まったく擁護できない高市首相の国会答弁修正
高市首相の事務所とネガティブキャンペーン動画の制作に関与したとされる業者との接触疑惑について、高市早苗首相は6月10日の衆院法務委員会で国会答弁を修正した。
◎【速報】“秘書がオンライン会議参加”認める 高市首相…“中傷動画報道”めぐり答弁|日テレNEWS NNN
SNSでは今でも高市首相擁護の書き込みが目立つ。だが、行政府の長が国民の代表が席を連ねる立法府の場で、いい加減な主張をすることの意味を理解できているだろうか。
総理が誰であれ、擁護できる要素は何もないことは明らかだ。記憶が定かではないなら早く修正すべきだし、虚偽なら論外だ。
こうした疑惑に対して、権力を監視し、批判するのは立法府の仕事であり、特に野党第一党とメディアの重要な役割だ。高市首相であるか否かは関係ない。それこそが政治と権力腐敗の歴史からの教訓であろう。
中等教育までに習う常識的な内容だ。
主権者たる国民から信託を受けた国会議員が集う立法府は、単なる議論の場ではない。
行政府の権力行使を厳しく監視し、その正当性を検証するための最も重要な機関である。その場において、行政府の長である内閣総理大臣が事実と異なる答弁を行うこと、あるいは事実確認を怠ったまま不正確な情報を発信し続けることは、議会制民主主義の根幹を揺るがす行為に他ならない。
国会における答弁は、国民に対する直接的な説明の機会であり、その言葉には重い責任が伴っている。
もしその言葉が軽んじられ、虚偽や詭弁によって真実が覆い隠されるようなことが常態化すれば、政治に対する国民の信頼は根底から崩れ去ってしまうだろう。
だからこそ誠実かつ丁寧な対応が求められる。
さらに、こうした事態が生じた際に、長期間にわたって明確な謝罪や迅速な訂正が行われないとすれば、行政府の傲慢さを示すものである。
なお最近、日本政治ではそのような強弁の傾向が強まっているようにも思われるが、どうか。
今更確認するまでもないことだが、民主主義社会においては、政治家の誠実さや透明性が維持されることが不可欠であり、それを担保するための制度的保障が国会における質疑応答であろう。
事前の通告も、正確な返答を行うための準備に時間が必要だからだと解されている。