「命のビザ」伝説の虚構
早稲田大学の正門を入り、大隈重信像を過ぎて右折すると、14号館の前に高さ1㍍ほどの石碑がある。
「外交官としてではなく 人間として当然の 正しい決断をした 命のビザ発給者 杉原千畝」
そう刻まれた文章を見守るように、杉原のレリーフが配置されている。「千畝」は「ちうね」と読む。早大歴史館で販売されている『キャンパスがミュージアム vol.1』(早大文化推進部、2014年)には、この石碑について次のように説明されている。
杉原千畝(1900-1986年)は日本の外交官で、海外では「センポ・スギハラ」、あるいは「日本のシンドラー」として尊敬されている。
岐阜県に生まれ、早稲田大学高等師範部第一部英語科予科(現、教育学部英語英文科)に入学したが、外務省の官費留学生に合格・採用されたため中退し、後に外交官となる。
第二次世界大戦中のリトアニアの在カウナス日本領事館で、ナチス・ドイツの迫害を受けて逃れてきた多くのユダヤ系難民のために、本国外務省の訓令違反を犯して大量のビザ(後に「命のビザ」と言われる)を発給し続け、およそ6.000人にのぼる人命を救ったことで知られている。
※ 太字は原文ママ
石碑は、早大卒の政財界人で構成される「稲門杉原千畝顕彰会」の寄贈により、2011年に設置されたとある。母校の誇るべき偉人のようだ。解説文は、巷間伝えられている杉原の ” 業績 ” が、簡潔にまとめられている。
石碑建立から10年後の2021年に、杉原にまつわる伝説を覆す本が出版された。『「命のヴィザ」言説の虚構 リトアニアのユダヤ難民に何があったのか?』(菅野賢治、共和国、5200円、以下 『 虚構 』 と記す)である。650㌻近くある、浩瀚な書だ。
著者はフランス語、ユダヤ研究を専門とする東京理科大教授。著者自身も伝説を疑わなかったが、国内外の資料を渉猟・精査すると、外務省の方針に反してまでユダヤ難民をナチスの脅威から救うため、杉原がビザを発給したという事実は確認できなかった。
2019年に著者が大学の授業でユダヤ難民をテーマに取り上げると、「『命のヴィザ』によってユダヤ人を<ホロコースト>から救った杉原さんのような人もいたのだから…」といった受講生の発言やレポートが増え始めた。これを機に、同書を書く覚悟を決めたという。
杉原を 「 義人」「人道の人」 などとして顕彰するのは自由としつつも「少なくとも学校教育の場で、史料の裏づけをもたないナラティヴ(物語=角岡註)を、現代史として、子供たち、若者たちに学ばせることだけはただちに停止しなくてはならない」と警鐘を鳴らしている。
『虚構』によれば、杉原がユダヤ難民たちにビザを発給した1940年の7~8月は、ナチスのユダヤ人迫害は、まだ本格化していなかった。「ナチスによる反ユダヤ政策が、域外追放、域内隔離(ゲットー化)を経て無化・絶滅にシフトするのも早くて翌一九四一年秋以降」(同書)で、アウシュビッツで初めての集団ガス殺が行われるのは、同年9月である。
しかもそれらの全貌が明らかになるのは戦後になってからで、時系列がまるで合わない。
では、なぜ彼らはリトアニアから逃れようとしたのか。杉原のビザ発給時に併合されたソ連によるイデオロギー・信仰の弾圧、資産没収への恐れに加え、同胞からの支援金停止による生活設計の破綻が背景にあった。ナチスの恐怖からではない。
そもそも通過ビザの発給は、外務省に問い合わせる必要はなく、杉原独自の判断で処理できた。また杉原の未公開資料にも、自ら「自主的にビザを発給し始めた」とある。
杉原ビザを精査すると、早い時期にスタンプを使って、大量に自ら発給していたこともわかった。
杉原と外務省の電信記録にも、ビザ発給の許可願いと拒絶に関するそれはない。杉原の権限で発給できたのだから、あろうはずがない。外務省とのやりとりは、従来からあった通過ビザ発給にともなう注意点の確認(たとえば最終渡航先の有無)などである。
元来ソ連は、「難民をリトアニアに放置することは望ましくない」(ソ連高官の暗号電文)と考えており、モスクワでもビザは取得できた。
それではなぜ、ナチスの恐怖におびえるユダヤ難民を救うため、杉原が外務省の意向に反してまで大量のビザを発給した、という伝説が流布したのか?
杉原が1977年と1983年のフジテレビのインタビューで語ったり、亡くなる3年前、83歳で手記を残したり、はたまた杉原の死後に妻の幸子が『六千人の命のビザ――ひとりの日本人外交官がユダヤ人を救った』(朝日ソノラマ、1990年)でそれらに触れたりしたためである。千畝の手記は『決断・命のビザ』(杉原幸子監修、渡辺勝正編著、大正出版、1996年)に収められている。
つまり、美談の発信源は、本人たちにあった。ナチスによるユダヤ人虐殺という ” 絶対悪 ” に乗じた史実の捏造だ。
『虚構』はそれらの伝説を膨大な資料に基づいて論駁したが、その後も史実の誤りが訂正されることはなかった。
2024年8月17日付の読売新聞(大阪本社版)は、社会面で<杉原千畝 ユダヤ系避難民に発給「命のビザ」入国2033人>と報じた。以下、前文を引用する。
第2次世界大戦中に外交官・杉原千畝(1900-86年)がナチス・ドイツから迫害を受けたユダヤ系避難民に発給した「命のビザ」で、日本に入国した避難民は2033人だったことがわかった。避難民が上陸した福井県敦賀市の資料館元館長が解明した。
杉原がビザを発給する前に、リトアニアのユダヤ難民が、ナチスから迫害を受けていたわけではないことは先述した。
この記事によれば、日本に入国した避難民は2033人であり、従来言われていた6000人の3分の1である。意外に少なかったことがニュースなのに、前文にも本文にも、分母を書いていない。
通過ビザは家族に1通なので、その3倍が助かったと見積もられていたが、ほぼ実数だった。これでは<六千人のビザ>という表現は、もう使えない。
ちなみに『虚構』は、読売新聞の書評(2021年9月12日付)で取り上げられている。記者は自社のそれを読んでいなかったのだろうか。
同じく読売新聞の今年1月29日付の国際面に、アウシュビッツ解放80年に関する記事が掲載され、ギラッド・コーヘン駐日イスラエル大使が寄稿している。一部を引用する。
ホロコースト、つまりユダヤ人に対する大虐殺と、その後のユダヤ民族の復興における不屈の精神を記憶することは非常に重要だ。私たちはワルシャワ・ゲットーにおける闘士やパルチザンたち、そして杉原千畝氏のような「諸国民の中の正義の人々」(ナチスからユダヤ人を救った人々に贈られる称号。世界中の2万人余に贈与された=角岡註)への敬意も払うべきである。杉原千畝氏は「命のビザ」を発行して数千人のユダヤ人を救った「現代のサムライ」であり、また、小辻節三(アブラハム)博士は、ナチスの恐怖から逃れて日本にたどり着いたユダヤ人を支援するために奔走した。彼らの勇気は、道徳的な強さと人間性の模範である。
まだ起きてもいないホロコーストからユダヤ人を救うことができないことは、これまでに述べた。
小辻節三(1899-1973)は、杉原が発給したビザで来日したユダヤ人に、期日の延長などを交渉する際に便宜をはかった。その行動は杉原同様、敬するに値するが、ナチスの恐怖とは関係がない。名前のあとに(アブラハム)とあるのは、彼がユダヤ教徒であるからだ。
多くのユダヤ人が、ナチスの迫害に遭ったのは紛れもない史実ではあるが、それを利用したイスラエルの作為には注意を要する。杉原や小辻を顕彰することによって、ナチスの狂気とユダヤ人の被害者性を浮かび上がらせることができるからである。
2025年5月は、あたかも「命のビザ」伝説の強化月間だった。
19日の深夜に、日本テレビ系列の「NNNドキュメント’25」で、香川県高松市に本社を置く西日本放送が、『みちしるべ 高校生と命のビザ』を放映した。県立高松高校の生徒たちが、3年間にわたって杉原千畝の歩みを追いかけた記録である。
「なぜ、私たちが杉原千畝について学んでいるかというと、妻の幸子さんが高松高校の前身である高松女学校の先輩だからです」
女子生徒が、杉原研究の動機を語っている。
1931(昭和6)年に同校を卒業した幸子は、「学校きっての文学少女」だったという。画面に、彼女が書いた小説が映し出される。10代にして早くも創作意欲が旺盛であった。生徒たちの杉原に関する多くの情報源は、大先輩である幸子の著作『六千人の命のビザ』によっている。
自分が杉原夫妻の立場だったら、ビザを出すかというテーマで、生徒たちが話し合っている。
「国に嫌われたら終わりじゃない?」
「国の方針と違うわけやから、杉浦さん自身も危なくなるのかもしれんし。国にとってもいいことじゃないないわけやから、やっぱりやらないほうがいいのかなと思います」
「ヒトラーの手が及ばないように、ビザは書かない方がいいのかなと思います」
杉原は、国(外務省)の方針に反し、ビザを発給したわけではないが、「命のビザ」伝説を信じる生徒にそれは見えない。
最後のヒトラー云々という意見は、幸子が自著で次のように書いているからである。
日本は四年前の一九三六年にナチス・ドイツと日独防共協定を結んでいました。日本領事館がユダヤ人にビザを発行したとなれば、それはドイツへの敵対行為ともなります。ゲシュタポに命を奪われかねない危険なことだということも、夫も私もよく承知していました。
これに対し『虚構』で著者の菅野は、リトアニアのユダヤ人に対する支援組織の報告に、<移住希望者は、主として「新体制」(ソ連のこと=角岡註)からは将来の見通しがほとんど期待できないと感じた人々などという記述はあっても、私人であれ公人であれ、当地でユダヤ難民の支援者に命の危険が及んだ事例は報告されていない。仮にそうした事実があるとすれば、真っ先に地元のユダヤ人組織の活動家や赤十字職員などが狙われたはずである>と喝破している。
菅野は、幸子の著作『六千人の命のビザ』について、次のように記している。
総じて、幸子のナラティブに満ち満ちているこのナチス恐怖も、リトアニア滞在中の実体験というより、戦後、ナチス・ドイツの蛮行について書物や映画などを通じて得た知識が、彼女の五十年越しの記憶の上に覆いかぶされた結果と見るのが正しかろう。
幸子が70代後半で著した『六千人――』は、杉原のビザ発給から半世紀が過ぎていた。
番組の最後のほうで高松高校の生徒が、近隣の子供を学校に招き、杉原夫妻に関する展示を説明するシーンがある。
「(杉原が)ビザを発給することによって、ナチスドイツと対立してしまって、自分の家族が狙われたりするんじゃないかと、発給をだいぶ悩まれたそうですが、幸子さんが『出してください』と最後に背中を押して、千畝さんの心の支えになったそうです」
伝説は、かくして継承されるのである。
杉原研究を続ける高松高校の在校生は、昨年夏にポーランドのアウシュビッツ強制収容所跡を訪問し、ガス室などを見学した。番組のスタッフも同行している。杉原とナチスの蛮行を結び付けた構成である。
生徒たちは、かつて杉原がビザを発給したリトアニアの旧日本領事館まで足を伸ばしている。幸子著の『六千人の命のビザ』の書影が映し出され、その内容がナレーションで語られる。( )内は角岡の註である。
「(ドイツとソ連のポーランド侵攻後の)1940年、リトアニアに逃れたユダヤ人が駆け込んだ場所が、千畝が領事館代理を務めた日本領事館でした。
門の前に大勢が押し寄せ、求めたのは日本の通過ビザ。生きる道はシベリア鉄道で日本へ渡り、第三国に逃れるしかありません。千畝はユダヤ人にビザを出せるよう外務省に頼みます。しかし返事は『否』。当時ドイツと手を組んでいた日本は認めませんでした。ここで見放せば、ユダヤ人は殺される。しかしビザを出せば、自分や家族がナチスに殺されるかもしれない…」
苦悩する夫、でも彼らを見捨てることはできない――そう述べたあと、テロップが映し出される。
「外務省に背いてビザを出すことにする」
「命のビザ」伝説は、メディアを通しても強化されている。
高松高校の生徒は、ポーランド、リトアニア訪問の次に、イスラエルに行く予定だった。杉原が発給した「命のビザ」で助かった人々やその子孫に会うためである。ところが例の戦争で行けなくなった。
ところで高松高校は、「NPO法人 杉原千畝命のビザ」の理事長・杉原まどかを講演に招いていた。まどかは千畝と幸子の孫である。かつて祖父がユダヤ人にビザを発給したことから、イスラエルのガザ侵攻に対して、彼女のもとに非難めいたメッセージが届くことがあるという。
現実に生起している侵攻と杉原の業績をどう考えればいいのか? 生徒の質問に、まどかが答えている。
「千畝はどんな民族でも助けると言っていました。この話を広げてほしいと思っています」(字幕の太字は、着色して強調されている)
ユダヤ人だから助けたわけではない、それが誰であってもビザを発給したはず、と言いたいらしい。
それはそうかもしれないが、そもそもユダヤ人へのビザ発給とナチス・ドイツを結び付けて語り始めたのは、当の杉原夫妻である。イスラエル批判の目を杉原に向けるのはお門違いだとは思うが、その種を蒔いたのは千畝と幸子だ。
祖父母が特定の民族と ” 絶対悪 ” を結び付けて史実を捏造しておきながら、特定の民族の形勢が悪くなると、孫が、いや、あれはすべての民族にもあてはまる、と言いつくろうのは、さらなる粉飾・欺瞞のような気がしないでもない。被害者が加害者にもなりうることを深く考えなければならないのではないか、と私は思う。
3年間にわたり杉原研究を続けてきた生徒たちは、今春に卒業式を迎えた。杉原夫妻の願いを伝承する象徴として、生徒たちが校庭にバラを植樹するシーンで番組は終わる。
「小さな木に込めたのは命の尊さ、平和の大切さ。杉原夫妻の願いが花開きますように」
最後のナレーションは、万人が共感する言葉かもしれない。だが、モヤモヤしたものが、一視聴者の私には残った。
西日本放送の番組が放映された同じ5月に、ジュニア向けの『杉原千畝 人道第一の決断から学ぶこと』(伊藤千尋、ミネルヴァ書房)が刊行された。「命のビザ」関連本は、これまで数多く出版されているが、類書では最新刊であろう。
著者は元朝日新聞記者で、サンパウロ、バルセロナ、ロサンゼルスの各支局長を務めたベテラン。「はじめに」では、信念を貫いた模範的人物として杉原千畝をこう評している。
ナチスから迫害されたユダヤ人が助けを求めてきたとき、日本政府の命令に背いて彼らにビザを出したのです。その結果、6000人もの命を救いました。教科書にも載ったこともあるので、みなさんも知っているでしょう。
政府の命令に逆らったことが一因で、彼は戦後、外務省を追われました。
早大のパンフと、ほぼ同じ内容である。本文も類書と同じように、杉原の生涯を本人の手記や幸子の著作に基づいて描いている。
「大量の外国人が国内を通過すると治安に責任が持てない。ビザの発給は控えるように」
「大量の難民が日本に来ることになれば難民を運ぶ船会社が輸送に責任を持てないと言っている。だからビザは出してはならない」
ビザ発給に関する外務省とのやりとりは、杉原が書いた手記を引き写してはいるが、何度もいうように、外務省にそのような記録はない。
日本の敗戦後、杉原は外務次官から、「例の件」を理由に退職を言い渡される。
「外務省の命令に反してユダヤ人に大量のビザを発給したことに、杉原はなんら後悔していませんが、職務の命令に違反したことは事実です。それを理由に辞職を迫られたのです」
伊藤の記述は、幸子著の『六千人の命のビザ』をそのままなぞっただけだが、そもそも職務違反などなかったのだから、退職勧告は別の理由が考えられる。
事実、伊藤はこの本で、1992年に渡辺美智雄外務大臣が国会で「訓令違反で処分されたという記録はどこにもない。ビザ発給後も各地で7年間も勤務したのだから処分されたのではない」と答弁したことを明記している。
では、ユダヤ難民をめぐる杉原と外務省のバトルは何だったのか? 確実に言えるのは、杉原夫妻の手記や著作をベースにして千畝の評伝を書くのは危ういということである。
ちなみにこの本には、1968年8月2日付の朝日新聞夕刊の記事が掲載されている。見出しにはこうある。
「ユダヤ難民4000人の恩人 ナチの迫害から守る 杉原さん 大戦中、ビザ交付 イスラエル、息子を留学に招待」
少なくとも68年には、ナチの迫害と外務省との対立の物語は報じられていた。著者の伊藤は記事の写真説明に<杉原千畝の偉業が広く日本に知られるきっかけとなった「朝日新聞」(1968年8月2日)の記事>と書いている。それが事実であれば、朝日は早くから、史実捏造の片棒を担いだことになる。
未来に過ちを犯さないために、正確な歴史を学ぶことは重要である。杉原千畝が、ソ連のリトアニア併合による日本領事館閉鎖の間際に、ユダヤ人のみならず多くの避難民に大量のビザを発給したのは、「外交官としてではなく 人間として当然の 正しい決断をした」(早大構内の石碑)と私も思う。
ただ後に、自らの行いを別のストーリーと結び付け、美化したことは、晩節を汚したに等しい。その背景には、あれだけ働いたのになぜ冷遇するのだという、ノンキャリアだった杉原の外務省に対する怒りがあったと推測するのだが、それもまた別のストーリーである。
正確に史実を知り、伝えることこそが、紛争や戦争を防ぐ最大の方法だと私は信じる。嘘やデマが憎しみを生み、増強させるからである。
時系列で物事を考え、可能なかぎり本人の記述や証言のウラを取り、一次資料にもあたる。歴史に学ぶには、当たり前の作業が必要なのである。<2025・5・31>
《追記》
6月2日放映の『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』(テレビ朝日系列)の「令和の中高生が選ぶ! 昭和のスゴい人物ランキング」で、杉原千畝が第6位に選ばれていた。杉原に関する説明は、
ナチスから迫害されたユダヤ人6000人に、政府の命令を無視してビザを発給した‥‥
という従来の伝説通りだった。
杉原神話は、小中学校の「道徳」の教科書にも取り上げられているので、その成果が10代にも浸透しているようだ。
であるにしても、マスコミがそれに追随するのはどうなのだろうか。
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コメント
6『「命のヴィザ」言説の虚構』にも、リトアニア側の資料が、ふんだんに引用されています。一度、お読みになってください。『第二次大戦下――』読んでみます。
1940年夏に、リトアニアのユダヤ難民が、何から逃れるために杉原千畝にビザの発給をもとめたのかが論点。本文で書いたように時系列で考えることが必要ではないかと考えます。
『第二次大戦下リトアニアの難民と杉原千畝「命のヴィザ」の真相』(シモナス・ストレルツォーバス、赤羽俊昭訳、明石書店、2020年)を読了。著者はリトアニアの歴史学者である。
杉原は、ユダヤ人難民らに通過ビザを発給する直前の1940年7月28日、外務大臣に宛て、リトアニアにソ連の軍隊が進軍し、粛清が始まった内容を報告している。一部を引用する。著者が現代文に変えている。
「粛清が始まった当初から、多くの人々が危険を感じて農村に逃げ込み、ドイツ領に逃げた者も数百名と言われる。ユダヤ人は、日本を経由して米国に向かうためのヴィザを手に入れようと、我が領事館に殺到。その数は毎日百人前後を数えた」
続けて著者は次のように書き、「命のヴィザ」の真相を突いている。
「なぜ杉原千畝が日本を通過するヴィザをあれだけ多く発給したのか、これ以上の説明が必要だろうか。おそらくあるまい。すべては明白ではなかろうか」
ユダヤ難民(その多くはユダヤ教神学校の生徒、教師・学者であるラビ、およびその家族)は、信教の自由を禁じる共産主義国家・ソ連を嫌い、通過ビザの発給を求めて日本領事館に殺到した。
同書の「解題 通説を疑う」で、名城大学の稲葉千晴教授が、「命のビザ」伝説について述べている。
「39年9月から40年夏までにポーランドから(リトアニアに=角岡註)逃れてきたユダヤ難民の85%は、ソ連支配下の東ポーランドから来ている。共産主義の支配下に置かれて思想・宗教弾圧にさらされていたとはいえ、ホロコーストの危険はなかった。残りの15%は、ドイツ支配下の西ポーランドから逃れてきた。すでに同地においてはホロコーストが始まっていた。ただし、たとえば劣悪なワルシャワ・ゲットー(ユダヤ人地区)に、市内在住のユダヤ人が強制移住させられたのは40年10月以降である」
「杉原がユダヤ難民を救った動機はホロコーストではなかった。最晩年の杉原は40数年前の記憶が薄れてしまい、当時の状況を正確に思い出せなかったのだろう。それを転記した妻の回顧録から思わぬ勘違いが流布されてしまった」
当人たちによって、歴史は塗り替えられた。ちなみに この解題は、当時のリトアニアをとりまく情勢と難民の実態、杉原千畝の生涯が、実にコンパクトにまとめられている。