知恵袋ユーザー

知恵袋ユーザーさん

2018/2/10 11:37

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摂関政治は何で衰退したのですか?

日本史621閲覧

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

みなさん、ありがとうございました。

お礼日時:2018/2/13 17:54

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何をもって「衰退」というのでしょうか? 摂関家という特定の家が摂関に就任する制度は院政期に確立しました。 摂関家が摂関に就くことは明治維新まで行われていて、最後まで公家権門のトップとして君臨しており制度的には衰退はしていません。

摂関政治によって、摂政.関白に権力が集中する理由は、天皇の外祖父というのがあります。藤原道長が築いた全盛期は、道長の娘が次々と入内し、男子を産む、そして幼少時に即位させ、摂政となるという具合です。 道長の長男の頼通は、道長の孫が帝であった時には権力を手にしていましたが、自分の娘を入内させながらも、男子が産まれる事はなく、自身の孫を即位させる事はなかったのです。さらに、頼通とは疎遠な後三条帝の即位により、摂関政治は衰退し、新たに院政や武士の時代へと移っていきました。 おさらいすると、摂関政治は、天皇の外祖父になることにより成り立ちます。もちろん、外祖父でなくても摂政や関白は存在しますが、摂関政治においては、天皇の外祖父になることで権力の集中を招きます。ですから、例え娘を入内させたとしても、男子が産まれなければ意味はなく、長続きするような権力体制ではないという事ですね。

皇室自身が政治をとろうとして、藤原頼通時代に、摂関家を外戚に持たない天皇が、即位したため、摂関家の干渉を受けないことが原因です。その天皇が譲位して、天皇の父として、後見することを始めたため、次第に権力を弱めていきます。