優雅な朝を作り出す
優雅な朝に憧れる。
何を持って優雅と言うのかは定義が難しい。優雅にもいろいろあるはずだ。たとえば朝起きてすぐにチェロを弾く。間違いなく優雅だ。朝の柔らかい光に照らされながらチェロを弾くのだ。曲はドヴォルザーク辺りでどうだろうか。
ハーブを摘みに行く。
優雅としか言いようがない。草原にある家で、どこまでが庭なのか、どこからが草原なのか、そこに境界はない。フレッシュハーブティを飲むために育てているハーブ。朝露に濡れた葉は一段と緑色を強めている。優雅だ。
ペンネをこねる。
これもやはり優雅だ。その日に食べるペンネをこねるのだ。デュラムセモリナ粉に卵と水を混ぜてペンネを作る。ペンネというのもまた優雅さを強調させる。長いタイプのパスタではないのだ。ペンネなのだ。
そんな優雅は難しい。
現実に生きる私たちには優雅な朝を作り出すことはなかなかに難しいのだ。だって朝なのだ。忙しいのだ。今日やることを考えると「これ終わるのかな?」とかと考えてしまい、全然優雅を作り出すことができない。少しでも早く仕事に出かけるなり、机の前に座るなりをしなければならない。
ただ優雅には憧れる。
僅かな時間でもいいので優雅を作り出したいのだ。この優雅が今日という一日に清涼感を生み出すはずなのだ。チェロを弾かなくても、ハーブを摘まなくても、ペンネを作らなくても、我々は優雅な時間を作る必要があるのだ。
そこでコーヒーを選んだ。
ドリップコーヒーだ。インスタントのコーヒーでないのがポイント。味の問題ではなく優雅さを生み出すのがドリップコーヒーな気がしたからだ。そこに根拠はない。なんとなく私が勝手に思ったので、優雅な朝とはドリップコーヒーということになった。
ただ豆を挽くのは面倒なので、具体的には挽いたあとにコーヒーミルを洗うのが面倒なので、粉になったものを使っている。ドリッパーにフィルターを敷いて、粉を入れて、お湯を注ぐ。いい香りが部屋に漂う。そう、これが優雅なのだ。
もはや匂いなのだ。
コーヒーの匂いが優雅さを作り出すのだ。だからコーヒーの香りの消臭剤とかあればそれでいい気がしている。その匂いを嗅ぎながら水を飲むのが一番いい気がする。手間がかからないから。ただ四六時中コーヒーの香りがしては、朝の優雅さが際立たないので、現状ではドリッパーでコーヒーを飲んでいる。
そこで考えた。
入れた後のコーヒーの粉を取っておいて、次の日の朝にそれを嗅ぎながら水を飲めばいいのだと。優雅な気がした。おそらく遠目で見ると意味がわからない人だ。コーヒーの粉を嗅ぎながら水を飲む人。知らない国の知らない地域の知らない人々の儀式のようにも感じるかもしれない。しかし、違う。優雅なのだ。
優雅とはコーヒーの粉(使用済み)を嗅ぎながら水を飲む、なのだ。優雅の心理に気がついてしまったと思う。たったそれだけでいいのだ、たぶん。



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