「歳暮」に至るまでほぼ一年中、毎月何かしらの年中行事があったようだ。
その中でも特に大規模だったのが、江戸城で行われる年始の礼式である。
年始の礼式は元日から三が日まで3日がかりで行われた。
元日は御三家・御三卿、譜代大名、2日は御三家・御三卿の嫡子、外様大名、布衣の旗本(上級の旗本)が参賀した。
最終日の3日は無官の大名、御用達町人(幕府出入りの商人・職人)が参賀し、幕府の重要書類作成を開始する「判始」が行われた。今で言う仕事始めのようなものだろうか。
参賀の様子だが、500畳ほどもある大広間で何百名もの旗本衆が将軍に謁見し、挨拶が行われたとのことだ。
何百人もの者が一斉に平伏する姿は壮観だったようだが、これほど大規模な儀式は挨拶を受ける側も重労働だったことが想像される。
将軍でいることは傍から見ても大変だったのだろう。
参考:
江戸文化歴史検定協会『江戸文化歴史検定公式テキスト中級編 江戸諸国萬案内』
松尾美恵子「将軍家奥向きの経済―御用取次見習の記録から―」
『東京都江戸東京博物館研究報告』第14号(2008年)他
文 / ニコ・トスカーニ 校正 / 草の実堂編集部