light
The Works "水沫" includes tags such as "日下部篤也", "日車寛見" and more.
水沫/Novel by むーにゃん

水沫

2,832 character(s)5 mins

夜の森で日車を見失うまいと追う日下部。
水辺へ至る追走は、夢か現か……
だから何なんだってくらい、山も谷もない話です

2025年の福岡と大阪での無配を加筆修正しました

1
white
horizontal

 俺はとにかく全速力で走っていた。
 鬱蒼とした木々の森を満月の明かりを頼りに駆け抜け、腰くらいの背丈の草が生い茂る水辺のブッシュまで日車を追い詰めた。
 ――日車のバカ野郎。こんなところまで逃げやがって。冥冥のカラスにいくらかかると思ってやがる。
 俺は心の中でボヤきながら、追えども追えども距離の縮まらない日車の背中を追いかける。
 追いかける俺を構うことなく進んでいく日車。足元の草が脛をくすぐるくらいの丈のになってくると、靴が泥濘んだ地面に沈み込み、生温かい水がじわりと靴の中に入ってきて進みづらい。日車だって同じ状況のはずだろうに、あいつには俺に追いつかせてくれない。
 あいつは俺の方に振り向きもせず、一心不乱に突き進む。俺は、地獄の底へと進んで行くような日車の狂気の背中を見つめながら、一心不乱に追い続けた。
 夜を照らす月を飲み込んでしまったかのようにぽっかりと口を開けている黄黒の池が、生い茂る草の向こうに佇んでいる。日車は振り返ることも微塵の躊躇もなく、ザバザバと水しぶきを立てて行く先をかき分けながら、黄黒の池の中心へと進んでいく。追いかける俺も否が応でも入らざるを得ない。池の浅瀬の水に浮かぶ月の明かりを散らかしながら進んでいくと、泥が足枷のように重たく纏わりついてくる。
 俺は水面を脚で切り開くように大振りに前進した。
 あいつは水位が膝までになっても止まらない。さすがに水の抵抗で進みづらいのか、大きく腕を振り回して進んで行く。腰の高さまで水位が来たら、体を大きく使って進んで行く。
 俺が日車に必死に声をかけても止まることは無く、取り憑かれたように池の中心へと進んでいく。
 濡れて張りつく下着、水を吸って重たいコート、全てが俺の身体の自由を奪い前進を阻む。おかげで日車はかなり先に進んでしまった。
「おーい! ひーぐーるーまーっ! いい加減にしてくれよ!」
 声の限りを尽くして日車の名を呼ぶ。
 俺の声は、水しぶきの音にかき消されて、日車の耳に届かないのか。縮まらない距離に焦燥感が募っていき、冷たい池に晒されているのにヒリヒリとした嫌な熱ささえ感じてしまう。
「おいっ‼ 日車‼ 日車寛見! ひーろーみ――――っ!!」
 前を進む日車が電池が切れたかのようにピタリと止まった。
 日車が首をぐるりと回して俺に振り向いて青白い顔を向けた。
 俺は、ようやく日車が止まったと、安堵したのも束の間、かなり先に居たはずの日車が、急に俺の間合いに入ってきた。日車は縮地法のように流れるような身のこなしで俺と向かい合ってきた。俺は不意を突かれて後ろに半歩、下がってしまい、泥濘に足を取られてしまった。
 そしてそのそのまま、俺は、表情を失っている日車に前方から、首を絞められる格好で、仰向けに水の中に沈められた。

 水面を見上げると、自分の肺の中から吐き出された息が、様々な大きさの泡となって不規則に上へ上へと上っていく。
 水の中で手をばたつかせてみると、沈水性の植物がぬるりと手に絡んで気持ちが悪く、掴んだところで頼りない。
 水面で次々に弾ける気泡が馬乗りになった日車の顔にモザイクをかけていく。
 水の中では全ての音がくぐもり、遠ざかるように聞こえた。
 そうやっておまえは俺の記憶から自分の顔を消していくのか。俺は日車の顔を忘れないように、弾ける気泡の隙間から見える苦悩に歪んだ顔を、水が染みる目で見ていた。
 息が苦しいとか、どうやってこの局面を打破しようとか、そんな気持ちは微塵もなくて、
 ――――乱反射の水面越し見ても三白眼は目立つな。
とか
 ――――抵抗して俺の頸に吉川線をつけちまうと爪の間からこいつの皮膚片が出ちまうな。
とか、そんな事を考えていた。
 酸素が足りなくなってきた脳は、鉛のように徐々に重たくなっていく。
 身体が深く沈められ、錨を繋ぐ鎖のように太く水面へと連なっていた息は、最後の大きなひと吐きを最後に尽きた。
「……すまない。日下部」
 水の中に沈んでいる俺には聞こえないはずのあいつの声が耳元で囁くように聞こえてくる。
 ――俺もとうとう事切れるのか。最期にあいつの声が聞こえるなんて皮肉だな。
 俺があいつを追い詰めちまったんだろう。頭のいいやつだが、人づきあいの巧いタイプではない。
 ――おまえは俺に対する気持ちを履き違えているんだろう。
 だなんて。おまえは俺に苦悩の末に気持ちを伝えてくれたのに。そんなおまえの大切な気持ちを、案件の資料を受け取った時のようにポンと投げるように横に置いてしまった。
「申し訳ない…………すまない、日下部」
 あいつの声がだんだんハッキリ聞こえてくる。
 ――――何度も謝ってくれるな。俺のデリカシーの無さが招いた。
「なぁ、日下部、頼む。申し訳ない」
 ――――分かった。わかったからそんな懇願するように何度も俺を呼ばんでくれ。俺は、終わりの来ない形を選択したいんだ。

 急に強い力で身体を揺さぶられ、重かった頭の中がクリアになっていく。止まっていた呼吸が再開したようだ。
 目を強く開き、肺いっぱいに空気を吸い込むと、味もそっけもない空気が、肺を満たしていた水と置換されていくようだ。
 心臓の鼓動は鼓膜にまで響いてくるように脈となって全身を強く打つ。
「……日下部、寝ている所をすまない。君がこんな無防備に昼寝だなんて珍しいな。だいぶうなされていたぞ」
 仰向けの俺を見下ろす三白眼。
 寝ている俺の顔を真上から覗き込む日車の前髪は濡れ、毛先や顔からは水滴がぼたぼたと落ちて俺の顔を濡らす。
「どうした? 日下部。そんなに驚いた顔をして」
「えっ! あっ……。あぁ……いや……つ、冷てぇじゃねぇか。あんたこそ、どうしたんだよ」
「いやなに、今、顔を洗って気づいたんだが、いつもの棚にフェイスタオルが見当たらなくてな……君がまた洗濯物を畳んでいないようだから……」
「あ、いや、まぁ……。そうだ、あんたが来る前にまとめてやろうと思って……。そう……。あんたが、俺の家に……来る……前に」
「なんだ? 歯切れが悪いな君らしくない。悪い夢でも見てたのか?」
 俺を心配そうに覗き込む日車から、ポタポタと水が滴り落ちる。
 ――顔を洗ってタオルがなけりゃ、てめぇの服でなんとかすりゃぁいいだけだろうに。
 無表情で人様の顔にポタポタ水を垂らしながら覗き込む日車の通常運転に、現実うつつであることを思い知らされ、胸いっぱい大きく息を吐く。
 夢は記憶から生まれるのか、そうなって欲しくない願望から生まれるのか。
 確実に後者だろうと、俺の斜め上の感覚を持つこの天才の顔を見て、そう思った。


 俺が社会通念に縛られて誤った選択をしてしまいそうだったあの時の苦みが、時折、俺の表面を目の細かい紙やすりでひと撫で引っかいては苦しめる。

Comments

  • 小夜双☆スカィWeb
    Feb 3rd
Potentially sensitive contents will not be featured in the list.
© pixiv
Popular illust tags
Popular novel tags