ヘルシーでいるために――米津玄師が向き合う「内側からの解体」#アジア文化最前線
熱狂への憧れと葛藤。「きな臭い世の中」で何を歌うのか
ヘルシーであろうとする一方、米津玄師は「熱狂」を否定しない。むしろサッカーに惹かれたのは、自らの音楽活動では得られない熱狂があったからだ。きっかけは2018年のロシアW杯。友達の家でたまたま流れていた試合を見たことだという。 「90分走り回って、ようやく手に入れた1点。それが決勝点ともなると、会場全体みんなで狂喜乱舞する。『ああいう喜びを爆発させる瞬間って、自分の人生の中にはないな』とすごく思います」 海外へサッカー観戦に赴くようにもなった米津にとって、サッカーのテーマ曲は「願ってもないありがたい機会」だという。だが、だからこそ簡単ではなかった。いわく「出来上がったのは自分でも拍子抜けするくらい個人的な曲」。 「サッカーW杯は、国対国で競う、国際規模の大きなイベントになるわけじゃないですか。きな臭い世の中になっている中で、そこに無自覚なまま『一致団結して』とか、あるいは『敵に打ち勝つ』みたいなものを載せてしまうと、自分が意図した方向……じゃないほうに曲がどんどん向かっていってしまうんじゃないかという不安がすごく強くありました。あくまでエンタメであるスポーツときな臭さをイコールで結んでしまうのも早計かもしれない、とも考えたのですが、やっぱりそれでも憂慮は尽きませんでした」
とはいえ、サッカーに勝敗と一致団結はつきもの。試行錯誤して辿り着いたのは「個人/自分」への回帰だった。 「サッカーは一致団結してやるスポーツで、W杯は、国対抗で分かち難く勝敗が決まるという構造が前提にあるけれども、一人ひとりの考え方や想いで、その構造を内側から解体することはできると思うんですよね。何のためにやるのかは、それぞれが自主的に、自由に決められる。そういう大きな構造の中で、一人ひとりが内側から解体する気持ちを持つことはできる。団結が必要な同じ目的を持つ集団の中にいながらもあくまで個人でいる。その二つは矛盾するわけではないというような、そういう表現ができたらいいなと」 「烏」は軽やかな楽曲だ。歪んだギターも、激しいスネアドラムもそこにはない。「攻撃的なニュアンスをできる限り排除したかった」「あくまでヘルシーにいたかった」と米津は語る。 さらに歌詞で描かれるのは、子ども時代に「誰かのために生きること」を漫画から教わった主人公が、自分が生まれたのは誰かのためじゃなかったと気づく道のりだ。 「(アニメや映画のように)プロットがあるわけでもないので、参照するのはどうしても自分の話。『自分がどういうふうに生きてきて、今ここにいるのか』ということから話を始めないと」 そして、米津は自らの子ども時代を振り返る。