韓国でこのひと月ほど続いた嵐のような〝スタバ不買事件〟は、反日不買運動をいく度となく経験してきた在韓日本人にとってはいわゆるデジャビュ(既視感)だった。今回は反日ではなかったけれど日本人の間では「また始まりましたね」「すごいですね」があいさつ代わりになった。
治にいて乱を忘れず
そんな中で韓国駐在は初めてという日本外交官が「やはり怖いですね、日本についてもまたいつあるかもしれないということですよね」というので「そう、まさに〝治にいて乱を忘れず〟です。いつも頭のどこかに置いておくべきことですね」といってうなずき合ったのだった。
長年、韓国で暮らしていて、韓国社会は官民挙げて関心がワーッと集中する〝同調圧力〟が日本以上に強いと実感するが、それでも今回は異変というか〝光明〟がうかがえた。たとえば「どこのコーヒーを飲もうが個人の好みであって、個人の自由に政府や運動団体、マスコミが介入し強要するのはおかしい」といった批判の声が、ネットを含めかなり聞かれたのだ。新聞社説でも「度が過ぎる」「成熟した市民社会として自制を」など批判的論調が早くから登場していた。
光州事件の〝聖域化〟
問題の発端はコーヒーチェーン大手の「スターバックス」が5月18日を期して「タンクデー」と銘打ってタンブラー(筒状のドリンク容器)の販売PRに乗り出したことだ。ところがこの日は1980年に反政府デモへの軍の鎮圧で多数の死者が出た「光州事件」の日。光州のデモはその後、時代の変化で民主化運動としてたたえられ、批判的な見方をはじめ異論、異説は認められないという〝聖域化〟が進んだ。