触れる手
日車さんの手が気になる日下部さんと戸惑う日車さん。篤(←)寛に見せかけた篤→←寛。
6/28のイベントで「可愛いひと」以外の短編をまとめたペラッペラの二冊目も発行しようと目論んでいます。その場合、「如何ともし難き体格差」の二人の書下ろしが加わると思います。(※「ある弁護士の災難」は含まれません)なお、こちらは会場限定頒布となります。
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「日下部さん、到着しました」
運転席からかけられた伊地知の声に重だるい瞼を上げ、「お~…」と返事をしながら座席シートにぐっすりと沈ませていた身体を起き上がらせる。緩慢な俺の動作にバックミラー越しの伊地知の眉が下がるのが見えた。
「今回の任務、無理にお願いする形になって申し訳ありません。どうしても他に動ける方がいなくて……」
「あ~、いいって。流石に準一級相当の呪霊相手に二級になりたての奴を宛がうわけにゃいかねえだろ。気にすんな」
本来休み予定だった俺に任務を振らざるを得なかったことに罪悪感を感じているらしい伊地知に片手を振って応え、自力で後部座席のドアを開ける。
「次の任務は明日の夜だったよな?諸々の連絡事項については明日の朝にするよう担当の補助監督に伝えといてくれ」
「承知しました。そのように伝えますのでゆっくり休んでください。お疲れ様でした」
後ろを振り返ってそう言ってきた伊地知に「お前も早めに上がれよ」とだけ声を掛け、車から降りた。
自宅に帰る前に今回の祓除呪霊についての簡単な報告書を作成しておこうと学長室に向かっている途中、廊下の向こう側から黒いスーツ姿の男が歩いてくるのが見えた。補助監督ではない。つい最近、こっちの世界に足を踏み入れた―――否、踏み入れざるを得なかった難儀な男だ。
日車寛見。元優秀な弁護士にして、現天才呪術師だ。
何かの資料を見ながら歩いていた日車だったが、俺の視線に気づいたのか、ふ、と顔を上げ―――あ、という顔をした。知っている顔を見つけての「あ」ではなく、何か拙いものを見つけた時の「あ」だ。しかもさりげなく左手が後ろに隠された。
(……ふぅん)
内心では日車のその反応を怪しみながら、だが表向きにはそんな様子をおくびにも出さず足を進めて距離を縮めていく。
日車は俺の目の前にまで来た時にはいつもの感情が見えない表情になっていて、その顔で「お疲れ様」と声を掛けてきた。
「急遽の任務だったと聞いた。大変だったな」
「まあいつものこった。いずれアンタもこうなるから覚悟しとけよ」
「ああ、分かっている。君の…君たちの負担を少しでも減らせられるよう精進する」
「真面目だねぇ。まあ、ぼちぼち頼むわ。ところで―――手、どうした?」
ポン、と肩を叩き、すれ違いざまに後ろ手に隠されていた手を掬い取って聞いてやれば、装っていたであろう無表情が分かりやすく崩れた。慌てて手を引っ込めようとしたようだが、当然そんなことは許さない。どうせまた何か無茶をしたのだろう、と捕まえた左手に視線を落とし、その形跡を探す。
手の甲―――異常なし。
手の平―――固くなったタコはあるが、他に異常なし。
指、爪―――ささくれや荒れは見られるが、冬の乾燥を考えるとこんなものだろう。異常なし。
手首―――異常なし。
(? 異常ねえな)
両手で日車の左手を裏返したり軽く押してみたりしながらチェックしたものの、慌てて後ろ手に隠すような不都合な理由は見出せない。俺の考えすぎか?と顔を上げて日車を窺えば、日車は何かに耐えるような顔をして俯いている。
外傷は見られないがやはりどこか痛むところでもあるのかと聞くも、「無い」という返事。だがそれにしては様子がおかしい。
(一見して外からは分からないが、内部に干渉する呪いにでもかかっている可能性もあるか……。確か日車も今日は祓除の任務に就いていたはずだからな)
残穢でも残っていないかとさっきより慎重に日車の手を観察してみたが、目視でも異常なし、何らかの呪いの残穢もなし。これは確かに日車の言う通り、本当に何もないのかもしれない。
だが、それなら何故俺から手を隠すようなことをしたのか、そこが分からない。加えて、俺と頑なに目を合わせようとしないその態度も。
単刀直入にそう聞いてやれば、日車は相変わらず俺を見ようとせず掴まれたままの手に視線を固定しながら「それは君が…」と呟いた。
「俺が? なんだよ。俺なんもしてねえぞ?」
日車の左手に俺が何かをした覚えがなく訝しんで聞けば、今までずっと逸らしていた顔を俺に向け、「してるだろ」と抗議してきた。
そう言われても身に覚えが無いものは無い。俺が何かしたと主張するなら具体的に言え、と詰めれば、「今もしていることだ!」と怒鳴られた。
(今も?)
意味が分からず怒鳴り声を上げた日車をまじまじと見れば、興奮のためか普段より数段赤くなった顔で「その手だ!」と言われた。
「君はいつもこうやってすぐ俺の手に触れてくる。やれ怪我をしていないか、冷えすぎじゃないかと。俺が年端もいかない幼児や君のこ、恋人、という立場ならその過度の心配も分かる。だが、俺はそのどちらでもない、君と大して年も変わらない三十路も疾うに超えた男だ。君にこんな風に扱われる理由がまるで分からない」
言われて「うん?」と首を捻った。
「いつも? そんなしょっちゅうしてたか?」
「自覚がないのか……? 俺を後ろから呼び止める時、肩や腕ではなくわざわざ手に触れてくるのは?」
「……そんなことしてるか?」
とぼけているわけではなく、そんなことをしている記憶がない。ええ…?という反応を見せる俺を日車が信じられないものを見るような目で見返してくる。
「君…まさか無意識なのか? もし俺だけじゃなく他の…特に女性に対してそんなことをしていれば事案だぞ」
不同意接触はセクハラと取られる危険性がある、と心配そうに言われてしまったが、それは無いはずだ。
「いや、それはねえな。もし他の奴にもンなことしてたらとっくの昔に訴えられてるわ」
「だが相手が我慢している、もしくは君に好意…、を持っていて、その状況を黙認している可能性は十二分にある。君に自覚がないならば絶対にやっていないと断言できないんじゃないのか?」
「我慢はともかく、俺に好意ってのはねえだろ。関わる女っていやぁ高専関係者か呪詛師ぐらいでどっちからも煙たがれてっからな」
「そんなことは―――」
顔を顰めて反論しようとした日車の言葉を、まだ握ったままにしていた手に力を入れることで遮った。
「それに、こういうの、アンタにしかしてないって言い切れる理由はある。ま、俺も今気付いたんだけどな」
気付いて確かに過保護だな、と自分に呆れるような理由だ。
「アンタさ、術式が発現する前は人を殴ったこともなかっただろ? 暴力と無関係な普通の生活をしてたアンタの手はさ、多分こんなボロボロじゃなかったはずなんだよな。実際、高専預かりになったばかりの頃はまだ今より普通の手をしてた。俺はさ、アンタのその手がいいなって思ってたんだよ。特にアンタの性格みたいに真っ直ぐで曲がってないこの指がな。けどさ、任務に行ってガベル振るって戦闘経験を積んでいく毎にどんどん変わってくんだよな、アンタの手。手のひらのマメが何回も潰れて固いたこになって、爪も変色して、最近指もちょっとずつ変形してきてる。明らかな外傷はアンタ、反転術式で治すけど、こっちはほったらかしだろ? それが惜しいと思ってつい触っちまってたんだと思う。まあでも、アンタの言う通り不躾だったな。セクハラって同性でも適用されるんだろ? 俺訴えられる?」
今更ながら手を離し、両手をホールドアップしてお伺いを立てたが、日車からの反応はない。解放された自分の左手をじっと見て動かない。
「さっきも俺に触られんのが嫌だったから手、隠したんだろ? それなのに無理矢理触って悪かった。もう二度としねえから安心してくれ」
ピクリ、と日車の肩が揺れ、その目がゆっくりと俺の方を向く。そこに嫌悪の色が見えないのを確認し、胸の内で安堵しながらもう余計なことはしない意思表示として一歩分距離を取った。
「んじゃ、俺もう行くわ。もし訴えるんなら明日以降にしてくれると助かる」
そう言って横をすり抜けようとしたのだが―――。
「日車?」
困惑を滲ませた声音になったのは仕方がない。
視線の先の俺の手のひらに、日車のたこで硬くなった手のひらが重ねられている。
「………君に、触れられるのが嫌だったわけじゃない。そうじゃなく、理由が分からないままというのが嫌だっただけだ。理由が分かれば別に、やめなくても、いい。でも、これからは君に心配されない…させないよう、ちゃんと自分でケアするように、する」
ぎゅう、とさっき俺がしたよりも強い力で手を握られ、目を見張る。俯く日車の耳が赤く見えるのは疲れによる錯覚だろうか。
この日車の行動と言葉をどう解釈するのが正しいのか考えている間に、その答えを引き出す言葉が鼓膜を揺らした。
「君にまた、いいな、と思ってもらえるように」
その言葉も赤くなった顔も悪くない。
そう思った理由が何に紐づくものなのか。
分からないとはもう、言えない。