【アイマス視点】なぜ炎上したのか ラプラス・ダークネス生誕祭への姫崎莉波ゲスト出演を考える
学マスとVtuberの共演に関して、大激論である。
特に学マス側の反発は強く、私も正直……というのはあるのだが、評価自体は他に任せたい。
このnoteでは「Pはどのようなコミュニティで、どのような理由で、だから反発を感じたんじゃないかな」という内容を、出来る限り第三者に分かりやすいように考察して記すことを目指す。また、私から見えるホロリス側の見え方、話の食い違いという点も考察してみる。
本件の評価は他の人が散々書いているので、そこはこのnoteでは論じない。
また、悪意を持って騒動を増幅させる存在にもなるべく触れない。そこに触れだすと恐らく「あっちの民度は」「こっちの民度は」みたいな話になってしまう。だが残念な個人はどこの集団にも大抵居るし、炎上案件に便乗して煽る愉快犯もいる。なおアンチが炎上させているだけだと述べる研究者の方も居るようだが、少なくないPがネガティブな反応をしている時点で、これをアンチ工作とするのは無理があるように思われる。
いずれにせよ、純粋に、どういう行き違いや反発があったのかを考察することが目的だ。
炎上のざっくりした流れ
炎上していった各要素に触れていきます。ただし個人の価値観や許容には差があるので、全部不快だった、一つだけ不快だった、いくつか不快だった、全部良かったなど判断は分かれるでしょう。それはご承知おきください。
配信の内容の核心部は「姫崎莉波さんが完全サプライズ登場。姫崎莉波さんのライブをラプラス・ダークネスさんとご友人のさくらみこさんが見る、という形で、新衣装36℃ U・B・Uでの個人曲数曲(誕生ライブで披露したばかりの新曲含まれる)などを歌う」
つまりかなり内容的にはゲストとして力の入った披露だったと感じます。
まず炎上はリッチなサプライズ登壇に寄せられました。
(1)まだライブ披露されてない新衣装36℃ U・B・Uを公式youtubeやリアルライブに先んじて公開したこと
(2)サプライズ披露で認知していなかったPが多かったこと
その後炎上は別方面の動きを見せます。
(3)過去に同担拒否発言があったこと
(4)舞台でトルソーを放り投げる行為があったこと
話題の中心はこれらになっていきました。
これらの炎上理由を、そもそもアイマスという謎の生態系を持つコミュニティを解きほぐしてから、考えていきたいと思います。
アイマス世界の背景 プロデューサーとは
アイマスはゲームとしては1対1でプレイヤーはアイドルと向き合います。つまりゲームを遊んでいる時は、自分がプロデューサー(以下P)を疑似体験しながらアイドルを成長させるために奮闘する、そんなゲームになります。勿論、Pへのスタンスは様々で、自分自身が乗り移った気分で遊ぶ人もいれば、俯瞰的な立場からPというキャラクターを眺めている人もいます。
Pのミッションはアイドルの卵をトップアイドルに導くこと。疑似恋愛のような展開があるシナリオもありますが、原則としてはアイドルとの信頼関係を築きアイドルを成長させる、その中で自分に寄せられる親愛や感謝、あるいは愛を受け取るゲームです。
アイドルとPはあくまでパートナーであるという考えも、いずれ恋愛関係となり結ばれるという解釈もありますが、そこは解釈が割れますので「強い結びつきの仲間・同志」と見るのが一番穏当でしょう。
さて、このP(主人公)の扱いというのは非常に難しく、幾度かあったアイマス系作品のアニメ化においては極めて慎重にPのキャラクター造形が作られたことが伺えます。
自分=Pと思いながら遊んでいる人からすれば、「誰だお前は」「人間としてあまりに問題がある」「プロデュースがずさん」と感じるような人間がPであってはいけないわけです。
ですからアニメストーリーの中でPの未熟さや失敗が描かれることはあっても、誠意を込めて精一杯やったが至らないところがあって失敗した、というような描かれ方をしますし、名誉挽回のストーリーが必ず用意されます。各アイマスのPは完全無欠ではなく個性がなさすぎるわけでもなく、しかしなるべく多くの人が常識的で一定の魅力があると感じられるようなキャラクターとなっています。また、アニメのPはラブコメにありがちなハラスメントギリギリの言動や行動は一切しないキャラクターとなっています。
Pというのは、実は扱いがとても難しいキャラクターなのです。
次に、アイマスコミュニティにおけるPの自覚というのもまた独特です。アケマス時代については詳しくないため、私が知るデレマス以降の歴史となります。
Pは自分はどのアイドルを担当しているPであるかを名乗るのが一般的です。ライブというリアルイベント文化が繰り返されるに従って、同担同士でアイドルと声優にフラワースタンドを送ったり、オリジナルの法被を作ったり、という同じアイドルを好む人たちによる交流も盛んになり、文化として根づきました。もちろん同担拒否でやっている人もいますが交流を好まないのでコミュニティにおいては見えにくい存在です。
アイドルの人気が上がればそのぶんリアルでのコンテンツ供給も増えるわけですから同担は利害が一致しますし、解釈違いにさえならなければアイドルの好きな所を共通の話題として話す仲間なわけです。
つまりゲーム内では1対1のアイドルとPの関係が、アイマスコミュニティという環境では、1対多で応援している構図が発生しています。
この1対多はゲーム内における1対1(心の中のプロデュース像)を侵食しないためにも「我こそがプロデューサーである」「お前はプロデューサーではない」等のスタンスは基本NGです。「みんなでこのアイドルを応援していこう」という共存共栄が基本スタンスとなります。
また学マスでも繰り返し学マスPが「あなたをトップアイドルにします」「みんなから愛されるアイドルにします」という姿勢を取るように、アイドルの魅力をなるべく広げるような手助けをすること……ゲームだけでなく外でもその基本スタンスを守ることが望ましいわけです。
アイマスPとしての有名人としては、星野源や三浦祐太朗、山本龍 前前橋市長などが著名ですが、作曲家や漫画家、イラストレーターにもアイマスPを公言している人は多く居ます。
ただし注意すべき点として、これまでその誰もが「私こそが◯◯P代表である」という構図は作らなかったということです。星野源や三浦祐太朗は自らチケットを抽選で当てて現地に一般参加したと言われています。
逆に有名動画制作者(アマチュア)に、私こそが◯◯Pだし、私のおかげで◯◯は人気投票で上位を取れた、ということを公言して憚らない人が居ましたが、界隈では大変軽蔑されていました。※追記 逆に自認が強すぎるPが自我を前面に出しすぎると、そのアイドルから離れる人が出たりアンチがつきやすいなど、過去の諍いには枚挙に暇がありません。
それくらい応援する心が大事、応援する人は仲間、ヒエラルキーは良くない……そんな考えがあるわけです。
アイマスの不文律として
あいつもプロデューサー、わたしもプロデューサー、お前もプロデューサー、これがあることを念頭に置いてください。
これは声を当てている声優すら大変気を遣っていて
プロデューサー役を務めた赤羽根健治氏、武内駿輔氏、石川界人氏などはライブでは「同僚の皆さん」などの言葉を使うことが基本となっており、「私のアイドル」といったような発言をキャラセリフではなく個人でしたことは一度もないはずです。
ラプラス・ダークネスさんに向けられた内側の論理と外側の論理
さて、長々とアイマスにおけるPとはどんな存在で、どんな集団であるかを書いてきました。
しかしPとはどんな人々かを見ることで、今回ラプラス・ダークネスさん生誕祭が炎上してしまった、少なくとも学マスPの少なくない人が今回の表現に引っかかった理由が見えてきたのではないでしょうか。
まず、衣装のライブ初披露に立ち会えなかったことへの失望が出ました。
プロデューサーというロールプレイを楽しんでいるわけですから、全く知らない外部コラボで初披露の衣装でお仕事し終えて、あとになってからそれを自分は知りました、というのはロールプレイの体験を大きく損なうわけです。
次に問題になったのが、同担拒否発言です。先述の通りPたちはコミュニティにおいては「みんなで応援する」というスタンスを大事にしています。
ラプラスさんは生誕祭でライブで応援する「P」としてのスタンスで共演しました。つまりこの瞬間に「ラプラスP」というアイマス文化軸での評価がPからは下されることになります。
Vtuber文化では、強烈な個と個が共演する生誕祭という構図であるところ、Pという観点では「プロデューサーという立場ながら、個としてステージに乱入した」という構図に見えるわけです。
ここは最初からVの共演にありがちな、ラプラス・ダークネスというVtuber(偶像)と姫崎莉波というアイドル(偶像)の共演という個対個の形のほうがまだ傷は浅かったでしょう。
しかしラプラスさんは自分と同じP目線をリスナーにも見せたいというファンサービスと布教を志向したのか、姫崎莉波のステージを眺めるという、アイマス的な視点が配信上で生まれました。Pはライブでは主役ではなく脇役、黒子なので当然、アイドルの応援に終始します。
しかしその後にステージに上がり、トルソーを投げ飛ばした瞬間に今度は一転「ラプラス・ダークネスがプロデューサーという立場を持ったまま、ステージセットを投げ飛ばしステージ上で主人公になってしまう」状況が作られました。つまり、みんなで担当(推し)を応援するというアイマス文脈のライブのままVtuber的な個対個の配信にシームレスに切り替わってしまったのです。
PからはP視点(黒子・脇役)と認知されているような状況で、突如Vtuber(共演者)の立場に切り替わり「物をぶん投げる」というラプラスさんの定番行為(ある意味でファンサ)を披露してしまった。
これはラプラスさんを、それまでの映像の流れから観客のPと見ているPたちからしたら、「アイドルをプロデュースする立場にある者がステージに乱入して観客の前で主人公になった」構図なわけですから前述の不文律を全て破るとんでもない暴挙と映るわけです(AKBのライブ中に突然ステージに秋元さんは乱入しないですよね?)。
しかもそれが、Pのモチーフ的な扱いをライブで受けているトルソーの排除だったがために、前述の同担拒否というスタンスの情報、生誕祭ライブに担当アイドルをお招きしたという事実と合わさり
「Pの象徴を押しのけて、吾輩こそがPだと名乗りを上げた」ような印象をも与えてしまう結果となりました。
ラプラスさんは前述の通り、Pであることを表明しておりかつ、当日はリアルライブにおけるPのような位置から見ていましたから「P(私たちの仲間)ならそれがやってはならないことだと分かるだろう?」という内側の論理での失望が広がることになったのです。
一方でラプラスさんをPとしてそもそも認知していない人からは「良く分からん有名人が、学マス大好き芸人を名乗って莉波さんが大事にする大切な君を想起させるトルソー君を放り投げた」という外敵と見える構図となり、やはり反発を招きました。
また、アイマスやアニサマなどのライブ現場で自分が目立つことに躍起になり、通路に飛び出したりジャンプして騒いだり、異常発光するPが残念ながら少数おり、この手の厄介オタクと行動がダブって見えるような構図もマイナス印象に繋がったと思われます。
Vtuberの論理(アイマスから見た外の論理)のみで貫き通した演出ならVとアイドルの共演でしかなかったわけですし、Pであることを貫いてステージ袖から見守るだけで終われば、それはプロデュース体験の共有で終わるはずでした。(勿論、サプライズ新衣装への反発は出たとは思いますがここまでは燃えなかったはず)。
V(番組共演者・個人)とライブのP(みんなで応援する集団)が中途半端に混ざった上に、Vの共演者としての個性が爆発したがために起こった大事故といえます。
なぜ学マスPが怒っているのかわからないホロリスが多くいた理由を考える
今回、本当に純粋に何故こんなに怒っているのかわからない、アンチの工作ではないのか、内輪向け配信で共演したに過ぎない、このような擁護も多く見られました。
今回の事象は、Vtuberとアイマスという、ガワだけなら同じ2次元だが、全く異なる文化の衝突だったのではないかと考えています。
前述の通り、アイマス世界では「プロデューサー役声優」でさえ「特別な唯一のプロデューサー」とは振る舞いませんが、その不文律は知られていません。
そもそも、オールドなオタクは二次元作品世界に三次元は干渉しない、というスタンスもあります。作中に自分を出すのはメアリー・スーとか夢女とか言って嫌う人もいる行為です。
さくらみこさんが星街すいせいさんコラボや今回のコラボに
「本当にこれは、もう、申し訳ない。学マスさんのファンの皆様に、どう、こう、投げられたってもうしょうがない、致し方がないと」
「過去にね?すいちゃんもさ、大型コラボがありましたけれども。ねえ、お相手のね、方もよろしいんですか?ってみこ、びっくりしましたね」
「誰もが夢見るけどなかなか踏み入れられないことを、ラプラスは踏み入った」
と述べたのはこの不文律を意識していたから、ということでしょう。
一方で2次元と融合できるのがVの強み(つまり本当は人格的に現実の人間ながら、アニメ・ゲームの世界に入りこめる)という主張をするVやVリスナーも複数いるようです。
2次元に親和性ある存在が2次元作品と共演した vs 2次元作品に人間個人が介入するのは避けるべき
ここがホロリスとPの致命的な認知のズレ1です。
次のズレは作品、創作物に対する認知のズレです。
配信者で最も人気なコンテンツの一つはゲーム配信だと思いますが、「ゲーム会社のご厚意で配信させていただいている」ではなく「Youtuberがゲーム配信をしている」つまり主体は配信者にあり、ゲームは客体です。
「ゲーム作品を使わせていただいている」「キャラクターを操作させていただいている」という表現をするYoutuberはあまりいませんよね。VもYoutuber文化ですから、やはり主体はVです。
そしてメーカーが許可している以上はゲーム実況自体いろんな遊び方(配信者によってはだいぶ変な遊び方も)V自身が主人公となって配信というコンテンツを作り上げます。
つまり今回の共演における舞台乱入とトルソーぶん投げは、バンナムから許可されたVの番組という作品の一部……なわけです。
一方のアイマスではアイドルは主体として扱われます。実際にはアイドルに人格はありませんが、あると想定してロールプレイするわけですし、アイマスを作っている側も極力「まるで人間のような仮想のアイドル」を目指しています(小美野さんの過去発言など)。
つまりこちらではアイドルを主体かのように尊重することが求められます。
だから配信者文化の視点なら「生誕祭ってラプ様の番組(作品)でしょ?主人公はラプ様でしょ?見なければいいのでは?」となるわけです。感覚的には「ゲーム実況やってたらその作品のファンが、作品のキャラにリスペクト無いと襲撃してきた」みたいな感覚であろうと思われます。
あくまで配信は配信者(人間)主体の作品。ゲームに人格はないし認可済 vs 使われた作品キャラクターに仮想的な人間性を見出している
ここがホロリスとPの致命的な認知のズレ2です。
3つ目はラプラス・ダークネスさんの稼いできた信頼やキャラクター性の認知の有無です。
ホロリスはホロメンのキャラクター性や、激しい競争の中、人気配信者を続ける大変さなどを理解したうえで愛着を持っている、愛着は持たない人でもその凄さを認めていることでしょう。
物を放り投げるのがお決まりの芸ということも、莉波Pとして学マスを日々配信で言及しVとして頑張った末にお誕生日に掴んだコラボ、という物語も知っています。配信では暴れ者に見えても実は真面目、という説もあるようですね。
Vに触れていないPはそれを知りません。知らない人からすれば、有名人が暴れて自分たちの愛するキャラをぞんざいに扱った(ワンピース大好き芸人がルフィの麦わら帽子をおもちゃにして遊んだ、みたいな感覚)という、ネガティブな印象だけを覚えたわけです。
ラプラス・ダークネスさん本人は学マスファン公言しながら実績を積み上げてきた大人気Vtuber vs 有名人だか何だか知らんが好き勝手していい理由にはならない
ここがホロリスとPの致命的な認知のズレ3です。
Vtuberは個の配信者として研鑽し、リスナーを得て人気配信者になっていく、基本的に個の戦いです。リスナーは勿論Vを推すのでしょうが、V自身は個の存在であり本人の才覚、努力、コラボで立身出世していくのでしょう。
案件を獲得するというのは個の努力の対価であり、推しとの共演や特別扱いは、厳しい世界で結果を残した正当な権利と考えているかと思われます。
莉波Pとして学マスに言及し布教してきたからこそ、アイドルから代表(TO)扱いになるのは当然のことという捉え方もあるのでしょう。
一方アイマスは「みんなが自分をPだと自認する幻想が壊されないこと」をコミュニティとして大事にしてきました。なのでこの「公式認可のもと、特定の個人(ラプラス)だけが特別な存在になった。お前はその場にいない(プロデューサーではない)」
という残酷な構図を突きつけられたようにも見える形になりました。
活躍したVtuberがコラボ依頼を認可されたのだから個対個で絡むのは当然 vs アイマスは誰もがプロデューサーであり特別なPはいない
ここがホロリスとPの致命的な認知のズレ4です。
要するに、似てそうに見えるけど、両者は全く違う文明の人たちだったんですよ。
そりゃあお互いの主張は平行線になり、何に怒っているかわからず、ホロライブが実際にアンチ活動の標的になった歴史もあって「不満の声と言うけど、アンチの工作なのでは?」という認識も生まれるわけです。
文化が違うのですから両者は慎重にコラボすることが望ましかった。もっと双方が良い未来を迎える可能性はあった。
けれどそれぞれの違う文化に浸かっているからこそ、そもそも炎上するまでその違和感に気づかず結果としてこのようなことになった。
そういうことだと思われます。
まあ、P側の論理を分かっているはずのバンナムがこの事故を防げなかったのか?という点はちゃんと事故調査してほしいですが。
※追記 私の個人的な思想が乗った書き方になっていたため、自己主張が強いPに対して必ずしも界隈がネガ一辺倒ではない点を踏まえ記載を修正しました。(アイドル名)代表P=有名人のお名前 というタイプのネタが好きな人も一定数いることは事実のため。


なぜこの学マスは燃えて、シャニマスの方は燃えなかったのか? 色々と考えてたのですが、致命的なズレの正体が分かった気がします。 この記事を書いてくださりありがとうございました。
Noteみたいな長い文章でまとめられれば争点の曖昧ないざこざは無くなるのでしょうがXなどの短文なやり取りではなかなかお互いの状況が見えないなと記事を読んで思いました。
トルソー問題云々が無くてもまあ過去の前例から少なくとも炎上は確定していたでしょうね。完全なガワ視点からエンタメとして見ればまあ面白いですけど。10年以上前までは広告やらコラボやらで知らんアニメキャラが強引に視界に入ってくると拒否感があった感じですけど、つまるところ創作物で管理されて…