[篤寛]居酒屋あつや・8[現パロ]
部下から手土産を持たされた寛と伊地のお土産のお話。
2023/11/09:たくさんのスタンプ、いいね、ブクマをありがとうございます♪好きに書いたものに好評値されるのはとてもとても嬉しいです! どこが良かったなどお伝えいただけるとなおのこと勉強になります! 重ねてありがとうございます(^人^)
- 36
- 23
- 752
「日車さん、最近眉間の皺取れましたよね」
部下のその言葉に一呼吸置きつつ眉間に指を当て、「そうか?」と日車は答える。
それに部下の清水は「それにここずっと良い意味で力抜けてるみたいですし」とじっと日車の様子を伺った。
日車はそれに首を傾げ、またも「そうか?」と答える。
仕舞いに清水が「良い人見つけたみたいですね。これ、その人に渡してください」と言われて答える間も無く何か紙袋を渡されてしまった。
日車の頭の中に浮かんだのは例の笑顔がとても良い店主のことだ。
狼狽するあまり日車は清水に何も言えず紙袋を手にそのままに、「いつも上司がお世話になってますって伝えておいてください」とまで言われて送り出されてしまった。
(女性は勘が鋭いと言うが……)
最早茫然としたまま帰路へつき、行き着いたのはいつもの店、「居酒屋あつや」である。
(そうなるつもりはないのだが……)
そうなるのが自然の流れなのかと煩悶しつつ、日車はいつもとは少し違う意味で弾んだ心臓のまま、暖簾をくぐった。
「お! 日車さん! こっちこっち!」
いつも通り手招きされ、カウンターのいつもの予約席のように空いている席へ座る。
今夜は何を食べようかと考えつつ、手元を見ればしっかり存在を主張する、部下に持たされた手土産の紙袋。
(これを、『いつも上司が世話になっている』と言って渡すのか……)
なんとも背がこそばゆい。
この際鳥肌が立ちそうだ。
嫌だからではなく、部下の清水にまでこの店のことが知れたら嫌だなという、日車の一種のテリトリー意識のようなものからだった。
けれども渡せと言われたものを自分のものにするのも、元の渡した人間に返すのも忍びないし失礼に当たる。
仕方なしに日車が店主の日下部に渡そうとすると、日下部が日車に気づいてニカっと笑った。
これだけで、一日中書類と格闘しながら走り回った心身の疲れが吹っ飛ぶ気がする。
「日下部さん、これなんだが、清水という部下に上司がいつも世話になっているという旨を伝えてくれと渡された。受け取ってくれ」
それに日下部は一瞬無の表情になった後、日車がそれに気づいて何か不味いことでもしでかしたかと思い疑問視する前に、カラッと笑い「こっちの方がいつも贔屓にしてもらってお世話になってますよっと」と日車の手を空にした。
「何が入ってるんで?」
「確かめていない」
「そ。んじゃあ、見てみますかねぇ」
ガサゴソと紙袋を開けると、出てきたのは黄色くて細長いヒラぺったいものだった。
それに日車は首を捻ったが、日下部は一転喜色を見せる。
日車はなんとなく気に食わなくて、自分ならと考えはたとそれに気づいて慌てて打ち消し、打ち消した勢いそのままに疑問を口にした。
「なんだ? それは」
「んんー? 日車さん知らねえかぁ。さつまいもの一本干しですよ」
「食べ物か」
「手に入れるの地元でも大変だってこれ作ってるとこに住んでる知り合いに聴きましたよ?」
「美味いのか?」
「それは食べをてのお楽しみ〜! さーて、今夜なんにします? 個人的に魚お勧めしますけど」
「では、魚で」
「はいよ!」
そう言いながら日下部はにっかり笑い、いそいそと日車の手土産を温度と湿度の低い場所に仕舞うと、コンロの上の鍋からお玉で何か掬って小鉢に入れて、ビールと一緒に日車の前に置いた。
「ふっふっふっ、この間の豚の角煮の煮汁で煮込んだ卵です!」
「美味そうだな」
「ま、中まで沁み沁みしてたら成功ですがね」
そう言って日下部が厨房へ行くと、その背中を見送ってから手元に視線を落として煮卵を見つめる。
見るからに味がしっかり沁みていそうで美味そうだった。
今日は百年ぶりに十一月の最高気温を更新したらしく暑かった。
夜になってもアスファルトのせいでまだ暑さが残っていて、喉に流し込んだビールが美味い。
「さて」
呟くと、日車は煮卵を箸で挟んで一口で食べてしまう。
白身にも黄身にも角煮の煮汁が沁み沁みに沁み込み、固茹での卵がまた絶妙なバランスで味に深みを出していた。
特に黄身の部分に煮汁が沁み込むと、まろやかさが一層極まり美味い。
きっと長時間煮込んだのだろうと、小鉢を覗くともう一つ煮卵がいつの間にか追加で入っていて、日車はそれにニンマリ笑う。
日下部は今野菜を炒めていた。
見れば固いものから炒めているようだ。
野菜炒めは肉よりも野菜を先に炒めないと肉がパサパサになることを、日車は知らない。
知らぬままにそこで目を煮卵へ移した日車は、二つ目の煮卵を目で楽しんでいたのを歯と味蕾で堪能する。
あまりの美味さに「持ち帰りたい……」と唸っていると、日下部が苦笑しながら「すみませんが卵切れですわ」と鯖の文化干しとたっぷりの野菜炒めと豆腐の味噌汁と真っ白なご飯を日車の目の前にことん、ことん、と置いていった。
「この鯖は伊地知からの土産物です。親戚から送られてきたのは良いけど量が多すぎるってんで店に持ってこられました」
「…。伊地知さんと言うと、うどんのぶっかけの人か」
「ブッハ! ハハ! ええ! そうです! ハハハハハ! うどんのぶっかけの人ですよ! よく覚えてましたねぇ」
「笑わないでくれ。あと、仕事柄顔を覚えるのは得意だ。…これも美味そうだな」
日車は伊地知もかとチリと心臓を刺す痛みを伴ったことを忘れるために話題を切り替えた。
それに日下部も気づいて笑うのをなんとか収めて日車の言葉に言葉を返す。
「それ渡してきた当人曰く文化干しじゃなくて天日干しらしいですよ」
「ああ、機械か手で干すかか」
「らしいですね。伊地知がぷりぷり怒りながらそれでもどこか嬉しそうに自慢たらしく言ってましたよ」
「いや、お裾分けは客としてはありがたいな」
「ま、こっちも美味そうに食ってくれりゃなんでも良いんで大歓迎ですよってことで食べてくださーい!」
「それでは、いただこう」
先ずは野菜からと野菜炒めに手をつけると、キャベツのシャキシャキ感に病みつきになって止まらなくなる。
歯応えが良くてジューシーな豚バラの脂と絡んでこれまた美味い。
結局食べ切り、豆腐の味噌汁を一口飲んだ。
豆腐は最近近辺では見かけなくなった手作り豆腐の店らしく、この辺りの住人は豆腐と言えばそこの豆腐を朝から買いに行くと日下部は日車に答える。
日車はここの豆腐を食べる度思うが、豆腐単体だけでも酒が進みそうなほど滋味が強く美味いのだ。
(今度その店を教えてもらおうか……)
是非とも酒の肴にしたいともうひと口味噌汁を飲んで食べると、リセットするために水を飲む。
冷水と緑茶があり、こちらはセルフサービスだ。
日車は食後の場合はいつも緑茶の方を飲む。
この緑茶も粉末だが、まるで抹茶のように甘くて香り豊かで、それでいて苦過ぎず甘過ぎず口の中がさっぱりして食後にも食間でもちょうど良い。
これも今度と言わず今夜の会計の時にでもどこの店のか聞こうかと日車は心にメモしつつ、いざ、鯖の天日干しである。
一口食べて旨みと脂が口の中に広がった。
魚独特のあの生臭みが全く無く、けれども魚を食べていると言う感覚はしっかりとある。
そんな不思議な感覚に、日車は日下部と鯖の天日干しを交互に見遣った。
日下部はそんな日車を見て、「やっぱ天然と機械じゃ手間暇がかかる分違いますか」と少し締め付ける胸を無視してやんわり笑う。
日車はその変化に気付いてやってしまったと思うも、天日干しに罪はなしと誤魔化し「ああ、そうらしいな」とだけ答えてあとは黙々と食べ続けた。
日車が締めの緑茶を飲み干し席を立つと、日下部が何かを持ってレジの前に来た。
今夜も五百円ポッキリの会計を済ましたあと、そう言えばと日車は緑茶と豆腐の店を教えてもらおうと口を開くと、日下部が手に持った風呂敷で包んだ何かを日車へ手渡す。
「これは?」
「家で開けてみてください。甘いの苦手でなければ酒の当てにも良いですから」
「そうか。いただこう。風呂敷は今度来る時に返す」
「そのまま持っててくれてもいいですよ?」
日下部の何気ないであろうその言葉と笑顔に、日車はどきりとしてしまう。
次からこの風呂敷を介して日下部と贈り合いをするということか? と思ったからだ。
しかし、その思い、簡単で短絡な言葉で言うところの喜びを隠して、日車は「今度この店で出している豆腐と緑茶の店を教えてくれ」と風呂敷を持った手を挨拶代わりに挙げる。
日下部はそれに「はいよ! なんだったら案内しますよ?!」と笑い、双方いくばくかのモヤモヤを抱えつつ、それと共にくすぐったく年甲斐もない思いにどこか歌い出したい気持ちで店先で別れたのだった。
さて、家に着いて電気をつけた日車は、その殺風景さと寒々しさにため息をこぼしつつ、それでも今夜は日下部に持たされた風呂敷包みがあると切り替えリビングへ行きテーブルに風呂敷包みを置く。
解いていくと、何やら見覚えのある物体。
それは、日車が部下の清水に持たされた手土産の一部であった。
キッチンへ行き、「さて、甘いものに合う酒は、と。いや、芋だから芋焼酎が良いか?」と酒の置き場と化している冷蔵庫の野菜室を除いてうんうん唸る。
そうして、日車の夜は更けて行った。
この時の日車はひたすら美味い酒を飲み美味い肴を食べることに夢中で、翌朝事務所にて部下の清水に「クマ出来てますよ日車さん! 体調管理も仕事のうちって日車さんが言ってたんじゃないですか!」とお小言を貰うことになるとは知りもしないのだった。