ホラー短編小説「木目」Part.11

第11話「増殖する傷」


「やめて!
山田さん、正気に戻って!」

鈴木は両手で顔を覆い、
ベッドの上で激しく身を捩った。

だが山田は、
カッターナイフを持たない左手で
鈴木の肩を乱暴に押さえつけ、
ベッドに縫い留めた。

「じっとしてろ!
髪が交差してる、線が重なってる!
これじゃ顔に見えてしまうんだ!!」

山田の目は完全に焦点が合い、
狂気に支配されていた。

カッターの刃が、
鈴木の額に張り付いた前髪へと近づく。

鈴木は恐怖のあまり声も出せず、
ただ涙をポロポロと流して目を強く閉じた。

刃先が、鈴木の髪の毛に触れる。

その瞬間。

「やめてええっ!!」

鈴木は生存本能から、
決死の力で
山田の胸を
両手で強く突き飛ばした。

「ぐわっ!」

不意を突かれた山田はバランスを崩し、
ベッドから後方へとよろめいた。

もつれた足がパイプ椅子に引っかかり、
山田の体は
無防備に真っ白な壁へと激突した。

ズバァンッ!!

鈍い衝突音と共に、
山田の右手に握られていたカッターナイフが、
壁紙を斜めに深く切り裂いた。

石膏ボードまで達する深い傷。

真っ白で無機質だった壁に、
長さ数十センチの
黒々とした「裂け目」が口を開けた。

山田は壁に背中を打ち付けた痛みよりも、
目の前にできたその「黒い線」に
全神経を奪われた。

「あ……ああ……」

カッターを取り落とし、
山田はその場にへたり込んだ。

壁紙の裂け目。

めくれ上がった白い紙のフチ。

むき出しになった裏地の薄暗い影。

それらが複雑に絡み合い、
真っ白だった空間に
「不規則な模様」を生み出してしまった。

「違う、俺じゃない……
こんな模様、あってはならない……」

山田は四つん這いになり、
震える指でその裂け目を塞ごうとした。

しかし、めくれた壁紙は元には戻らない。

押さえつければ押さえつけるほど、シワが寄り、
影の形がいびつに変化していく。

――見える。

壁の傷とシワが、誰かの輪郭に。

見開かれた目に。

苦痛に歪んだ口元に。

「消えろ!
消えろ消えろ消えろ!!」

山田は発狂したように叫び、
床に落ちていたカッターナイフを拾い上げた。

模様を消さなければならない。

このままでは予言が結像してしまう。

鈴木が死ぬ。

山田は壁の裂け目に向かって、
めちゃくちゃにカッターの刃を突き立てた。

ガリッ、ズバッ、バリバリッ!!

壁紙が剥がれ落ち、
石膏ボードが削れ、
白い粉が宙を舞う。

だが、削れば削るほど、傷口は広がり、
断面はより複雑でグロテスクな陰影を生み出していく。

「ああああああっ!!
なぜだ! なぜ増える!!」

山田の狂乱は止まらなかった。

壁の傷から逃れるように振り返ると、
今度はベッドの上の鈴木が目に入る。

鈴木が恐怖で身を縮めているせいで、
真っ白だったシーツに
無数の深いシワが寄っている。

「そこにもある!
シワだ、模様だ!!」

山田はベッドに飛びかかり、
鈴木を避けてシーツにカッターを突き立てた。

ビリィッ!!

布が引き裂かれる嫌な音が響く。

裂けたシーツの下から、
斑模様のマットレスが姿を現す。

「あああ! ここにも模様が!!」

山田は完全に理性を失い、
部屋中の「模様に見えそうなもの」を
次々と破壊し始めた。

カーテンを切り裂き、
枕の中身をぶちまけ、
カーペットを引っ掻き回す。

鈴木は部屋の隅の床にうずくまり、
両耳を塞いで震えることしかできなかった。

飛び交う羽毛、
舞い上がる白い粉、
引き裂かれる布の音。

山田の獣のような喘ぎ声。

数十分後。

「ハァ……ハァ……ハァ……」

息も絶え絶えになった山田は、
カッターを取り落とし、
部屋の中央で膝をついた。

鈴木は恐る恐る目を開け、
部屋の惨状を見た。

絶望で、目の前が真っ暗になった。

あんなに無機質で清潔だった真っ白な密室は、
見る影もなかった。

壁、床、ベッド、家具。

部屋中のありとあらゆる表面が、
カッターによる無数の切り傷、
剥がれた壁紙、
裂けた布の切れ端で覆い尽くされている。

それはもはや、
一つの巨大な「模様」だった。

山田自身の手によって、
この部屋は
「世界で最も複雑で、
最も不規則な模様に満ちた空間」
へと作り変えられてしまったのだ。

「あ……ああ……」

山田もまた、
自分の作り出した部屋の惨状を
呆然と見回していた。

無数の傷跡が、折り重なり、影を作り、
山田の目に様々な「顔」となって迫ってくる。

佐藤の顔が。高橋の顔が。

そして。

「……朝だ」

山田が虚ろな声で呟いた。

遮光カーテンが引き裂かれた窓から、
薄青い夜明けの光が
部屋の中に差し込み始めていた。

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