【デーブ大久保コラム】故郷の大先輩からの「悪魔の声」プロ野球人生初盗塁の苦い思い出
【デーブ大久保の「さあ、話しましょう!」】 「裏筑波」ではなく「表筑波」の出身だと言い張る広沢克己さん。ロサンゼルス五輪にも大学生として出場し、金メダルを獲得した選手。3球団から1位指名されるのは必然でした。 【選手データ】広沢克己 プロフィール・通算成績 そんな広沢さんと一度、豊田泰光さんの仲介でお会いしましたが、それ以降はプロに入ってからは接触できる機会はほぼありませんでした。何しろ広沢さんは超がつく即戦力選手。1年目から110試合出場して18本塁打を記録しているのですから、二軍に来ることはありません。 一方、同じドラフト1位でありながら、二軍でしか活躍できない私は一軍に行ったり、二軍に戻ったり。しかも当時、交流戦はありませんから、広沢さんとはまったく接点はありませんでした。1992年の5月に巨人へトレードで移籍して対戦するようになってからですね、本格的にあいさつや話をするようになったのは。 故郷の先輩でしたから、試合前などはあいさつをしたりして仲良くさせてもらいました。あれは93年シーズンでした。ヤクルト戦で私は四球で塁に出ます。このときの先発投手は石井一久でした。一塁走者の私をいないかのような扱いをするんです(笑)。当然走ってくるはずがない、と信じ切っています。 当然ですよね、それまでプロ野球で盗塁を一度も仕掛けたことがないのですから。そんなとき、敵のヤクルト側から「悪魔の声」が聞こえてきました。そうです。先輩・広沢さんです。一塁手なので、ベース上で軽く言葉を交わすことができます。 「デーブ、走っちゃえよ……石井はまったく警戒してないから、成功するから、走っちゃえ」 敵なのに、こんなアドバイスありますか? もしかしたら罠? と思いながら一塁ベースコーチをされていた中畑(中畑清)さんに「師匠、走っていいですか?」と聞いて許可を得ました。思い切って走ってみると……無警戒ですから悠々のセーフになりました。 この選択はしてはいけませんでした! ヤクルトの捕手は当時球界No.1の古田(古田敦也)さんです。当時の盗塁阻止率は異常なほどでした。そんな名捕手のプライドを傷つけたのだと思います。次の打席では、抑えの高津(高津臣吾)から内角攻めをされ、結局死球を受けてしまいます。私の打撃フォームは、ベース方向に踏み込んで打つタイプ。高津の真っすぐが内角にシュート気味に入り込んできて左手首に当たりました。 病院で診察の結果骨折でした。この年はその影響で40試合の出場に終わりました。10年間の一軍生活の中で唯一の「盗塁」の記憶は、広沢さんとの記憶でもあります。「悪魔の声」を聞いていなければ……とは思いますが、今ではネタとして皆さんにお話しできますから、良かったです(笑)。その後、広沢さんは95年にFAで巨人に移籍。一緒にプレーすることになります。
週刊ベースボール