夏子の部屋 ゲスト:プロフィギュアスケーター・浅田真央 〜前編〜 後輩に手渡したいものは何ですか?

夜な夜な世界中から様々な分野の著名人が訪れる、1日1組の完全紹介制フレンチレストラン〈été〉。オーナーシェフの庄司夏子さんは、女性がマイノリティと言われる料理業界において24歳で独立開業し、2022年にはアジアの最優秀女性シェフ賞に輝いた。2025年には〈ティファニー 銀座〉に〈Blue Box Café by Natsuko Shoji〉をオープン。世界的なブランドとの協業という新たな舞台で、さらなる挑戦を進めている。彼女がシンパシーを感じ、会いたいと思う人に会いに行くこの連載。

今回ゲストに迎えたのは、プロフィギュアスケーター・指導者の浅田真央さん。約10年前に出会い、競うことから、後世を育てるフェーズへと移行したふたり。対談の前半では、異なる分野にいながら、驚くほど似通ったふたりの仕事観が浮かび上がりました。

photo: Yu Inohara / text: Mariko Uramoto

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私たちは、どこか似ている

庄司夏子

真央さん、お久しぶりです。最初にお会いしたときのこと、覚えてますか?

浅田真央

覚えてます!10年くらい前、共通の知人の方のおうちに遊びに行ったときですよね。そこでバーベキューをして、なっちゃんがお肉を焼いてくれて。そして〈été〉のマンゴーのケーキを持ってきてくださった。

24歳から自分でレストランをやっていると聞いて、同世代でそんなすごいことをやっている人がいるんだって感動したんです。

庄司

こちらこそ、10代の頃から同世代の真央さんが日本を代表して戦っている姿を見て、たくさん力をいただいていたので、会えてうれしかったです。

浅田

出会ってから10年の間に、私は26歳で選手を引退して、プロのスケーターに転向。2024年に自分でプロデュースをしたアイススケートリンク〈MAO RINK TACHIKAWA TACHIHI〉を東京・立川にオープンしました。そして、昨年からはそのリンクを拠点に、指導者として子どもたちに日々レッスンをしています。

なっちゃんは24歳で〈été〉を始めて、昨年〈ティファニー 銀座〉に〈Blue Box Café by Natsuko Shoji〉を開業されたんですよね。今は若手の育成にも励んでいらっしゃると伺いました。なんだか私たちのキャリアってすごく似ているなと思っていて。

庄司

本当にそうですね。お互い、トロフィーやメダルをつかみにいっていた時代を経て、今の活動がある。真央さんはリンクのプロデュースや指導者になることは現役時代から考えていましたか?

浅田

頭の片隅にはありました。ただ、引退してまず考えたのは、応援してくださった方々に感謝を届けたいということ。それで、26歳から33歳まで全国を回るアイスショーに注力したんです。

そのツアーが終わった頃、立川の再開発に携わる方と出会い、自分の理想のリンク構想をお伝えしたことがきっかけで、プロデュースに関わることになりました。

庄司

〈MAO RINK TACHIKAWA TACHIHI〉はスケートリンクに加えて、バレエや筋トレなどができるスタジオやレストランも備えているそうですね。

浅田

そうなんです。現役時代は氷上練習に加えてバレエやダンス、新体操、陸上トレーニングなどのレッスンも欠かせなかったのですが、すべての練習場が別々の場所にあるので、移動がとても大変でした。だから、すべてが一カ所で完結する環境をつくりたいなと。選手が成長しやすい場を整えることが、自分の役割だと考えています。

“好き”でいられる場所をつくる

庄司

昨年、開校されたフィギュアスケートクラブ「木下MAOアカデミー」では、週6日お子さんの指導にあたっているそうですが、選手から指導者になって、フィギュアスケートへの向き合い方は変わりましたか?

浅田

まったく違います。選手のときは自分の結果に責任を持てばよかったけれど、今は生徒の人生も背負っているので。全国から親御さんと一緒に移り住んできてくれた生徒も多いので、その覚悟に応えたいと思っています。なっちゃんはどうですか?

庄司

私もまったく違うフェーズに入ったなと思っています。〈été〉は6席でしたが、今は74席。規模もオペレーションも違うし、覚悟も大きく変わりました。

浅田

あえてそこに飛び込んだ理由は?

庄司

この仕事で出会えた人たちに恩返しがしたいと思ったからです。飲食業界は慢性的な人手不足が続いていますが、私はこの世界にいたから、素敵な人との出会いをたくさんいただいたんですね。だから、料理人の仕事の魅力をもっと伝えたい。ただ、一人では限界があるので、ティファニーという場を通して、より多くの人に届けられるのではないかと。

ディレクターという立場なので、私が現場に立たずとも、店が回るやり方もあるとは思いますが、自分が料理に向き合う姿勢は現場でしか伝わらないと思っていて。なので、今は〈été〉を閉めて、毎日店に立っています。

浅田

そうだったんですね。私も6歳から10歳の子どもたちを指導していますが、何より伝えたいのは、諦めず、コツコツ続けること。そのために、まずは自分が全力で向き合う姿を見せたいと思っています。

楽しいだけじゃ、続かない。苦しいだけでも、続かない

浅田

私は現役時代、朝から夜まで窓のない室内リンクで過ごす毎日でした。外の景色を見ることなく、一日が終わってしまうこともあって。だから、〈MAO RINK TACHIKAWA TACHIHI〉のサブリンクには大きな窓を設けて、外の景色が見えるようにしました。子どもたちには、四季の移ろいを感じながらスケートを楽しんでほしいなと思っています。

庄司

素敵ですね。私も修業時代に感じた課題を、自分の店から変えていきたいと思っています。たとえば、料理が好きなのに、人間関係がうまくいかなくて店をやめていった人たちをたくさん見てきました。職場って、家族以上に長い時間を共にする場所でもある。

だからこそ、スタッフが「今日も仕事に行きたい」と思える環境をつくりたいんです。もちろん大変なこともありますが、それでも前向きな気持ちで働けることが、結果的に業界全体を良くしていくことにつながるのではないかと思っています。

浅田

すごくよくわかります。私自身、競技生活は楽しいという気持ちがあったから続けられたと思っています。

庄司

現役時代、楽しむ気持ちを失いそうになったことはありませんか?

浅田

あります。でも、自分が決めた目標は、どんなことがあっても諦めたら後悔すると思ったので。自分が壊れそうになるまでやる、というスタンスでした。

庄司

壊れそうになるまでやる姿勢って、今はなかなか理解されづらい気がするんです。私は真央さんと同じように自分の限界を超えてでも、やりきりたいと思うタイプ。でも、スタッフには自分と同じ熱量で向きうことを強要はできない。真央さんはなぜそこまでやりきろうと思えるのでしょう?

浅田

幼い頃から、決めたことは最後までやり抜く性格だったのだと思います。ただ、教え子たちに同じように求めるのは難しい。だからこそ、一人ひとりの性格や特性に合わせて伝え方を変えています。その上で、「勝ちたいならやりなさい。負けてもいいなら、やめてもいいよ」と伝えています。そうすると、「負けたくない」と、自分から練習に向き合ってくれる。

大切なのは、自分でやりたいと思う気持ちを育てることかもしれません。私自身、そうした指導があって、多くの気づきや学びがありました。だから今は、その経験を次の世代に還元したい。教え子たちが少しでも早く成長し、その先へ進めるように。試行錯誤の日々ですが、楽しくやりがいを感じています。

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