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消えないものは、/Novel by 藤坂のえ

消えないものは、

2,426 character(s)4 mins

日下部さんに残った傷とそれを目にしての日車さんのお話。『つたない愛の言葉でも』novel/27730957と地続きの二人です。いつも以上に何でも許せる方向けです。
過去作含め閲覧等々誠にありがとうございます。日車さんだけでなく日下部さんにもかなりの度合いで沈みつつあるこの頃です。

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 呪霊相手に血まみれにならずに済んだのは結構な話だが、泥まみれになっていては世話はないだろう。馴染んだアパートの風呂から上がった日下部はようやく一息つけたと雑に髪を拭きながら居間へと向かった。
 春先を過ぎ、例年早まる夏の気配に加えて風呂上がりなのもあって多少暑かった。面倒な任務を終えての疲れもあった。だからといって、同じ任務をこなし先に風呂に叩き込んだ男も居間にいるにも関わらず、上着を着ずに戻ってしまったのはまずかったと、こちらを見て固まる日車に思った時にはもう遅かった。
 互いに想いを告げてしばらく、色めいた方向ならばいっそよかった。けれど、腹に残った爪痕混じりの火傷跡は、晒すことになるとしてももう少し目立たなくなってからにしようと思っていたものだった。悪い予感は大体当たる。案の定、腹の辺りをじっと見つめたまま言葉をなくす日車に、日下部は己の不用意を後悔した。

「残ってしまったんだな。……すまなかった」

 悪さをしでかした生徒など目ではないほど沈んだ声が耳を打つ。思わずこぼれたため息は、この火傷を残してでも自分を生かそうとした相手に向けたものでは決してない。

「あのな、術師やってたらこんくらい普通なの。お前もとっくにあるでしょーが、傷の一つや二つ」

 口八丁には自信があるのに、内心ではいつになく必死だった。隣に在ることを望みはしたが背負い込ませたいわけではない。けれど、何かと抱え込みがちな男はと言えば、やはりその程度の正論一つで納得はできない様子で俯いてしまうものだから、内心の必死さがうっかり表に出そうになる。

「それに俺は、」

 滑らせかけた口を慌てて止めて手の甲で押さえた。今日はよくよくロクなことをしない。背負い込ませたくないのなら一番言ってはならないことを音に変えかけた自分を恨むが、不思議そうに視線を上げた日車が聞き逃してくれるはずもなかった。

「君は?」
「……あー、何でもねえ」

 すかさず飛んでくる追撃に対してもすっとぼけることを選ぶ。このことに関して日下部は口を割る気は絶対になかった。どれだけ無理があっても知ったことではない。しかし、となおも日車が食い下がろうとしても揺るがずに、いやマジでド忘れしちまったから、と用もない冷蔵庫に向かう流れで背を向けた。
 そのまま扉を開けて、麦茶を詰めたボトルを取り出す。これ以上は諦めたのか、日車からの追及はもうなかった。

「お前も飲む?」

 険悪とまではいかないが微妙な空気を切り替えようと、シンクにボトルを置いた後、グラスに伸ばしかけた手を止めて尋ねる。首だけで振り返った先、堪えるように目を細めた日車が無言のままこちらへと近付いてくるのに同意と勝手に判断して、二人分のグラスに麦茶を注いだ。
 日車の掌が背中にそっと触れてきたのは、その直後だった。近しい温度のそれは、指先の長い、硬い感触だけを鮮明に伝えてくる。
 かすかに震えた吐息が聞こえて、彼の中で何一つ流せてはいないのがわかる。

「――少しだけ」

 告解めいた静かな声が落ちた。背に触れる手は、振り返らないでほしいとばかりに、ただ添えられただけのまま。日下部は、ただ動かずに続きを待った。

「少しだけ、喜びを感じてしまう自分を、否定しきれずにいる。君に消えない跡を残せた、などと。……君の隣にいる資格は、俺にはない」

 言うだけ言って離れようとする手を引っ掴んだのは反射に近かった。あぁもう、この男ときたら、どこまで。衝動のままに抱き込めば、思ったよりも冷えてきていたのかいやにあたたかなぬくもりが沁みて、余計に堪らない気持ちにさせられる。

「あのねぇ……!」

 加減もできているかあやしいままに抱き締める。頭の中はもうぐちゃぐちゃだった。
 馬鹿。こいつホント馬鹿。それで隣にいられないならこっちはとっくにいられなくなってるっての。わかってんのかね? わかってねーよな、絶対。
 腕の内で日車が押し留めようとしてくるけれど、そんなものを許してやるはずもない。

「く、日下部、人の話を」
「ちょっとホント、一旦黙っててくれませんかね」

 真っ当な理屈がなければ納得に至らないくせに自分の中での道理が通らなければ完全に腹落ちもしてくれない面倒な男は、そのまま肩口に押さえ込んで黙らせてしまう。
 例えばこの激情を吐露したところで彼はまっすぐ受け取るのだろうが、あいにく全てつまびらかにしてやれるほどこの胸の内は綺麗なものではないのだ。
 ほんっとに馬鹿だ。何でこんな変なところで鈍くて頭いいくせに頭硬くてめんどくさい奴が、こんなに――。
 だからどれだけ思っても、言葉には一切かえないまま、日車の風呂上がりで下りた髪をくしゃくしゃにかき混ぜるに留める。とはいえそれで日車に伝わるかといえば、背に回しきれずにさまよう腕の気配で戸惑いが勝っているのが嫌でもわかるから、日下部は腕をわずかに緩めると、白旗を上げるように小さく言った。

「……そんな悪いモンでもねえよ。資格とか、そんなん俺がいいっつってんだからそんでいーの」

 お前に付けられた傷だから、とまでは言ってやらないのは最後の意地だった。けれど、妙に鈍感な面こそあれど頭の回転自体は日下部と比べても遜色ない男が相手では、今の一言で十分すぎた、らしい。

「そうか」

 肩口から顔を上げた日車が、さまよわせていた腕を背に回しながら、淡く笑む。
 あー、ったく変なトコ鈍いくせにド級に頭良い奴マジで厄介。意地で飲み込んだ言葉をしっかり汲み取られてしまったのを察して日下部は八つ当たりのように肩口に顎を押し当てる。

「――そう、か」

 噛み締めるようにもう一度呟く日車の声が、いやに染み込むように響く。
 初夏の涼しさの勝る狭いアパートの一室で、抱き締める腕についまた力が籠ったのは、不可抗力というやつだろう。

Comments

  • nanao
    Apr 12th
  • 小夜双☆スカィWeb
    Apr 11th
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