第10話 真白鐘々は、貯金額をハイスコアだと思っている

 いま、俺の手元には万札が十枚ある。


 十万円。


 ついさっきまで、六千三百円で満足しかけていた男の手元に、十万円である。


 人間、急に金を渡されると笑うのではなく、まず疑うのだと知った。


「……これ、犯罪じゃないよな?」


「失礼だなー。ちゃんと売ったよ」


 真白鐘々は、悪びれもせずに言った。


 俺が西成書店で六千三百円に変えた魔石。


 その残りを、彼女は俺から預かり、どこかへ持って行き、そして一時間もしないうちに現金へ変えて戻ってきた。


 しかも、俺の手元に残ったのが十万円。


 つまり、これは鐘々の手数料二十パーセントを引いた後の額である。


 元値ゼロ。


 仕入れ先は、俺の家の倉庫の奥にいるダンジョン美少女。流通経路は、よく分からないダークエルフの少女。


 現金十万円。


 すべての単語が怪しい。


「素材は雑に売るより、本当に欲しい人に売る方が儲かるからね」


 鐘々は、それだけ言った。つまりこいつは、仲介を通さずに物を売ってきたのだ。いや、これ自体が仲介業なのか。


 俺が持っているものを見て、欲しがる相手を探し、正規価格より少し安い額で売りつける。売り手は早く現金化できる。買い手は相場より安く手に入る。鐘々は手数料を抜く。


 理屈としては分かる。分かるが、実行速度がおかしい。


「お前、何者なんだよ」


「真白鐘々。かねねでいいって言ったじゃん」


「そういう意味じゃない」


「金の流れを見るのが得意なだけ」


「だけ、で一時間以内に魔石を十万円に変えて戻ってくるな」


「一時間もかかってないよ。四十二分」


「訂正するところそこか?」


 鐘々は、けらけら笑った。


 その笑い方は軽く、距離感も近い。


 初対面の相手に対する警戒心が薄すぎるように見える。


 だが、たぶん違う。


 この女は――軽く見せるのが上手い。


 話し方も、踏み込み方も、距離の詰め方も計算している。気づけば俺も、かなり早い段階で彼女を懐に入れて話していた。


 そして、自身が異形であることの使い方もうまい。


 ダークエルフは、異形差別の対象になる一方で、水商売や広告、接客業の一部では「武器」として消費されることもある。褐色の肌、長い耳、銀髪、人目を引く外見。そういうものを、社会は都合よく嫌い、都合よく売り物にする。


 鐘々は、たぶんそれを分かっている。


 分かったうえで、自分の見た目も、距離感も、声のかけ方も、金を動かすための道具として使っている。


 恐ろしい女だ。


 俺は、手元の十万円を見下ろした。昨日までなら、十万円は大金だった。


 だが、借金取りに追われている今の俺にとっては、問題を解決する額ではない。


 だが、コアちゃんの生成物は、売れる。


 それも、売り方次第では、想像よりずっと高く売れる。


「……本当に、恐ろしい女だな」


「褒めてる?」


「半分くらいは」


「じゃあ、残り半分は?」


「警戒」


「正解。あたしを警戒できる人は、まだ商売できるよ」


 鐘々は、にっと笑った。その顔を見て、俺は思った。


 こいつを信用してはいけない――だが、こいつを手放すのもまずい。


 俺の借金返済計画は、開始早々、かなり厄介な女に握られかけていた。


 だが、これは使える。


 鐘々の能力は、今の俺にとって一番欲しいものだ。


 俺の弱点。


 それは、金銭のやり取りの経験が絶望的にないことである。流石に八万円の品を六三〇〇円で買い叩かれているとは思ってもみなかった。


 公務員は商売人ではない。


 正規の手続きで回収できる金を、正規の手続きで回収することはできる。税、手数料、使用料、延滞金。そういうものなら、制度と書類の中で処理できる。


 だが、反則すれすれの手段で金を稼ぐことはできない。


 相場を読む。買い手を探す。相手の足元を見る。売り時を選ぶ。多少怪しいものを、怪しすぎない形で現金に変える。


 そういう技術は、役場の研修では教えてくれない。


 この女は、おそらくだが、それができる。だが、同時に疑問も湧いてきた。


「なあ」


「なに?」


「そんなにうまく金を稼げるなら、もっと効率よく稼げるんじゃないのか?」


 俺がそう聞くと、鐘々は少しだけ肩をすくめた。


「んー。それが難しいんだよね」


「難しい?」


「私、異形なのは分かるよね?」


「そりゃまあ……」


 そこまで言って、俺は気づいた。


 そうだ。


 異形なのだ。


 異形は、社会のつまはじき者。


 もちろん、そんな言い方を堂々とする人間は減った。法律上、異形であることを理由に不当な差別をしてはならない。就労支援もある。相談窓口もある。啓発ポスターも貼られている。


 だが、法律と現実は同じではない。


 金銭のやり取りで大事なものは何か。


 商品か。


 交渉か。


 知識か。


 違う。


 社会的信用だ。


 社会的信用がなければ、融資を受けられない。口座を自由に動かせない。契約で不利になる。保証を求められる。取引先に警戒される。


 それはつまり、大きな商売をするうえでは極大のデメリットになる。


 ゲームでいえば、最初から装備枠を半分にされ、所持金をゼロにされ、ショップの使用まで制限された状態で始めるようなものだ。


 いや、クソゲーだな。


「お、分かったみたいだね?」


 鐘々がにやりと笑った。


「まあな……」


 俺は、改めて鐘々を見た。


 褐色の肌に美しい銀髪。長い耳。人目を引く外見。


 それは、ある場面では武器になる。


 たとえば、水商売や広告、接客業の一部では、ダークエルフの外見を売りにしている店もある。社会は異形を嫌うくせに、都合のいいときだけ見世物として消費する。


 鐘々は、たぶんそれを分かっている。


 分かったうえで、自分の見た目も、声のかけ方も、距離感も、金を動かすために使っている。


 だが、それでも信用の壁は消えない。


 単発の仲介はできるし、小口の転売もできる。相場を読んで差額を取ることもできる。


 だが、大きく仕入れて、大きく売るには、金と信用と名義がいる。


 そこを押さえられているから、鐘々は自分の能力だけでは跳ねきれない。


「で、俺に話しかけてきたのは、たぶんさっきの商売以外にも狙いがある。違うか?」


「それも正解」


 鐘々は嬉しそうに指を鳴らした。


「さっき言ったでしょ。珍しい魔石だって」


「ああ」


「その魔石、一度に売られるのって、どのくらいの数か知ってる?」


 ……そういうことか。本来、この魔石はもっと少量で取引されているものなのだろう。


 だからこそ、鐘々は需要のある顧客を知っていた。たぶん、普段から欲しがっている相手をチェックしていたのだ。そこへ、俺が不用意に同系統の魔石を複数持ち込んだ。


 初心者探索者が、登録したばかりのカードを持って、足がつきにくい個人店に珍しい魔石を複数持っていく姿……。


 迂闊……。


 あまりにも迂闊。


「迂闊って顔に書いてあるよ?」


「読むな」


「表情はもっとうまく隠さないと、骨までしゃぶられちゃうぞ」


「余計なお世話だ」


 俺は警戒レベルをさらに上げた――もう遅いかもしれない。


 というか、完全に向こうのペースだ。


 鐘々は、こちらの警戒を見ても怯まない。むしろ、その警戒すら値踏みしているように見えた。


「怖い顔しないで。これはビジネスなの」


「ビジネス?」


「うん」


 鐘々は一歩近づいた。


 ……近い。初対面の距離ではない。だが、下がれば負けた気がするので、俺はその場に留まった。


 鐘々は、俺の目をまっすぐ見て言った。


「私を専属で雇う気、ない?」


「雇う金がない」


 俺は即答した。


 十万円は手元にあるが、これは生活費であり、電気代であり、食費であり、明日を買うための金である。今日出会ったばかりのダークエルフを雇う余裕など、どこにもない。


 鐘々は、予想していたように軽く頷いた。


「だから、成功報酬でいいよ。私の取り分はさっきと同じ」


「二十パーセントか」


「うん。私が売った分から二十パーセント。固定給なし。初期費用なし。失敗したら取り分なし。お兄さんにとっては悪くない条件でしょ?」


「都合がよすぎる条件は、だいたい後から首を絞めてくる」


「慎重だね」


「借金取りに追われてるからな」


「それはそう」


 鐘々は笑った。


 軽い。


 どこまでも軽い。


 ……ん?


 俺、こいつに借金があることを言ったか?


 背筋に、また嫌な冷たさが走った。


 こいつはどこまで知っている。


 俺が探索者登録したばかりの人間だということ。


 西成書店で魔石を買い叩かれたこと。


 ポケットにまだ魔石を持っていたこと。


 そして、借金取りに追われていること。


 偶然で片づけるには、少し情報が揃いすぎている。


 だが、さっき十万円を持ってきた実績がある以上、この軽さをただの軽薄さとして切り捨てることもできない。


「一つ聞く」


「どうぞ」


「どうしてそんなに金を稼ぎたいんだ?」


 俺が聞くと、鐘々は少しだけ目を細めた。


 初めて、彼女の笑みが薄くなった気がした。


「そうだね。お兄さんの信用を得るために、ひとつ昔話をしようか」


「昔話?」


「うん。真白鐘々という女が、どうしてこうなったかの話」


 鐘々は、歩道脇のガードレールへ軽く腰を預けた。


 まるで、放課後に友達へ昨日のゲーム結果を話すような気軽さだった。


「あたしね、小学生の頃から、お金を増やすのが好きだったの」


「小学生から?」


「お年玉、ポイント、フリマ、ゲーム内相場、限定品の価格差。最初は小さい遊びだったよ。百円が百二十円になる。五百円が七百円になる。数字が増える。それが楽しかった」


「……小学生の遊びとしては渋すぎないか?」


「カードゲームで強いデッキ組むのと同じだよ。手札を見て、相場を読んで、勝てるタイミングで出す。違う?」


「いや、分かるような、分かりたくないような」


「中学に入ってからは、もうちょっと本格的になった。部活は女子バレー。試合でスコアが増えるのも好きだったけど、通帳の数字が増える方がもっと好きだった」


「部活と通帳を同じテンションで語るな」


「だって似てるじゃん。練習して、読んで、勝って、数字が増える」


 鐘々は、指先で空中に見えない数字を書くような仕草をした。


「高校に入る頃には、だいぶ稼げるようになってた。転売だけじゃないよ。相場差、ポイント運用、少額投資、素材の仲介、需要の読み。法律に引っかからないように調べて、税金も調べて、親にバレない範囲で動かして」


「親にバレない範囲で、の時点でだいぶ怪しいぞ」


「バレたら面倒じゃん」


「それはそうだが」


「高校卒業前には、もう普通に働く必要ないくらいにはなってた」


 俺は一瞬、言葉を失った。


「……いくらだ」


「言ったら引くよ?」


「今さらだろ」


「億」


「引いたわ」


「ほらね」


 鐘々は笑った。


 だが、その笑い方は、さっきまでの無邪気な軽さとは少し違っていた。


「で、そこで終われば、あたしの勝ちだった。高校卒業前に億。マネーウォーズ、第一部完。真白鐘々、人生の勝者。そういう感じ」


「マネーウォーズって何だよ」


「あたしの中のゲーム名」


「人生をゲーム扱いするな」


「ゲームにしないと、つまらないことって多いじゃん」


 鐘々は、さらりと言った。


「でも、異形になった」


 その一言だけ、妙に平らだった。


「ダークエルフ化したのか」


「うん。ある日から耳が伸びて、肌が変わって、髪も変わった。最初はさ、ちょっと面白かったよ。見た目変わったなーって。ステータス異常イベントかなって」


「軽いな」


「軽くしないとやってられないでしょ」


 鐘々は笑ったまま続けた。


「そこからが本番。本人確認の再審査。口座の一部凍結。取引制限。保証会社の審査落ち。部屋の契約更新拒否。親族の介入。後見だの保全だの、あたしのためって顔をして、あたしの口座に手を突っ込んでくる大人たち」


「……」


「お金目当ての親族って、すごいよ。今まで親戚づきあいなんかしてこなかったくせに、急に『心配してる』って言い出すの。心配してるなら、あたしの残高を数えるなって話だよね」


 俺は何も言えなかった。


 異形になった者の扱いは、知っているつもりだった。


 仕事を失う。


 部屋を失う。


 信用を失う。


 役場でそういう案件を見てきた。


 だが、高校卒業前に億を稼いだ少女が、異形になった瞬間、その金を目当てに親族や周囲から食い荒らされる話など、理解が追いつかない。


 現実味がなさすぎる。


 だが、目の前の鐘々なら、やっていてもおかしくないと思わせる説得力があった。


 この女は、たぶん本当に稼いでいた。


 そして、本当に奪われた。


「で、全部?」


「全部ではないよ。全部取られるほど、あたしも甘くないし。でも、かなり持っていかれた。凍った。動かせなくなった。信用も落ちた。取引先も離れた。部屋も飛んだ。で、焦ったあたしは、取り返そうとして無茶をした」


 そこで思い至った。


 こいつが、どこで俺のことを嗅ぎつけたのか。


「それで、異形向け金融か」


「そう。失敗したのはあたし。そこは認める。けど、耳が伸びただけで口座止められて、部屋追い出されて、信用ゼロ扱いされなきゃ、あんな手は打ってない」


 鐘々の声は明るい。


 だが、言っていることはまったく明るくない。


 最悪な気分だった。


 異形になった者の扱いは知っていた。


 知っていたはずだ。


 けれど、目の前の少女の口から聞くそれは、書類で見る相談記録よりずっと生々しかった。


 そして、同時に一つ分かった。


 鐘々は、ただ偶然俺に声をかけたわけではない。


 異形向け金融に手を出しているなら、灰島たちと同じ界隈の情報に触れていてもおかしくない。祖父の債権。網代の家。倉庫の奥にあるらしい何か。そこへ、新人探索者が珍しい魔石を持ち込んだ。


 真白鐘々にとって、俺は偶然見つけたカモではない。


 金の匂いがする、かなり怪しい獲物だったのだろう。


「だからね、私……」


 鐘々が続ける。


 その先に来る言葉を、俺は勝手に想像した。


 復讐したい、取り返したい……奪った奴らを許さない。


 そういう言葉が来るのだと思った。


 だが、鐘々はぱっと顔を輝かせた。


「うれしいんだよね!」


「は????」


 歓喜だった。


 完全に、純粋な歓喜だった。


「知ってる? お金がなくなったっていうことはね……お金をまた稼げるっていうことなんだよ!」


「いや、何を言ってる?」


「しかも今度はハードモード! 異形で信用なし、借金あり、口座制限あり、追手あり! 燃えるじゃない!」


「?????」


 おそらく、俺の背後には広大な宇宙が広がっていたことだろう。


 理解が追いつかない。


 この女、完全に俺の理解を超えている。


 怪人の類いだろ、これ。


「えーと、つまり、何だ? お前は金を取り戻したいんじゃなくて、金を稼ぎたいだけなの?」


「お金に、それ以外の価値なんかないでしょ」


「あるだろ。生活とか、安心とか、復讐とか」


「生活は稼ぐための土台。安心は稼いだ結果。復讐はコスパ次第」


「コスパで復讐を評価するな」


「赤字復讐はよくないよ。相手に損させるなら、自分の利益も作らないと」


「なんなの? 急にアクセル踏んで、おもしれー女になろうとしてんの? イカれた女枠一直線だぞ?」


「冗談きついねー」


 鐘々は笑った。


 冗談ではないのだが。


 だが、さっきまで話していた内容に嘘があるようには聞こえなかった。


 嘘のような話ではあった。


 高校卒業前に億を稼いだ少女。


 異形化によってそれを奪われたダークエルフ。


 それでも絶望ではなく、「また稼げる」と笑う女。


 普通なら、信じない。


 だが、この短時間で彼女は、俺が六千三百円に変えた魔石を十万円にして戻ってきた。


 こいつには、それができる。


 そう思わせるだけの説得力があった。


 金を稼ぐことが生き甲斐の怪人。


 それが、真白鐘々という女なのだろう。


「あ、そうそう」


 鐘々が、思い出したように言った。


「まだ何かあるのか?」


「お兄さんの家の倉庫、ダンジョンあるでしょ?」


 その瞬間、俺の呼吸が止まった。


 ポケットの中で、十万円の重みが急に消えたような気がした。


 鐘々は笑っていた。


 明るく、軽く、楽しそうに。


 俺はその笑顔を、本当に怖いと思った。


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