『寛見さま、巫女舞のお時間です』
夜が来た。深い深い、村全体を包み隠すような疫。トラツグミがひぃーっと鳴いて飛び立っていく。外ではまた、快晴。満月には縫い目。
「すぐ行く」
俺、日車寛見は、蒼い光を返す闇のなかで短く答えた。
白装束から礼装に着替え廊下に出る。声の主である側女に声を掛け、神社へ続く階段を登る。広い境内に焚かれた篝火。単眼の炎が左右に整然と並び、炎が弾けては火の粉が舞う。
今日は神に贄を捧げる祭りである。村人たちはすでに境内に集まり、正座で神妙な面持ちをしている。
『先ほど、ぬえが鳴きました。凶兆でしょうか』
「ただの鳥だ。構うな」
携えた神楽鈴がしゃりしゃり鳴る。贄は既に社の中で待機していると聞いている。
『私は社の中に入ることができませぬ。では日車寛見さま、くれぐれもお間違いなきよう』
二列に並び座っている村人たちの間を通る。やけに新しい木の段を上り、社の中に足を踏み入れた。
社の中には、俺と同じくらいの年だろうか、少年が二人。身なりを整えられ、正座して頭を垂れている。顔は伏せられていて見えないが、甚爾と史彦であろう。
「来い」
その言葉に反応し二人が顔を上げる。二人の顔は紅や白粉で飾り立てられている。が、甚爾の顔にはそれでも隠し切れない大きな傷があった。
「……奉納はもっと奥の本殿で行う。ついてこい」
二人は俺の後ろをついてくる。俺は社の奥にある本殿に二人を案内する。鈴がしゃりしゃり揺れる。
本殿の扉を開く前に、後ろを向く。真っ直ぐ前を見る史彦と俯いて下を見る甚爾が対照的だった。
「神は既に顕現なされている。くれぐれも、失礼のないように」
そう言い、扉に手を掛けた。
ぎぃぃと大仰な音を立て扉が開かれる。異様に広い部屋の中心、それは居た。
「やあ。今回のは随分若いね」
一見、人だった。五条袈裟に長い髪。額に走る縫い目を除けば、人だった。しかし、違和感。人間だと思えば思うほど、この存在を人だと思えなくなるような。自然と体が強張る、畏怖すら感じる威圧感。
美しい顔をしていると思う。けれど、つくりもののような美しさ。厭世的な雰囲気を纏っていて、この世を諦めているようでもあった。
「前のが巫女で、後ろのが贄?いや、傷モノの方は殉葬者か。まったく、私のことをなんだと思っているのかねえ」
そう言いつつ、俺に腕を絡ませてくる。顔に息がかかるような距離まで近づき、にんまりと細められる芥子の眼。
「……羂索さま、贄をお持ちしました。奉りの儀をお願いいたします」
「えー、ヤダ。なんで人間なんて貰わにゃいかんの。私欲しいだなんて一言も言ってないのにさー、まったく困っちゃうよね馬鹿な爺どもにはさ」
羂索の声が、本殿の暗闇に吸い込まれるように響く。まるで俺の心の隙間を縫うように、その言葉は軽いのに重い。せめて教わった通り姿勢を正し、動揺を隠す。だが、頭の奥で何かがひび割れる音がする。
「ほんと、毎回毎回同じこと繰り返してさ。きみ……、いいや、寛見、頭いいんだから分かるよね?この村のルール、全部無意味だよ」
羂索が俺の耳元で囁く。吐息が頬を撫で、ぞくりと背筋が震える。無意味?何百年も続いてきた風習が?俺は……いや、ずっと前から気づいてた。この村の理屈が、どこか歪んでること。神が人を求める理由が、どこにもないこと。でも、気づいたところで何だ?俺に何ができる?
「羂索さま……儀式を、進めてください」
声が震えないよう、必死に抑える。後ろに立つ史彦が小さく息を飲むのが聞こえる。甚爾は……、黙ったまま羂索を睨んでる。いつも夜中にこっそり会う時の、投げやりな目じゃない。まるで何かを決めたような、鋭い光がある。
「儀式?ふふ、つまんないなあ。ねえ、史彦、甚爾。君たち、ほんとにここで死にたいの?外の世界、見たことないよね?」
羂索が二人に視線を移す。史彦の肩がびくりと揺れる。白粉で塗られた顔が薄明かりに浮かんで、まるで壊れかけの人形みたいだ。
「羂索さま、」
「ほら、ほら、頭いい子はすぐ反応する!そう、全部だって私が退屈しのぎに作ったんだもん、意味なんて無いよ。贄も、巫女も、殉葬者も。で、今度は新しい遊びがしたいなって。外の世界、面白そうじゃない?」
世界が崩れる音がする。
巫女である以上、外の世界を見たいと思ってはいけないと教えられた。幼いうちから村に縛り付けられた俺には許されない話だと思ったから、口にしたことはないけれど。でも、外の世界には俺が望む全てのものがある。知りたいともがきたくなる。ずっと憧れていた世界の中心をこの目で見られるなんて、心が躍らない筈がない。
「外、出たいでしょ?」
その言葉を皮切りに背後の扉が勢いよく開く。冷たい夜風が本殿に流れ込み、頬を撫でる。そこに立っていたのは、見たこともない二人だった。白髪で、目が不自然なほど青い男。そして、黒髪に妙な前髪を垂らした、静かな目をした男。
「チーッス三河屋でーす自由行きのチケット配達に来ましたー。ご乗車は三人でよろしいですかー?」
「遅くなって悪いね。もう大丈夫だよ」
男たちがにこやかに笑いかけてくる。妙に軽い口調が場違いだ。
「やーやー五条悟に夏油傑とお揃いで。もうちょっと遅かったら私がこの子ら喰い散らかしてたトコだったよ」
「おーおーやってみろよ邪神サマがよー、俺たちの温情で生かされてるってことお忘れで?」
「寛見、こいつらが外行きの片道切符。クズだけどバカじゃないからせいぜい利用しつくしてあげな」
「取り込むぞ、羂索」
男のうち、黒い方が俺に向かって手を伸ばす。白い方は既に史彦と甚爾を抱え込み連れ出す準備は万全のようだ。
俺はその手を取るべきなのか?この手を取れば、もう後戻りはできないだろう。でも、俺は……。
「そと、いきたい」
そう、小さく呟いた。もう、ずっと前から我慢していた言葉だ。
この手を取ったらきっと、俺は今までの俺じゃなくなるだろう。それでも……。
俺の小さな呟きは男の耳にも届いていたようで、にんまりと笑みを深めた。
神楽鈴を打ち鳴らすような羂索の笑い声ががけたたましく鳴り響く。
それはまるで神への供物のように、贄を奉る儀式のように。その音が止んだとき、そこに居たのはもう村の人間ではなかった。
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- shidaApril 23, 2025