ホラー短編小説「木目」Part.4

第4話「忠告」


翌朝。

一睡もできなかった山田は、
始発の電車で
誰よりも早くオフィスに出社していた。

目の下には濃い隈ができ、
胃の奥には
鉛を飲み込んだような
重苦しい吐き気が居座っている。

午前八時半。

オフィスのドアが開き、
出社してきた高橋の姿を見た瞬間、
山田は弾かれたように立ち上がり、
すがりつくように
その両肩を力任せに掴んだ。

「おっ……!?
なんだ山田、痛ぇな」

高橋は目を丸くして山田を見返した。

生きていた。

首も真っ直ぐだ。

山田は安堵のあまり、
その場にへたり込みそうになるのを必死に堪えた。

「高橋さん……よかった。
お願いです、私の言うことを聞いてください」

「どうしたんだよ、血走りすぎだぞ。
顔色も最悪じゃないか」

高橋は困惑しながらも、
山田の尋常ではない様子に声を潜めた。

「今日は、絶対に一人にならないでください。
それから、高いところ……
階段の昇り降りや、窓際にも近づかないでください。
絶対にです」

山田の懇願を聞いた高橋は、
怪訝な顔をした後、
ふうと短く息を吐いて
山田の肩をポンと叩いた。

「……佐藤のことか。
お前、あいつの事故を一番近くで見たからな。
ショックで参ってるんだ。無理もない」

「違います、そうじゃないんです!
私は見たんです、高橋さんが――」

『木目のシミに、
首の折れたあなたの死顔が浮かんでいた』

そんなことを言えば、
完全に狂人扱いされて
精神科に送られるだけだ。

山田は言葉を飲み込み、
奥歯をギリリと噛み締めた。

「とにかく、嫌な予感がするんです。

佐藤の時と同じ、
とてつもなく嫌な予感が。

だから今日は、
私と一緒に行動してください。

お願いします」

山田の必死の形相に気圧されたのか、
高橋は苦笑いしながら頭を掻いた。

「わかった、わかったよ。

今日は一日中オフィスでの事務作業だしな。

お前がそこまで言うなら、おとなしくしてるよ」

そう言って、高橋は
自分のデスクに向かいながら、
無意識に首を傾けて
ボキッ、ボキッと骨を鳴らした。

その乾いた音が、
山田の脳裏に
昨夜の「真横に折れ曲がった首」のビジョンをフラッシュバックさせ、
山田はヒッと息を飲んだ。

始業時間が過ぎ、
オフィスに日常の喧騒が戻る。

しかし山田にとって、
そこはもはや安全な場所ではなかった。

オフィスのデスクの間仕切り、
床のフローリング調のタイル、
キャビネットの木目調の装飾。

視界の端に映るあらゆる不規則な模様が、
山田の網膜をチカチカと刺激してくる。

油断して模様を見つめてしまえば、
また「結像」してしまう。

佐藤の時のような、
あるいは高橋の時のような、
見てはならない未来の死顔が。

山田は極端に猫背になり、
パソコンの真っ白な画面と、
手元の無地のコピー用紙だけを凝視して仕事をした。

「山田さん、本当に大丈夫ですか?
少し休んだ方が……」

隣の席の鈴木が、
心配そうに声をかけてきた。

彼女の聡明な目は、
山田が何か異常なものに怯えていることを
正確に見抜いているようだった。

「大丈夫だ、鈴木。
少し寝不足なだけだから」

山田は画面から目を離さずに答えた。

鈴木を巻き込むわけにはいかない。

今日一日、自分が監視して、
高橋の死の運命をやり過ごす。

それだけだ。

午後を回った頃から、
窓の外の空が急速に鉛色に濁り始めた。

遠くで低い雷鳴が響き、
バチバチと窓ガラスを叩きつけるような
猛烈なゲリラ豪雨が降り出した。

オフィス内が急に薄暗くなり、
蛍光灯の光が頼りなく瞬く。

午後五時。

定時が近づいたその時、
オフィス全体に「プツッ」という鈍い音が響き、
すべての照明とパソコンの電源が落ちた。

「うおっ、停電か?」

高橋の驚く声が暗闇に響く。

窓の外の分厚い雨雲のせいで、
室内は夜のように暗い。

非常灯の緑色の光だけが、
壁や床に不気味な影を落とし始めた。

「雷の影響で、
この区画一帯が停電したみたいです。

ビルのエレベーターも止まってますね」

スマホで情報を確認した鈴木が、
冷静に告げた。

エレベーターが止まっている。

山田の心臓がドクンと大きく跳ねた。

ここはビルの六階だ。

帰るためには、非常階段を使わなければならない。

「仕方ない、今日はもう上がろう。
パソコンも使えねえしな」

高橋が荷物をまとめながら立ち上がる。

「待ってください!
高橋さん、電気が復旧するまでここにいましょう。
階段は危険です!」

「馬鹿言え、いつ復旧するかわからないんだぞ。
スマホのライトで足元照らせば平気だって」

暗闇の中、
緑色の非常灯に照らされた高橋の顔が、
どこか苛立っているように見えた。

山田の異常な執着に、
高橋自身も無意識のストレスを感じ始めているのだ。

「山田、
お前は少し神経質になりすぎだ。
俺は帰るぞ」

高橋は山田の制止を振り切り、
一人でオフィスのドアを開けて
薄暗い廊下へと出て行った。

山田は慌ててその後を追う。

絶対に、階段に行かせてはいけない。

あの不気味な足音がする、暗い階段へ。

山田の耳に、雨音に混じって、
あの「ペタ……ペタ……」という濡れた足音が、
廊下の奥から微かに聞こえ始めていた。

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