「命のビザ」にソ連の影 杉原千畝の活動を経済利益・軍事情報狙い容認か 露の歴史研究で判明

 第二次大戦の勃発後、外国からの観光客が途絶えたソ連にとり、ユダヤ人難民は貴重な外貨収入源とみなされた。ソ連は極東に逃れるユダヤ人をモスクワに送り、ボリショイ劇場での観劇や高級ホテルへの宿泊などをさせた後に、シベリア鉄道で極東ウラジオストクに移動させた。

 難民1人の旅行代金は200ドル程度だったと推定されている。当時の200ドルは巨額で、多くの難民は親類や慈善機関の支援などを受け、ようやく支払ったといわれる。

 またソ連は当時、海外情報を得るための諜報機関整備が不十分だった。そのためソ連は難民らに情報収集活動への協力を働きかけていたという。

 杉原の軍事情報収集能力をソ連が高く評価していた実態も明らかになりつつある。アルトマン氏によれば、ソ連が特に強い関心を寄せたのは、同国によるリトアニア併合(40年8月)後、杉原が赴任した独ケーニヒスベルク(現在のロシア・カリーニングラード)での活動という。

 杉原は41年5月、現地に日本領事館を開設。バルト海沿岸での独軍の移動の状況などから独ソ戦争開戦(41年6月)のタイミングをほぼ正確に推測し、モスクワの日本大使館、駐独日本大使、日本外務省に電報で伝えていたためだ。

 当時ソ連は日本の暗号を解読する技術を有し、日本側の情報はソ連側に筒抜けだった。杉原が日本などに宛てた3通の電報をめぐっては「ソ連の情報機関だけでなく、政界指導部にもおそらく知れ渡っていた」という。

Google検索で「産経ニュース」を優先表示。ワンクリックで簡単登録

会員限定記事

会員サービス詳細