平日だが今日の日車はオフだった。「たまにはゆっくり寝てろ」という日下部の配慮に甘えいつもより随分遅い時間に起き、日下部が用意してくれていた食事を遅めの朝食兼昼食として腹へ収め、時間が出来たら読もうと思ってた本のページをめくりながら滅多に無いのんびりした昼下がりを楽しんだ。
しかし一人ではどうにも体が落ち着かない。ここに日下部が居れば、隣に座っているだけで自然とリラックス出来ていつの間にか時間が進んでいるのに。もしくは二人で居ないと出来ないあれやこれやが出来るのに…。
集中力はある方だという自負があるのに、いつから自分は時間を持て余すようになったのだろう。しばらく文字と時計で視線を往復させて、日車は諦めて本に栞を挟んで机へ置いた。
日下部に今日はやらなくていいからのんびりしてろと言われたが、洗濯をする為に立ち上がる。乾燥機付きの洗濯機なので汚れ物を入れてスイッチを押すだけで済む。どうせだしと普段後回しにしている細々した家事を次々こなしていった。
一度始めるとあれもこれも気になってしまい、あっという間に夕方になったので夕飯の支度を始めた。日下部のリクエストで今日のメニューはしょうが焼きだと決めてある。共用のデニム生地のエプロンを付けてまずは米を研いで炊飯器にセットし、慣れた手付きで調理を進める。米が炊き上がる頃には汁物と副菜まで調理を済ませて、エプロンを洗濯カゴへ放り込むとスマホを確認した。
日下部に帰宅時間はいつ頃かと聞こうとしたが、先に日下部から「定時で帰る」と短いメッセージがきていたので、「了解」とこれまた短い文を返しておく。定時で帰れるならそろそろ帰ってくるだろうか。今日も冷えるし先に風呂に入りたいかもしれないと、給湯ボタンを押しておく。
コーヒー片手に見ていた夕方のニュースが終わる頃、玄関から物音が聞こえた。次いでどすどすと近付く足音に、おや、と首を傾げた。いつもの日下部ならこんな音は出さない。さすがに自宅で足音も立てない程気を張ってはいないが、いつもに比べて明らかに足音が大きい。
これは…何か怒ってるか機嫌が悪いか。今日は任務も無かった筈だがと、日車は首を傾げたままリビングの扉を見つめた。
ガチャ
「おかえり」
「…ただいま」
「何かあったのか?」
「…いや」
コートも脱がず手も洗わず、明らかに不機嫌顔の日下部は何か言いたげに口を動かすが、中々言葉が出てこない。
「…俺が君に何かしてしまったか?」
日車が自分に対しての不満を感じ取りそう聞くと、日下部はぐっと言葉に詰まった。当たりらしい。
「したっちゅうか…いや、したと言えばしたのか…?でもそれは…」
自問自答するように腕を組んでぶつぶつ唸っている日下部に、日車は直球で「すまない、心当たりが無いんだ。俺は君に何をしてしまったんだろうか」とぶつけた。
「いや、俺に何かしたとかそういうんじゃ…ただ…」
「ただ?」
「お前……」
「うん?」
「………」
「……………」
言うべきか言わないでおくべきか、そんな顔のまま沈黙する日下部を日車は根気良く待った。そんな沈黙を破るように、現状に似合わないメロディとアナウンスがリビングに響いた。
〜♪『お風呂が沸きました』
「!!」
「…風呂、沸いたぞ。先に入ってくるか?」
聞き慣れたアナウンスに過敏に反応する日下部に、話し辛いなら先に風呂へ入ってくるかと日車が問うと、何故か日下部の機嫌が更に悪くなった。
不快そうに歪んだ顔でこちらへ近付き、ソファーに座っていた日車の腕を掴むとリビングの外へ強引に連れて行く。
「!どうしたんだ日下部ッ」
戸惑いつつも素直について行く日車を、日下部は脱衣所に押し込んだ。一体何なんだと困惑する日車に、日下部が一言「脱げ」と言う。
「…?したいのか?今、ここで?」
「違う、脱げ。入れ」
入れ、と日下部が親指で刺したのは隣の浴室で、日車の混乱は深まるばかり。
「待ってくれ。日下部、説明をしてくれ。一体何なんだ」
「…俺の前じゃ入れないってか?」
意味が、意味が分からない…!日車はもう本当にお手上げだった。言われてる内容も意味不明だし、説明をしてくれないのも日下部らしくない。
眉を寄せてずっと不機嫌顔の日下部に、別に恥じる仲じゃないしとにかく言う通りにしつつ説明を求めようとトレーナーに手をかけた。
「…俺だけ入ればいいのか?一緒に入りたいのか?」
「一緒に?」
「違ったか?」
一緒に入るかと聞けば、日下部の表情が少し戻った。どこか嬉しそうな表情に、そういえば正気の時に二人で風呂に入った事は無かったなと気付いた。
セックスの前にシャワーを浴びようとして興奮のままに二人で浴室になだれ込んでそのままセックスした時と、雨に濡れて帰宅してシャワーを浴びようとしてセックスした時と、抱き潰されてほとんど意識の無い時に体を綺麗にしてもらった時だけ…いや、あの時も結局もう一回したな。
そんな事を思い返しながらトレーナーを脱ぐと、日下部が吐き捨てるように小さくつぶやいた。
「…ハッ、そうだな…。アイツは日車の風呂…裸を見てんのに俺は見てないっていうのもな」
「……ん?」
「いや俺は日車の裸はいくらでも見てるけどな。まあでもせっかくだし一緒に入るかな」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
「あん?」
自嘲気味に笑って乱暴にコートを脱ぎ捨てる日下部に、聞き捨てならない言葉が聞こえたぞと日車はズボンを脱ごうとしていた手を止めた。
「俺が誰に裸を見せたと?」
「………」
しまった。日下部の顔にはっきりそう書いてあるが、日車の追求は止まらない。
「さっきから一体何の話をしてるんだ。俺に対する誤解があるように思えてならないんだが」
「…誤解?」
「そうだろう。治療目的で家入は見た事があるかもしれないが、君と俺の共通の知り合いに裸を見せた覚えなんか無い」
記憶力には自信がある。今度は日車が腕を組んで眉を寄せる番だった。さあ話せと日下部を睨むと、日下部はネクタイを解きながら観念したように口を尖らせた。
「…虎杖の野郎には見せたんだろ」
「虎杖?…いや、記憶にある限りは無いが?」
「はあ!?誤魔化す気かよ!?信じらんねえ…。お前は嘘とか…俺にはつかねえと思ってたのに」
「待て、俺の方こそ心外だ。君は俺が君に嘘をつくような人間だと?」
「だってそうだろうが。お前、死滅回游の時に虎杖の前で風呂入ってたんだろッ!?」
「……んっ?」
「ん?」
日下部が叫ぶように吐露すると、日車が真顔で首を傾げた。何だその反応はと、釣られて日下部も同じように首を傾げた。
「…日車、お前、虎杖と初めて会った時、死滅回游の時」
「ああ」
「風呂入ってたんだよな?劇場の、舞台の上で」
「虎杖に聞いたのか?」
「ああ、今日な」
「そうだな、入ってたな」
日車がそう言うと、日下部の顔が「ほら見たことか!」とでも言いたげに目を見開くが、次いで「着衣入浴というやつをやってみたくてな」と続けるとぽかんと口を開けた。
「………着衣入浴?」
「あの頃の俺は少し…グレてたんだ。話しただろう?」
「…言ってたな」
「服を着たまま風呂に入ってた。虎杖に会ったのはその時だ」
「…服、着てたのか?」
「そう言っている。虎杖は言わなかったのか」
「いや……。ただ、初めて会った時風呂に入ってたって、それだけ…その時丁度アイツ補助監督に呼ばれて行っちまったから…」
「つまりはこういう事か?君は俺が虎杖に裸を見せたと“勘違い”して機嫌が悪かったと。仮にそうだとしても君と交際どころか出会う前で、セックスした訳でも無く風呂に入ってる時に裸を見られただけだとしたら俺に何も非は無いのにこんな風に詰められたと?」
「ぐっ…」
訳も分からず八つ当たりされた仕返しに日車がわざとつらつらとそう言えば、日下部は面白いぐらい肩を落とした。
「わ、るかった…」
自分の勘違いで嫉妬して威圧的な態度を取った事が恥ずかしいのだろう、俯いた日下部の耳は真っ赤に染まっていて、日車は頬が緩んだ。
日下部のシャツに手を伸ばしボタンを外していくと、今度は日下部が困惑した顔で日車を見上げた。
「?おい、何してる」
「何って、一緒に風呂に入るんだろう?いい加減俺も寒いんだ、早く脱げ」
「い!?いや、いいって!勘違いした俺が悪かった、年甲斐も無く嫉妬なんてしてみっともなかったよな」
「何言ってるんだ。誤解は解けた、俺は気にしてない。それより寒いから風呂に入ろう」
「いや、でも…」
口ではそう言うものの、日下部は日車の手を止めようとはしない。ボタンを全て外して腕を抜こうと袖を引けば素直に動く。しかしベルトに手を伸ばした所で待ったがかかった。
「何だ、俺と一緒に入るのは嫌なのか?」
日車がムッとして何を渋っているのかと日下部を睨むと、日下部は若干気まずそうに口を開いた。
「絶対手ェ出すぞ、俺」
「別に構わない」
「だって。せっかく日車が飯作ってくれたのに。冷めるだろ」
「それも構わない。温めればいい。もういいか?これ以上焦らされたらやる気を無くすんだが」
もう俺一人で入るぞと日車が自分のズボンに手をかけると、日下部は「あ、そお?んじゃ遠慮無く」といそいそとベルトを外した。