ホラー短編小説「木目」Part.7
第7話「隔離」
土砂降りの雨の中、
山田は鈴木の手首を掴んだまま、
オフィス街の大通りへ飛び出した。
「いいから、黙ってついてきてくれ。
君を一人にはできない」
流しのタクシーを拾い、
後部座席に鈴木を押し込んで、
山田も素早く乗り込む。
「とりあえず、
この辺りから離れてください」
タクシーが水しぶきを上げて走り出す。
だが車内でも、
山田は落ち着けなかった。
窓を無数に流れ落ちる水滴。
対向車のヘッドライトが乱反射し、
絶えず不気味な模様を生み出している。
山田が目を逸らそうとした、
そのときだった。
「危ねえッ」
運転手の怒声とともに、
急ブレーキ。
対向車線をはみ出してきた大型トラックを避けようと、
タイヤが濡れた路面で激しくスリップする。
キキィィィーッ。
ガンッ。
車体は大きくスピンし、
道路脇のガードレールに
激突して停まった。
「……っ、
大丈夫か、鈴木!」
「はい……
なんとか……」
幸い、エアバッグが作動し、
二人に怪我はなかった。
だがタクシーのフロントはひしゃげ、
白煙を上げて、完全に動かなくなっていた。
「もう車はダメだ。
降りるぞ」
二人は、雨の降る夜の街へと投げ出された。
傘を差す余裕もなく、
スーツはたちまち
冷たい雨でずぶ濡れになる。
「こっちだ。早く」
山田は鈴木の手を引いて走り出した。
だが、まっすぐには進めない。
濡れたアスファルトのヒビ割れ。
水たまりに反射するネオン。
ブロック塀の不規則なシミ。
「あそこはダメだ!
顔がある!」
そのたびに山田は
異常な恐怖を示し、
路地から路地へ、
極端に模様の少ない
コンクリートの道ばかりを選んで、
当てもなく逃げ回った。
鈴木はもう何も言わず、
ただ青い顔で、
彼の手に引かれて
ついてくるしかなかった。
そうして何時間も街を彷徨い、
いつの間にか日付が変わり、
深夜一時を回った頃。
体力の限界が近づく中、
二人は駅の外れで、
一つの建物を見つけた。
外壁は一面、
コンクリート打ちっぱなし。
装飾も、看板もない、
出来たばかりのビジネスホテルだった。
模様がない。
それだけが、
今の山田にとっての救いだった。
「ここなら……」
ふらつく足で、
二人はエントランスへ逃げ込んだ。
そこは、完全に無人だった。
フロントに人の気配はなく、
チェックインはタッチパネル式の端末のみ。
山田は濡れた手で端末を操作する。
『現在の宿泊者:一室(お客様のみ)』
悪天候のせいか。
あるいは新規オープンのためか。
このホテルには今、
自分たち以外の人間が、
一人もいない。
ツインルームのドアが閉まった瞬間、
山田は憑かれたように、
部屋中の点検を始めた。
壁紙に柄はないか。
カーペットに複雑な模様はないか。
天井のボードにシミはないか。
家具はすべて
白いプラスチックとスチールで統一され、
木目調の装飾は一切ない。
山田はテレビの電源コードを引き抜き、
真っ黒なモニターを
バスタオルで完全に覆い隠した。
「……よし。木目はない。
シミもない。
複雑な模様は、どこにもない」
荒い息を吐きながら、
山田は部屋の中央で立ち尽くした。
「ここは安全だ。
絶対に、君を死なせはしない」
振り返ると、
ベッドの端に座った鈴木が、
両腕で自分の肩を抱いて、
小さく震えていた。
「山田さん……
もう、やめにしませんか。
……怖いです」
その声は、
怪異への恐怖と、
目の前で変わっていく山田への戸惑いの、
両方で揺れていた。
「さっきのロッカーも、
事故も、偶然じゃない。
この世界の模様が、
君を殺そうとしてるんだ」
「……そんな……
オカルトみたいな……」
言いかけて、
鈴木は口をつぐんだ。
否定しきれない。
今夜、自分の身に起きたことを、
彼女はもう「ただの事故」とは呼べなくなっていた。
「だから、ここに連れてきた。
ここには、君を殺す要因が何一つない。
朝が来るまで、絶対にここから出ない」
「……わかりました」
鈴木は、ためらいがちに頷いた。
「山田さんが、そこまで言うなら……
朝まで、ここにいます」
その言葉に、
山田は深く安堵の息を吐き、
ドアの鍵とチェーンをしっかりと掛けた。
これで、密室は完成した。
外からの脅威も。
不気味な気配も。
そして他の宿泊客もいないこの空間には――
もう、何も入り込めないはずだった。



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