掲示板に書き込みをいただいた方の例を、本人のご了解を得て掲載させていただきます。

精神科病院への入院についてです。


私は摂食障害者です。以前、精神科病院で強い精神薬を処方され、服用後、血圧が低下して転倒しました。2人の看護師(男)が飛んできてにやにやしながら着ている洋服を脱がせ、病衣を着せられ、ベッドに手足を縛り付けられました。「やめて!やめて!」と抵抗しましたが無駄でした。縛り付けた紐が強すぎて、手が真っ青になって、痛くて一晩中泣き叫びました。誰も助けてくれませんでした。そこの病院はトイレも汲み取り式であけっぱなし。患者さんが掃除をされられていました。真夏にお風呂が壊れたという理由で、3ヶ月間、入浴できませんでした。私は、青春の大切な一年間を、あの場所ですごしました。


服薬確認できないという理由で、お口あ~んしてお薬を飲まされたりもしました。どろどろになった重い残飯を外の残飯捨てまでふらふらになりながら運びました。私は唯一の摂食障害者でした。過食症の人が途中ではいってきましたが、夜中に誰かのお菓子を盗んだからと保護室に入れられて、親がびっくりして転院させました。私は虐待を受けた人間なので、親は面会にも来ませんでした。入院中に原因不明でなくなった人が何人かいました。原因がわかっているのは、強いお薬を飲んで便秘が続いて(そのことを言えないで)腸閉塞で亡くなったおばあちゃんです。家族の人がひきとりに来ましたが、病院側は知らん顔していました。普通に会話をしていた統合失調症の少女が、数ヶ月保護室に入れられ、出てきたときは廃人みたいになっていました。恐ろしい場所です。こんな告白をしたら、罰せられそうで怖いです。


「ルポ精神病棟」という本を読みました。私が入院いた病院が出ていました。ショックを受けました。
 生活訓練の名目で行われる強制労働。
 おやつは決められた品物の中から、一週間に一度、一列に並んで申し込む。カステラ、どら焼き、みかんの缶詰など。取って置きができるものばかり。患者さんは食べることだけが楽しみだから届いた日に全部食べてしまう。看護婦は「太るよ」といって取り上げる。三時のおやつにどらやき一個。
 手紙も封を開けられる。電話するお金ももらえない。
 すごく、すごく、つらかった。
 人権が認められない。動物以下の扱い。

私は19才のとき、自分で食べられる状態だったにもかかわらず、T医師が往診に来ていきなり強い注射を打たれ、そのまま病院に運ばれ、手足をベッドに縛り付けられて一日4000kcal以上の高カロリー輸液を、カテーテルを装着したまま約2週間入れられました。そのショックで、IVHの点滴がはずされるや否や病院を飛び出して自分を傷つけてしまい、そのまま私立の病院に運ばれました。2週間のIVHで足の筋肉が萎えてふらふらと病院へ帰ってきた私に、この医者は「やってくれたな!」と吐き捨てるように言いました。私立の病院は伝統的な精神科病院で摂食障害の治療らしきものはできません。8年間という期間をお布団をかぶったまま精神科の病院の薬漬けの中で過ごすことになりました。

 T医師は摂食障害の本を出しています。この先生に往診を頼んで、診察を受けたら、もう命を捨てたのもの同じです。お薬の量も半端ないです。拒食で弱っているときにも、コンビニの袋がいっぱいになるくらいのお薬を出されました。


今、この瞬間も苦しんでいる人がいるのではないでしょうか?
苦しいということすら感じられない、感情を失ってしまった人がいるのではないでしょうか。これは人災ですよね。
権威というよろいをつけて、私たち弱者を食い物にする人たちのこと、許せない気持ちです。


 彼女は「ゆいこさん」という。

ゆいこさんが体験したような精神科病院の実態は、ときどきニュースでも取り上げられる。たとえば、10年ほど前のことだが、埼玉県庄和町の朝倉病院で、人権無視の拘束、不必要な薬の大量投与(ゆいこさんも経験したIVH(中心静脈栄養法)をほとんどの患者に施していた)、老人患者の不審死をニュースステーションが取り上げ、結果、朝倉病院は翌年の7月、廃止になる、という事件があった。

そんな事件を目にしたり耳にしたりするたびに考えることがある。精神病院、精神科病院というものは、なにか「特別」な場所なのだろうか、と。

そこは自分とはまったく関係のない、特別な人たちが集まる――それは裏を返せば、そういう特別な場所に行くような人にはそれなりのわけがあるはずだという思い――そういう場所なのだろうか?


 正直言えば、以前は私もそんなふうに思っていた一人であると思う。だから、こうした番組も、「ずいぶんひどいことをするものだ」という感想は抱きながらも、自分とは別の世界で起こっている出来事を見ているような安心感をもって眺めていたはずだ。


 だが、はたしてそうだろうか?

 こうした出来事は、あくまでも他人事だろうか?

「ゆいこさん」は「特別な」人間なのだろうか?

 

 そうではない、とやはり思うのだ。

 彼女の場合、きっかけはちょっとした摂食障害である。

それを、どこで、どのような治療を受けるかで、結果がものすごく変わってしまった。ゆいこさんの体験は、数少ない選択肢の中の一つの結果でもあるわけだ。

最初は単なる軽い「うつ」で病院なりクリニックなりを受診したはずなのに、数年後には精神科病院に入院する羽目になっていた、という人はかなりいる。

だから、特別でも何でもないこと。ちょっとしたボタンの掛け違いで、誰の身にも起こりうる出来事なのだと思う。

 そして、精神科病院へ入院すれば、多かれ少なかれゆいこさんが体験したようなことを(病状の軽重とは無関係に)体験する羽目になる。



泣いても、叫んでも、届かない
自分の主張が全部踏み倒される。
権威に踏み倒される。
人権が平気で無視される。

それはどれほど恐ろしい世界だろう。

「精神医療は牧畜業だ」、かつて日本医師会会長だった武見太郎をしてこう言わしめた日本の精神病院。

昭和59年に起きた「宇都宮病院事件」を受けて、国連の法律家委員会は、時の首相中曽根総理に書状を送り、「日本の精神病院に疑義あり。早急に審査委員会を設けられんことを」と勧告している。(それによってできたのが精神保健法だが、外圧で作っただけで、中身はさっぱり)。

こんな数字がある。(2006年6月厚生労働省の調査。それ以降、なぜか厚労省はこうした数字を出していない)。

現在日本で精神科の病棟に入院しているのは、約32万人。

1ヵ月月で治療を終えたとして退院している人は、約200人。

「死亡」退院の人は1ヵ月で、約1200人。(つまり1年で1万4400人、ちなみに交通事故の死者は約4000人である)。

10年以上入院歴のある人は、約9万1000人。

20年以上入院歴のある人は、約4万8000人。

これらは効果的な治療がなされていれば絶対にあり得ない数字である。

ちなみに、イギリスでは、5年以上の在院者は、全入院者のわずか2パーセントだ。

そして、元新聞記者の大熊一夫氏の最近の書物『精神病院を捨てたイタリア、捨てない日本』という題名が示す通り、イタリアはいまから30年も前に、精神病院というシステムそのものを廃止した。

イギリス、イタリアとこの日本の違いは何なのだろう?

イタリアの廃止された病院の一つサンジョバンニ病院の壁一面には、「自由こそ治療だ!」そんな落書きが大書されていたという。



こうした世界の動きを知るにつけ、日本の精神科病院の、昔も今も変わらぬ状態を私はどう表現していいのかわからなくなる。

しかし、それは「病院」だけのことではないはずだ。町のメンタルクリニック、心療内科も同じこうした精神医療の先にあり、精神科医という同じ範疇の人たちによって運営されているのだから、おそらくは同じ文化、同じ空気、同じ匂いが漂っているのはむしろ当然である。

もちろん、患者のためさまざまな改善に取り組み、努力を惜しまない病院、クリニック、医師も確かにいる。しかし、いまはそうしたことを言い訳にして、肝心の問題点をぼかす時ではないと思うのだ。

理不尽な、人権を無視した、強制的で差別的、そして薬漬けで営利主義的な精神科病院。そうした精神科病院の現状が変わらない限り、それと根を同じにする町のメンタルクリニックの現状も変わらないのかもしれない。

とすれば、やはり、精神科病院で行われていることは、私たちにとって決して他人事ではない。私が精神科病院に? まさか……。しかし、現に入院している人の多くが、まさか自分が、と感じているはずなのだ。


誰かひとりでもわかってくれる人がいるというだけで、生きる勇気が沸いてきます。一般人には知られていないけれど、一生無縁でいられる人は少ないでしょう。
 私ももし体験しなかったら、知らない世界に終わっていたかもしれません。

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