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「なぜ悪人が上に立つのか」〜権力のある人と腐敗しない人が同一であるような社会のために

 どうしてなのか納得できた。

 

「なぜ悪人が上に立つのか」

ブライアン・クラース著 東洋経済新報社

 

 立憲民主党が公明党と新党を立ち上げた(2026年1月)。

「威勢のよい大きな声で断言する人たち」に、人は引きつけられていく。立民と公明は、どちらかというと、「威勢のよい大きな声で断言する人たち」とは違う。

 ゆえに、人々には弱々しく見えたりしてしまう。静かに考えながら話す人間を、人々は(教師も親も含めて)じれったく思い、急かしたりしてしまう。なんだったら、途中で言葉に割り込んでくる。

 はっきりしないとか、頭が悪いとか思う人もいるだろうが、それは当たっていない。よく考えながら話すので、言葉に詰まったり、次の言葉を出すまでに時間がかかる。

 これは、教育において非常に大切なことらしい。内田樹によると、そういう話し方をする子どもこそ、温かく見守ってその芽を摘まないようにしてあげること、伸ばしてあげることが親や教師の役目だそうだ(往々にして逆のことが起きる)。

 この話、「なぜ悪人が上に立つのか」の読後感と関係あるの?そう思っている読者もおられることだろう。いささかずれているように見えて、実はちょっと似ている、と私は思っている。

 

 これとも少し似ている。「なぜ戦争は伝わりやすく 平和は伝わりにくいのか」(伊藤剛著 光文社新書)。

 戦争は具体的で平和は抽象的、と言われる。ちなみにネット検索してみると、「戦争」には兵器や兵士や戦場の様子などが出てくるが、「平和」には、ピースマークだったり、花やその他の自然の風景、穏やかに流れる川、人々の笑顔だったり…と、さまざまな種類のイメージ画像が出てくる。

 今回も(2026年1月)、学者ではないコメンテーターたちはこぞって言う。野党(立憲民主党+公明党)の話は抽象的だ。理想論はどうでもいいから、具体策をいつまでに実現できるかを聞きたい、自民党のバラマキを待っている、とまで言う人もいた(お笑い芸人N)。

「理想論はどうでもいい」?いやいや、理想(論)は大事です。むしろ、こういう国、こういう暮らし、という「理想」もないような政治家こそ、私は疑う。

「理想“論”」は確かにネガティブな概念を持っている。

「理想論」

現実の状況は考えに入れず、理想だけをいう意見や主張。

(コトバンク)

「理想」

人が心に描き求め続ける、それ以上望むところのない完全なもの。そうあってほしいと思う最高の状態。

(コトバンク)

 さて、何が似ているのか?

 すなわち、中島岳志の唱える政治の4象限「リベラル(寛容)+リスクの社会化」「パターナル(権威主義)+リスクの個人化」で言うと、「リベラル+リスクの社会化」のほうが、説明しにくく、伝わりにくい。大声で断言もせず、論破が目的ともしていない。「寛容」をモットーとしているがゆえに、弱々しく見えたりもしてしまう。上にあげた、考えながら喋るので口ごもってしまう子ども、ゆっくり喋る人、と同じだ。タイパコスパの社会のなかでは、それこそ「伝わりにくい平和」なのである。

 

 前置きが長くなったが、この本を読んで読書エッセイを書こうとキーボードに指をのせた瞬間、上記の2つの事柄が私の心を過ったのだった。

 

「なぜ悪人が上に立つのか」。私もここ数年、いや10年以上かもしれない、ずっとその疑問を抱いてきた。ゆえに、この書籍を購入した次第。

 悪いほうが強い、悪いほうが勝つ、そういうことは周囲にたくさんある。いわゆる「いじめ」もそうだ。いじめられているほうが転校する。ご近所トラブルもそうだ。迷惑をかけられているほうが引っ越す。悪事を通報した内部告発者がひどい目にあう。

 善人はどんどん声をあげなくなっていく(あげにくくなる)。そうすると、世の中、悪人ばかりになってしまうんですかね。それが私の懸念だった。地球は悪の惑星か?そう言えば、アメリカのSFテレビドラマ「スタートレック・ヴォイジャー」のなかに、そういう惑星が登場したエピソードがあった。

 

 内田樹は「仕組みが悪い」と言っている。悪いこと、ずるいことをした人が出世できる仕組みになっている、と。確かに、政治の世界を見ても納得せざるを得ない。

 

 もうひとつある。「権力は腐敗する」である。

 権力を持つと、人が変わったように横暴になる人がいる。お金を持つと人が変わる、というのと似ている。

 人間というのは、たいてい「そう」らしい。そうでない人もたまにいるが、おそらくたぶんかなり珍しい、のかな。

 

 この本によると、どうやらそれだけではなさそうだ。

 

 私たちは、選挙などで指導者、「権力を握らせる人」を選ぶとき、なんとほとんどのとき、「顔」だけを手がかりに選んでいる、という実験結果がある。

 これはヤバいですね。でも確かに、特に自民党は「顔」のいい人を候補に立ててきますよね。芸能人じゃないんだから。いや、そのもの、アイドルも含めた芸能人を出馬させますものね。なるほど。共産党とか立民などは、あまりルッキズムを重視していないような印象です(失礼な感想でしょうか)。

 さらに、

指導者を選出する私たちの能力には欠陥があることを示すさらなる証拠として、他のいくつかの研究が示しているように、グループ討論でより攻撃的あるいはぶしつけな人は、より協力的あるいは控え目な人よりも、権力があり、指導者らしいと認識される。

(…)

権力は、善人を腐敗させうる。だが、権力は悪人を引き寄せもするのかもしれない。そして、私たち人間はどういうわけか、不適当な理由から不適当な指導者に引きつけられるのかもしれない。

(P23)

 

 とにかく、この度、よく分かったことがある。

 上にもあるように、まず悲しいことに「権力は善人をも腐敗させる」。

 「権力欲や支配欲がもともと強い人は、権力に引き寄せられる」すなわち、そういった職業を選ぶし、組織のなかで権力の座につこうとする。そして、なんと、そういう人たちは、権力を得るのが得意。

 残念ながらいわゆる「善人は、権力の座を欲しない」ことのほうが多い。

「制度か人か」で言えば、その両方だ。

 悪人に権力を持たせてしまうような仕組みや制度がある。

 もともと良くない思考、思惑、性質を持っている人たちが確かにいる。そういう人たちは、制度が自分に好都合なら、それを巧みに利用して支配者となっていくだろうし、仮に権力者を生み出さない立派で健全な制度があったとしても、悪人はなんとしてもそれを突破して権力を勝ち取る。善人ぶるのはお手の物だ。

 

 うわぁ、どうにもならないですね。だってそうだとすると、いずれにしても悪人がまずもって上に立ってしまうのですから。加えて、サイコパスもいる。

 

 どうすればいいんだろう。

 いや、そのための本じゃん、これは。

 

 著者は言う。「監視」すること。

 今私たちは、少し前よりずっとずっと強力な監視社会に暮らしている。ゆえに、監視カメラ、ドライブレコーダーなどによって犯人を追跡して逮捕できるようになった。

 だが、一般市民への行き過ぎた監視ではなく、権力者への監視が必要だ。その役目を担ってきたマスコミ、ジャーナリズムだが、日本の場合、いささかその力を弱めている、というか、力を奪われている。特に政治。

 ちょっと話はずれるかもしれないが、ジャニーズ事務所問題だって、BBCの取材と発信があってはじめて日本自身が取り組まざるを得なくなり、(一応)ジャニーズ事務所解体という決着を得た。

 マスコミは、政治家たちと仲良しになってはいけないのに、日本はどうもその辺り、よろしくないようだ。監視どころか、政治にうまく利用すらされている。週刊誌のいくつかが、ジャーナリズムを実践しているだけ。決してゴシップでは終わらない。新聞とテレビ報道は、すでに本来の役目を放棄してしまった。

人々、――特に、権力を握っていない人々――を絶えず監視するのは、ディストピアへの早道となる。だが、代わりにユートピアへとじわじわ近づくには、権限を握っている人々に、いつ監視されていてもおかしくない、と思わせるべきだ。そうすれば、プライバシーを絶えず侵害することを避けつつ、権力を握っている人に、その権力を濫用するのを思いとどませることができる、妥協点が見つかる。

(P356)

 とはいえ近頃の日本は、そんな監視もなんのその、のように見える。が、ジャーナリズムが正義と使命を取り戻せば、監視本来の機能が発揮できるのかもしれない。

 

 もうひとつ大事なことを著者は言っている。

 模範的な指導者に権力の座に就いてもらうように仕掛けていくことが大事だ。模範的な指導者が現れることをだた待っていても、何も変わらないし、むしろ悪を引き寄せる。

 それにはやはり制度改革が必要だ。より良い人々に登場してもらえるように。

権力に最も引き寄せられる人が、それに最もふさわしくない人であることが多い。(…)不適当な採用戦略がその問題を悪化させ、私たちのうちの最も権力に飢えた人を誘い込む。(…)そのような腐敗しやすい人々を寄せつけないためには、競争が欠かせない。

(P369)

 確かに地方では、立候補者がおらず、無投票当選ということが最近多い。変な人が入り込んで来る可能性を否めない。

 同時に、競争相手が大勢いたとしても、不適当な理由から不適当な指導者を選んでしまうという不甲斐なさもある。「より賢く採用を行い、籤引き制を使って権力ある人々を出し抜き、監視を改善できる」。籤引き制については、中島岳志もどこかで言っていたと記憶している。

 

監視するのなら、下層の人々ではなく、真に有害なことをする上層部の人々に的を絞ることができる。

(…)

もっと良い世の中にすることは可能だ。私たちは一丸となって取り組み、適切な改革を行えば、権力を追い求めたり濫用したりする腐敗しやすい人を押しのけ、そうではない人々を促して彼らに取って代わってもらうことができる。

そうすれば、ついに、権力のある人と腐敗しない人が同一であるような社会での暮らしを満喫することができる。

(P370)

 

 この本に書かれていることは、政治の話に留まらない。会社や各種組織、コミュニティ、グループなどにも当てはまる。

 特にアメリカでは問題が大きい警察官とその組織、についても書かれている。

 

 日本は(も)今のままだと、腐敗しやすい人、権力に飢えた人が引き寄せられる制度になっている。ものすごく下世話に簡単に言うと、正直者がバカを見る仕組みだ。

 制度、仕組みというよりも、特性なのかもしれない。いや、日本だけではなく、哀れな人類、地球人の。

 

 権力を握った恐ろしい人間たちの実例が、著者のインタビューも含めて、語られており、読み応えのある内容になっている。分厚い本ではあるが、そうした逸話の数々は、ドラマ鑑賞のようにすらすらと読めるので(驚嘆しながら)、興味深く読書をすすめることができる。

 

 明日の私たちの社会、国、世界、地球を、諦めずに積極的に参加してつくっていくために必要な知識を、豊富に提示してくれている書物である。

 

(引用文内の太字は、筆者による)

 

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