キューバに学ぶ都市農業と緑の医療
ホルムズ海峡の不安定化、米国SPR(石油備蓄)の減少、フーシ派による紅海封鎖の継続、米国による石油輸出制限のリスク。これらの要素が重なれば、日本のエネルギーと食料の供給は深刻に揺らぐ可能性がある。最悪のシナリオでは、農業機械の燃料、化学肥料、農薬、輸送網、医薬品のすべてが同時に逼迫する。
このような事態を考えるとき、参考になる先例が一つある。1991年のソ連崩壊から始まった、キューバの「特別期間」とそこから生まれた都市農業・家庭菜園の体系である。日本にそのまま移植できるものではないが、学べる部分は確かにある。今回はその全体像と、日本への応用可能性を整理する。
危機としての特別期間
キューバは1991年まで、貿易の85%をソ連圏に依存していた。石油・化学肥料・農薬・農業機械・小麦の大半がソ連と東欧からの輸入で、食料の60%以上を海外に頼る構造だった。砂糖を輸出して食料を買うという、典型的な単一作物経済である。
ソ連崩壊によってこの貿易が一夜にして消失した。さらに、米国の経済制裁が1992年のトリチェリ法、1996年のヘルムズ・バートン法で強化され、第三国経由の取引まで制限された。結果として、石油輸入は53%減、食料輸入は約半減、化学肥料は約80%減、農薬は60%減という壊滅的な打撃を受けた。
この時期はキューバで「Período Especial(特別期間)」と呼ばれる。国民の平均カロリー摂取量は2,900kcalから1,800kcal前後まで低下したと推定されている。人々は痩せ、栄養失調と視神経障害が広がり、輸送が止まって都市部への食料供給が著しく滞った。
この危機の中から、世界に類を見ない規模の都市農業が立ち上がった。
オルガノポニコという発明
キューバ都市農業の象徴が「オルガノポニコ(organopónico)」と呼ばれる集約型有機栽培システムである。元々は1987年に軍の関与のもとで小規模に始まっていたものが、特別期間で一気に拡大した。
仕組みはシンプルだ。都市部の空き地・遊休地・建物の合間などに、地面に直接植えるのではなく、レンガやコンクリートブロックで囲った長方形の畝を作り、その中に堆肥と土を混ぜたものを入れて野菜を栽培する。なぜ畝を高くするかというと、都市部の土壌は瓦礫やコンクリート屑が混ざり、栽培に適さないことが多いためだ。畝の中に作った人工的な培地で栽培することで、立地を選ばずに高い生産性を確保できる。
肥料はすべて有機である。ミミズ堆肥(humus de lombriz)、堆肥、緑肥が中心で、化学肥料は使えないために使わないのではなく、結果的に有機栽培の体系が国家規模で確立した。害虫対策も生物農薬、コンパニオンプランツ、輪作を組み合わせる方式となった。灌水は点滴灌水か手作業が基本で、エネルギーをほとんど使わない。
これは「先進的な有機農業」を理念から始めたのではなく、「化学肥料も農薬もエネルギーもない」という制約から逆算して生まれた体系である。理想ではなく、必要が生んだ技術だった。
規模と成果
数字でその規模を見ておく。キューバ全土で約30万から38万の都市農園・家庭菜園が存在するとされ、合計約5万ヘクタールを覆っている。年間生産量は野菜・果物だけで100万から150万トン規模に達し、国内の生鮮野菜供給の約50%を都市農業が担っているという推計もある。雇用は40万人以上にのぼる。
ハバナ市だけを見ても、市の食料需要のかなりの部分を市内および周縁の都市農業で賄っており、市民は徒歩圏内で生鮮野菜を入手できる体制が整った。フードマイル(食料の輸送距離)が極端に短い、世界でも稀な都市システムである。
家庭菜園の三層構造
キューバの都市農業は、おおむね三つの層に分かれている。
第一層が、オルガノポニコ等の組織的・商業的な都市農園である。協同組合や個人事業として運営され、生産物を市場で販売する。政府から土地の使用権が与えられ、技術支援も受けられる。
第二層が、ウエルト・ポプラル(huerto popular)と呼ばれる地域共同菜園である。複数の住民が一定の土地を共同で耕し、収穫を分け合う。
第三層が、パティオ(patio)と呼ばれる純粋な家庭菜園である。自宅の中庭、屋上、ベランダ、窓辺の鉢などで、家族の食卓のために野菜・果物・ハーブ・薬草を栽培する。キューバの住宅は植民地時代の名残でパティオ(中庭)を持つ家屋が多く、これが家庭菜園の物理的基盤となった。
統計には乗りにくい第三層こそが、危機を乗り切る上で最も重要だったとも言われている。市場が機能しない状況でも、自家消費の食料が手元にある安心感は計り知れない。
緑の医療
医療面でも家庭菜園は重要な役割を果たした。ソ連崩壊で医薬品の輸入が激減し、米国の制裁で多くの薬剤が入手困難になる中、伝統的なハーブ医療が制度的に復活したのである。
キューバ政府は1992年に「緑の医療(Medicina Verde)」プログラムを正式に立ち上げ、薬用植物の栽培・処方・調剤を医療制度に組み込んだ。家庭の庭先で栽培される代表的な薬用植物には、オレガノ・フランセス(キューバンオレガノ、呼吸器系・喉)、サウコ(セイヨウニワトコ、風邪・解熱)、マンサニージャ(カモミール、消化器・鎮静)、メンタ(ミント、消化)、サビラ(アロエ、皮膚・消化)、アホ(ニンニク、抗菌・循環器)、パッシフローラ(鎮静)などがある。
家庭菜園の一角に薬用植物のコーナーを設けることは標準的な習慣となり、医師も薬局の薬と並行して、家庭で育てるハーブの煎じ薬を処方するようになった。これは単なる代替医療ではなく、国家の医療体系の一部として制度化された点が重要である。
政府の役割
注目すべきは、この変革が完全にボトムアップで起きたわけではなく、政府の強力な支援と組み合わさって実現したことである。
政府が行ったのは、都市部の遊休地の無償使用権の付与、ミミズ堆肥施設・種子センター・農業技術相談所(consultorios agropecuarios)の全国整備、農学校・大学での有機農業カリキュラム導入、生物農薬製造拠点の各地への設置、家庭菜園コンテストや表彰制度による奨励、市場での直販を可能にする規制緩和、などである。
特別期間の最中の1994年には、都市農業を統括する組織が農業省内に設置され、政策として明確に位置付けられた。「危機への即興対応」ではなく、「国家戦略としての都市農業」に転換した点が、キューバの事例を他国と差別化している。
文化的・社会的側面
家庭菜園は、食料供給だけでなく社会の在り方そのものを変えた。
近所同士で苗や種を交換し合うネットワークが各地に生まれ、これは「セミーリャス・クリオージャス(在来種)」運動として、固定種の地域適応品種を維持する文化に発展した。世代を超えた知識の継承も進み、祖父母世代の農業知識が若い世代に伝わる経路ができた。
経済的にも、都市農業は新しい就業機会を生み出した。特別期間で多くの専門職が失業した中、技術者・科学者・教師の一部が都市農業へ転身し、有機農業の技術水準を押し上げる原動力となった。
食生活も変化した。それまでキューバの食卓は米・パン・砂糖・豚肉が中心で野菜が少なかったが、家庭菜園の普及で葉物・トマト・ハーブ類が日常的に食べられるようになった。栄養学的にはむしろ改善した面もあると指摘されている。
限界も直視する
キューバの都市農業を過度に理想化するのは正確ではない。いくつかの重要な限界がある。
カロリー源の問題がある。都市農業が得意とするのは野菜・果物・ハーブで、主食となる穀物・豆類・芋類は依然として広い面積を要するため、地方の通常農業に依存している。キューバは現在も食料の60〜70%を輸入しており、自給を達成したわけではない。
品質・規模のばらつきもある。優れたオルガノポニコがある一方、技術水準が低く生産性の上がらない農園も多く、全体の平均像は宣伝されるほど高くないという批判もある。
生活水準としては苦しい状態が続いている。都市農業は「危機を乗り切った成功例」ではあるものの、キューバの平均的な生活水準は依然として低く、人々は食料以外の物資不足に苦しみ続けている。2020年代に入っても食料事情は厳しく、近年は移民流出が深刻化している。
つまり、キューバの都市農業は「飢餓を防いだ」のであって、「豊かさを実現した」わけではない。日本がこれを参考にする場合も、目指すべきは「危機時のセーフティネット」であって、「平時の主食生産体系の置き換え」ではない。
日本との状況の類似
それでも、現在の日本がキューバ特別期間と構造的に似ている点は多い。
エネルギー輸入依存度は両国に共通する。キューバはソ連からの石油供給に依存し、その途絶で農業機械・輸送・化学肥料生産がすべて停止した。日本もエネルギー自給率は約12%で、石油の中東依存度は約95%、ホルムズ海峡通過分は約8〜9割を占める。同海峡が長期不安定化すれば、農業機械の燃料、温室の暖房、化学肥料の原料、農薬製造、輸送網のすべてに連鎖的に影響が及ぶ。
化学肥料の輸入依存も深刻である。日本の化学肥料原料はほぼ全量を輸入に頼っており、リン酸はモロッコ・中国、カリはカナダ・ロシア・ベラルーシ、尿素は中東・中国が主要供給元である。これらが滞れば、慣行農業の生産性は大幅に下がる。
食料自給率はカロリーベースで約38%、穀物自給率に至っては約28%である。キューバが特別期間に直面した「輸入が止まれば食えない」という構造を、日本はより極端な形で抱えている。
日本ならではの障壁
一方で、キューバ型をそのまま導入するには日本特有の障壁もある。
土地の問題が最も大きい。キューバは社会主義国で土地は基本的に国有のため、政府が空き地の使用権を市民に無償で配ることができた。日本では土地は私有財産で、空き地・空き家があっても所有者の同意なしには使えない。耕作放棄地が約42万ヘクタール(2020年)あるにもかかわらず活用が進まないのは、この構造的問題による。
気候の違いもある。キューバは熱帯で年間を通じて栽培可能だが、日本は四季があり冬季の生産が制約される。冬の食料確保には貯蔵・加工・温室の技術が不可欠で、温室は燃料を要するため、省エネ型のパッシブな仕組み(土室・むろ・漬物文化)の再評価が必要となる。
人口構成の問題もある。キューバは特別期間当時、平均年齢が比較的若かった。日本は高齢化が進み、農作業を担える人口が少なくなっている。
都市の物理構造の違いもある。キューバの都市住宅はパティオを持つものが多く、家の中に栽培空間が組み込まれていた。日本のマンション・アパートが主流の都市住居は、ベランダ・屋上・窓辺など限られた空間しかない。
医療制度の違いも重要である。キューバは医師数が人口比で世界トップクラス(人口1,000人あたり約8.4人、日本は約2.6人)で、地域医療が密に張り巡らされていた。「緑の医療」プログラムが機能したのは、医師が家庭菜園のハーブを処方できる医療体系があったからである。日本でハーブの自家栽培を医療制度に組み込むのは制度的な壁が高く、現実的には「家庭での自助」の範囲に留まる。
取り入れられる要素
それでも、個別要素として日本に取り入れられる部分は多い。
第一に、家庭菜園・市民農園の量的拡大である。日本にはすでに市民農園・貸し農園の制度があり、特定農地貸付法・市民農園整備促進法という法的基盤も整っている。全国に約5,000か所、約20万区画の市民農園が存在するが、これはキューバの規模(30万農園)と比べれば桁違いに少ない。空き地・空き家・耕作放棄地の活用を進めれば、拡大余地は大きい。
第二に、有機農業・低投入農業の技術蓄積である。キューバが特別期間中に体系化したのは、ミミズ堆肥・コンパニオンプランツ・生物農薬・輪作・在来種の活用といった、化学肥料・農薬への依存度を下げる技術群である。日本でも有機JAS・自然農法・パーマカルチャーの実践者は存在するが、全耕地面積に占める有機農業の割合は約0.6%とOECDで最低水準である。これを底上げしておけば、化学肥料が途絶したときの落差が小さくなる。
第三に、薬用植物の家庭栽培である。日本にも和漢の伝統があり、シソ・ドクダミ・ヨモギ・ミント・カモミール・ショウガ・ニンニク・タマネギ・ネギ・ウコン・スギナなどは家庭でも栽培でき、ある程度の薬効が知られている。これらをハーブガーデンとして体系的に持つ習慣を広げれば、軽症の風邪・消化器症状・皮膚トラブル等は自己対応の幅が広がる。またダイオウ(便秘に効く)などの漢方薬の原料も知識がある人なら育てられるかもしれない。
第四に、固定種・在来種の維持である。前のnoteでも触れた通り、これはキューバの「セミーリャス・クリオージャス運動」に直接学べる部分である。F1種に依存する現在の日本の種苗構造は、輸入が止まれば再生産が困難になる。
第五に、近距離流通・地産地消の体制である。キューバでは都市の中・周縁で生産し、徒歩・自転車・短距離輸送で消費するため、燃料不足の影響を受けにくい構造ができた。日本の道の駅、ファーマーズマーケット、JA直売所はその種を持っているが、まだ補助的な位置付けに留まっている。
薬草に関する現実的な期待値
ハーブによる代替医療について、過度な期待は禁物である。
家庭のハーブで対処できる範囲は、軽症の風邪症状、消化器の不調、軽い不眠・不安、皮膚の軽いトラブル、口腔ケア、栄養補強といった領域である。
家庭のハーブで対処できないのは、細菌感染症(抗生物質が必要なもの)、外科的処置を要する怪我、慢性疾患(糖尿病・高血圧等)、心血管系の急性疾患、ガン、骨折、出産時の合併症などである。これらは現代医療がなければ救えない領域で、ハーブで代替するという発想自体が危険である。
したがって、薬用植物の家庭栽培は「現代医療の代替」ではなく、「医療資源の節約と軽症の自己対処」という位置付けが正確である。それでも、医療資源が逼迫する局面では大量の軽症患者を分散できるため、社会全体としては大きな意味を持つ。キューバの「緑の医療」も、医師の処方と組み合わさって機能していた。
平時の積み上げという原則
キューバの事例が最も鮮明に示しているのは、危機時のシステムは平時の蓄積からしか生まれないということである。
オルガノポニコは1987年から既に始まっていた。緑の医療プログラムを支える伝統医学の知識は、それまでの世代から脈々と受け継がれていた。技術者・科学者の人材プールは、特別期間以前の教育投資の結果として存在していた。これらの基盤がなければ、危機が来ても急速な拡大はできなかった。
日本に置き換えれば、家庭菜園を始めること、固定種を作付けること、ハーブのコーナーを設けること、堆肥化を実践すること、近隣と種を交換すること、保存食の技術を覚えること、自家採種のサイクルを回すこと──これらは「危機が来たら始める」ものではなく、「今から少しずつ積み上げる」ものである。
危機の規模によっては、平時のささやかな備えが生活の質と健康を守る決定的な差となる。「ないよりマシ」の積み重ねこそが、危機時に最も効くという点は、キューバの30年が示している通りである。
結論
キューバの都市農業は、理想から生まれたのではなく、必要から生まれた。土地制度・気候・人口構成・医療体制が異なる日本には、そのまま移植はできない。それでも、家庭菜園の拡大、低投入農業の技術、薬用植物の家庭栽培、固定種の維持、近距離流通の強化、種と苗の交換コミュニティの形成といった個別要素は、日本でも取り入れる余地が大いにある。
ホルムズ海峡の不安定化、米国SPRの減少、トランプ政権の輸出制限リスクといった現在の状況を考えると、「飢饉までは行かなくても、食料・医薬品の価格と入手性が大きく揺らぐ」可能性は十分にある。その場合、家庭菜園と薬草の備えは、生死を分けるレベルではなくとも、生活の質と健康を守るレベルでは確実に意味を持つ。
前回までに論じた大豆備蓄、固定種、玄米備蓄、貴金属や嗜好品による交換手段の確保に加えて、ハーブ・薬用植物の家庭栽培も基本セットに含めておく価値は十分にある。キューバの特別期間が示しているのは、危機は必ずしも全てを奪うわけではなく、平時に積み上げたものは危機の中で何倍にも価値を増すということである。今この瞬間からでも、できることから始めればよい。


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