第9話 真白鐘々は、金の匂いで迷宮を見つける

 さて、非常に困った。


 まず、ヤクザに目をつけられている。


 祖父の借金を理由に俺を追い詰めてきた連中は、どうやらこの倉庫の奥に何かがあると嗅ぎつけ始めている。実際、ある。めちゃくちゃある。ダンジョンがあるし、コアちゃんもいる。


 ただし、そんなものを素直に説明した瞬間、俺の人生は今度こそ終わる。


 コアちゃんという新たな仲間を得ることはできた。


 だが、それで借金問題が解決したわけではない。むしろ、秘密にしなければならないものが増えたぶん、状況は悪化していると言ってもいい。


 あれから、俺はコアちゃんと一緒に、俺の欲とやらを使ってさまざまなものを作ってみた。


 分かったことは、俺の想像力がかなり貧弱であるということだ。出来上がった様々な家具、とりあえず使えないことはない。むしろ頑丈ではある。だがそれだけだ。デザイン性もなければ機能美も怪しい。ひとえにこれは、俺の想像力が貧弱すぎることの証左なのだろう。


 いや、欲望はある。


 金が欲しい。安全な家が欲しい。まともな生活が欲しい。借金取りに勝ちたい。できれば毎日トンカツを食べたい。


 欲望だけなら、たぶん人並み以上にある。


 だが、それを「売れる物」として正確に想像しろと言われると、途端に難しくなる。


 いくら欲望があろうが、想像力が足りていない。


 しかも、大きな生成物は持ち運びが不便だ。椅子や机を抱えて売り歩く無職など、怪しさで言えばかなり上位である。


 高価すぎるものも危険だ。


 たとえば、いきなり希少金属の塊や、見たこともないダンジョンの素材を売りに出せば、出所を問われるのは想像に難くない。


 未登録ダンジョンの存在を隠したまま物を売るには、何よりも優先すべきものが必要になる。


 そう、それは建前だ。


「コアちゃん」


「なんじゃ、主よ」


「とりあえず、俺、探索者になろうと思う」


 俺がそうテンプレートな台詞を言うと、コアちゃんはきょとんとした顔で首を傾げた。


「探索者とはなんじゃ?」


「色んなダンジョンの中を探索して、金目のものを探す人かな。ダンジョン内で素材を拾ったり、魔物を狩ったり、依頼を受けたりする職業だ」


「ほう」


「コアちゃんに作ってもらったものを売るには、建前が必要になる。探索者なら、ダンジョン内で拾った魔石、鉱物、魔導素材なんかを売っても不自然じゃない」


 そう。


 探索者になれば、ダンジョン内で拾った素材を市場に流す建前ができる。


 コアちゃんの存在そのものは隠すとしても、彼女の内部で作った小さな魔石や結晶なら、どこかのダンジョンで拾ったものとして売却できるかもしれない。


 もちろん、大手の鑑定所や公的買取窓口は利用できない。


 出所を調査されたとき、コアちゃんの存在を隠し通せるかはかなり怪しい。というより、俺自身、そういう仕事をしたことがある。


 未登録ダンジョン由来の可能性がある素材。


 不自然な魔力反応。


 流通経路不明の魔導物質。


 そういうものが見つかれば、役場や関係機関が動く。あのクソ役場は、面倒な市民相談には鈍いくせに、金になる可能性のある案件には妙に足が速い。


 俺の家に調査員が来る→倉庫を見られる。→コアちゃんを知られる。


 そうなった場合、保安封鎖、専門調査、所有権確認、危険度判定、場合によっては収用。


 駄目だ、絶対に駄目だ。ファッキン!!!!!!


「だから、足のつきにくい個人店を使う」


「こじんてん」


「ああ。この家から電車で二駅のところに心当たりがある。探索者相手の古い魔導素材屋だ。大手より買い叩かれるが、現金化は早いし、細かい出所を聞かれにくい」


「なら、電車とやらで行くのか?」


「乗るわけないだろ。そんな金はない」


「では、どうするのじゃ?」


「歩く」


「あるく」


「二駅なら歩ける。歩ける歩ける」


 言いながら、自分でも悲しくなってきた。


 現代日本において、電車代を節約するために二駅歩く元役場職員。しかも目的は、未登録ダンジョンの中で美少女型迷宮核に作ってもらった魔石を売るための探索者登録である。


 人生が迷子すぎる。


 コアちゃんは、少し不満そうに唇を尖らせた。


「しかし、他のダンジョンに潜る……? 浮気か?」


「潜る予定はないし、浮気ではないだろ。いや、浮気になるのか?」


「妾という迷宮がありながら、他の迷宮へ行くのじゃろう?」


「言い方が急に重い」


「それに、あまり気軽に出歩かれると妾としては心配じゃ。あんな痩せた狼に殺されかけるくらい、主は弱いからのう」


「コアちゃんは人間のことが分かってないようだから言っておくけど、普通の人間は同じくらいの体躯の獣に素手で勝てるようにはできていないんだぞ?」


「そうなのか……」


 コアちゃんは真剣に驚いた顔をした。


 ダンジョン基準の生存観、怖すぎる。


「まあ、今の主なら大丈夫じゃと思うが……あまり心配はさせないでほしいのう」


「待って。何をもって、今の俺なら大丈夫だと判断した?」


「主の身体を直したときに、ちょっと……」


「本当に何をしてくれた!?」


 どうやら俺は、知らない間に改造人間になっていたらしい。


 いや、改造という言い方が正しいのかは分からない。身体を元の形へ戻したと言っていたが、そのついでに何かされた可能性がある。


 笑えない。


 あとで検証が必要だ。


 ……検証? 腕立て伏せとか、握力とか、ジャンプ力とか?


 いや、その前に健康診断か?


 未登録ダンジョンの中で身体を作り直された結果、健康診断に異常値が出ました、などという事態になったらどう説明すればいいのか。


 嫌すぎる。


「まあ、とにかく探索者登録だ」


「簡単になれるものなのか?」


「なるだけならな」


 探索者になるだけなら、非常に簡単である。


 依頼を請けたり、他人を引率したり、一定危険度以上のダンジョンへ公式に入ったりするには、免許や段階的な認定が必要になる。


 だが、個人が自己責任で低危険度ダンジョンへ潜り、素材を採取するだけなら、講習と登録で済む。


 つまり、危険な場所に入って、命を懸けて、拾ったものを売るだけなら、かなり簡単に始められる。


「人の命が軽すぎるだろ」


 口に出してから、少しだけ嫌な気分になった。


 だが、それが制度として続いている理由も、元役場職員の俺には分かる。


 探索者は、常に人手が足りない。


 危険で、収入が不安定で、事故率も高い。探索者一本で食える人間など、全体から見ればごく一部だ。


 それでも、探索者登録はなくならない。


 なぜなら、それが普通の仕事から押し出された者たちの受け皿にもなっているからだ。


 異形化して職を失った者。


 外見を理由に面接で落とされ続けた者。


 部屋を借りられず、保証人も得られず、正規の融資から弾かれた者。


 そういう異形になった人間へ、行政は言える。


 探索者登録という選択肢があります。講習を受ければすぐにでも生活費を稼ぐことができますよ。


 就労支援の実績としては、それで形になる。


 たとえ、その先で何が起きても。


 ダンジョンの中で異形が野垂れ死んだとしても、地上で生活保護や住宅支援を続けるより、処理が楽だと考えている人間がいないとは言い切れない。


 考えすぎかもしれない。


 だが、そういう顔をした人間を、俺は役場で見たことがある。


 だからこそ、吐き気がする。


 それでも。


 今の俺は、その制度を使う側に回るしかない。


 綺麗な手段だけを選べるほど、俺の財布は綺麗ではない。


     ◇


 探索者講習は、驚くほど事務的だった。


 会場は、市の外れにある古い公共施設の一室。


 壁には、色褪せたポスターが貼られている。


《ダンジョン採取は自己責任で》


《未登録ダンジョンを発見した場合は速やかに報告を》


《魔物遭遇時は無理な交戦を避けましょう》


《死亡・重傷事故に備えて保険加入を推奨します》


 推奨……。そこは義務にしろよ、と心の中で突っ込む。


 受付で名前を書き、身分証を出し、簡単な確認を受ける。


 そのあと、動画を見せられた。


 低危険度ダンジョンの基礎知識に、基本的な魔物の対処法。


 窓口での採取物の申告と持ち帰りについての制限。


 未登録ダンジョンの通報義務。罠や転落への注意。


 ダンジョン内での遭難時の対応に、救助費用の一部自己負担。


 そして、死亡時の遺体回収が困難な場合があること。


 駆け出し探索者向けの内容としては、必要なことは一通り入っている。


 入っているのだが、早いし薄い。


 全体的に、「読んだし説明したので、あとは自己責任です」という空気が強い。


 俺は元役場職員なので、内容の意味は分かる。


 だが、隣の席に座っている若い男が、半分寝ながら聞いているのを見て、本当にこれでいいのかという気分になる。


 いや、よくない。よくないに決まっている。


 だが、制度上はこれで通る。


 講習室には、俺以外にも十数人の受講者がいた。


 その中には、異形も多かった。


 片方のこめかみから短い角が出ている男。


 肌が青灰色に変わった女。


 耳が長く、帽子を深くかぶっている青年。


 腕の一部が鱗のような質感になっている中年。


 誰も騒がない。


 誰も見ないふりをしている。


 だが、見ないふりをされること自体が、すでに視線の形をしていた。


 祖父も、こういう場所に来たのだろうか。


 耳が長くなって、仕事を失い、信用を失い、家族と離れて。


 普通の生活から押し出されて――最後に、ここへ来たのだろうか?


 探索者制度は、夢の入口ではない。


 少なくとも、俺にはそう見えなかった。


 それは、普通の場所から弾かれた人間が、最後に流れ込む排水口のようにも見えた。


 最悪の感想だと思う。


 だが、そう見えてしまったのだから仕方がない。


 講習の最後、登録証が発行された。


 薄いカード型の探索者登録証。


 名前、登録番号、初期区分、講習修了日。


 これで俺は、表向きには個人探索者である。


 ダンジョン産素材を売っても、最低限の建前は立つ。


「……建前一枚、取得完了」


 俺はカードを財布に入れた。財布の中身は軽い。


 だが、少なくとも今は、このカード一枚が金よりも必要だった。


     ◇


 探索者講習の会場から、俺はそのまま例の個人店へ向かった。


 もちろん徒歩である。


 電車?


 乗るわけがないだろう。


 今の俺にとって、二駅分の運賃は贅沢品である。人間、追い詰められると健康的になるものだ。歩数だけは増える。


 俺はポケットに手を入れ、中にある小さな魔石を指先で転がした。


 かちゃ、かちゃ、と硬い音がする。


 コアちゃんの中で生成した、青みがかった小さな結晶だ。


 魔石というのは、ざっくり言えば魔力を含んだ石である。これを加工すると、魔導具の電池になったり、簡易魔法陣の起動材になったり、研究用の検体になったりするらしい……。詳しいことは知らん。


 役場職員は、魔石がどんな理屈で動くかより、それを誰がどこで拾って、誰が買い取って、事故が起きたときどこが責任を押しつけられるかの方を気にする仕事である。


 ともかく、まずは現金化だ。


 コアちゃんの中で生成した魔石が、どの程度の価値を持つのか確認しなくてはいけない。


 高すぎても困る。


 安すぎても困る。


 何より、怪しまれたらそこで終わりだ。


 一般的な初心者探索者が一度の低危険度ダンジョン探索で持ち帰る魔石の量や相場には、おおよその目処がついている。


 前職の経験を、ひたすら情報戦に使っている気がする。


 まあ、いい。


 ブラック職場で得た知識くらい、退職後に使わせてもらわないと割に合わない。


「慎重にいこう……」


 口に出して、自分へ言い聞かせる。


 少なすぎれば生活が詰む。多すぎれば足がつく。未登録ダンジョンを隠しながら金を作るというのは、思った以上に繊細な作業だった。


 やがて、目的の店が見えてきた。薄汚れた看板を掲げた、古い店である。看板には、でかでかとこう書かれていた。


《西成書店》


「……書店じゃねぇか」


 思わず呟いた。


 どう見ても魔導素材屋の名前ではない。


 元は古本屋だった名残なのだろう。看板くらい変えろと思わないこともないが、変えない理由もなんとなく分かる。


 こういう店は、目立たないことに価値がある。


 探索者相手の買取店です、魔導素材を扱っています、などと正面から掲げれば、面倒な客も役所も寄ってくる。


 古本屋の顔をして、分かる人間だけが奥へ進める。そういう店だ。


 俺は戸口を開けた。


 ちりん、と小さな鈴が鳴る。


 店内に入った瞬間、古本の匂いが鼻についた。


 壁一面に設置された本棚には、何年前のものか分からない文庫本や雑誌、専門書、黄ばんだ漫画までぎっちり詰め込まれている。


 魔導素材屋とは何なのか。そう思わないこともない。だが、店内を少し見れば分かる。古本は壁際。魔導素材は、店主の手が届く範囲。


 レジの奥、鍵付きのショーケースの中に、鉱石、魔物由来の小さな器官、乾燥させた草の束、魔石らしき結晶が丁寧に並べられていた。


 なるほど。高いものほど店主の近く。


 実に分かりやすい。


 そのレジで、店主はうたた寝をしていた。


 白髪混じりの頭が、古い帳簿の上で今にも落ちそうになっている。


 俺はレジ横に置かれた小さなベルを見た。


 押す。


 ちん。


 店主の肩が、ぴくりと跳ねた。


「……あ?」


「買い取りをお願いしたいんですが」


 店主は、面倒くさそうに目を開けた。


 俺の顔を見る。


「新人か」


「今日登録したばかりです」


「ふうん」


 店主は登録証をちらりと確認し、俺が差し出した小さな魔石を受け取った。


 指先で転がし、光にかざす。


 小さなルーペのようなものを取り出し、内部の筋を覗く。


 俺は呼吸を浅くした。


 頼む……。怪しむな……。珍しがるな……。通報するな……。


 店主はしばらく魔石を眺めたあと、つまらなそうに言った。


「六千三百」


「……六千三百円?」


「嫌なら持って帰れ」


「いえ、お願いします」


 即答した。


 ここで粘るのは悪手だ。


 初心者探索者が、相場も分からずに持ち込んだ魔石を、古い個人店で買い叩かれる。むしろ自然である。


 店主はレジを開け、紙幣と小銭を雑に数えた。


 かくして、俺は六千三百円を手に入れたのであった。


 ……少ねぇ!?!?


 店を出てから、心の中で盛大に叫んだ。


 いや、現金はありがたい。


 ありがたいのだが、日給がこれか!?


 今のご時世、アルバイトでも時給千二百円くらいはあるぞ!? 低危険度ダンジョンへ潜って命を張って、持ち帰った魔石が六千三百円。探索者制度、やはりだいぶ人の命を安く見積もっている。


 まあ、俺は実際には命を張っていない。コアちゃんの中で作ってもらっただけだ。それで六千三百円なら、むしろ利益率は悪くないのかもしれない――ただし、これを借金返済の主力にするのは無理だ。


 電気代と食費の一部にはなる。


 だが、借金取りを黙らせるには、桁が足りない。


「くそ……足元を見すぎだろ……」


 毒づきながら、俺は西成書店を後にした。


 そのときの俺は、気づいていなかった。


 店内の本棚の隙間から、こちらを見ていた目に。


 俺が出した魔石ではなく。


 その魔石が、どこから来たのかを見ていた目に。


 そして、その目の持ち主が、金の匂いに関しては俺よりずっと鼻が利く人間だったことに。


     ◇


 店を出て、俺は家に向かって歩き出した。


 いつもなら、そろそろ息切れなり、足の重さなりを感じてもおかしくない距離を歩いている。


 だが、今のところ身体は快調だった。


 息は乱れない。足取りも軽い。膝も腰も痛くない。


 むしろ、歩くたびに身体の使い方が妙に分かる。筋肉がどこで伸び、どこで縮み、どのタイミングで地面を蹴れば効率がいいのか、感覚が勝手に整っているような気持ち悪さがあった。


「……これ、何かされた効果が出てるだろ」


 思わず呟いた。


 身体能力は、多少どころではなく向上している可能性がある。


 まあ、あれだけズタボロにされれば、強くなりたいという欲求があっても不思議ではない。


 ダンジョンで食い殺されかけたのだ。


 次は勝ちたい。


 次は逃げ切りたい。


 次は死にたくない。


 そういう欲望があったとしても、不自然ではない。


 不自然ではないが。


「なんか、知らない間にどんどん何かされそうではあるよな……」


 そう、今は仲良くしている……。コアちゃんは、俺を助けてくれた。俺の欲望を食べると言いながらも、少なくとも現時点では俺の味方だ。


 だが、彼女は人間の常識や倫理の外にいる存在である。


 本人に悪意がなくても、善意でとんでもないことをする可能性がある。


 身体を直すついでに、強くしておいた。


 便利だから、寝なくても動けるようにしておいた。


 主が死ぬと困るから、痛みを感じにくくしておいた。


 そんなことを、無邪気な顔で言われる未来が見える。


 かなり嫌だ。


「常識を教える必要があるな……」


 本を買うか……? いや、金がない。


 なら、教育番組か……?MHKの子供向け教育番組でも見せれば、多少は人間社会の常識を学べるのではないか。


 家にテレビがまともに映るかは知らないが、スマホで見せればいい。


 うん。コアちゃん倫理教育計画、始動である。


 そんなことを考えながら足を動かしていると、不意に横から声がした。


「おにーさん、災難だったね」


 ナンパされた。


 いや、ナンパではないかもしれない。


 反射的に声のした方を見る。


 そこには、俺とほぼ同じ目線の高さに顔があった。


 褐色の肌。


 太陽の光を反射して煌めく銀髪。


 すらりとした手足。


 背は高い。百七十センチくらいはありそうだ。立ち方に妙な安定感があり、歩幅も軽い。運動部、それも走ったり跳んだりする競技をやっていた人間の姿勢に見えた。


 そして、何より目を引くのは、髪の間から覗く長い耳だった。


 日本人では到底お目にかかれない見た目――いや、これは異形だ。


 変化形の分類で言えば、確か、ダークエルフ。そう呼ばれる症状のものだ。


「急に声をかけないでくれ。恋してしまったらどうする」


「え、声かけられたら恋するくらいに女っ気がないの? どんな人生送ってきたの?」


「失礼なやつだな。今まで女と触れ合う機会は腐るほどあったわ」


 役所で有名なクレーマーだけど。もちろん、そんな補足は口に出さない。口に出したら傷つくのは俺である。


「で、災難ってどういうことだ?」


 俺は足を止めた。


 女――ダークエルフの少女は、にこにこ笑っている。


 距離感が近い。


 初対面の相手に話しかける距離ではない。親戚の集まりで久々に会った従姉妹くらいの軽さである。


「お兄さん、あの店で魔石の買い取りしてもらったでしょ?」


「……見てたのか?」


「いやー、珍しい魔石を持ってるんだなーって。私、さっきのお店で立ち読みしてたの、気づいてなかった?」


 マジでか? 壁には本しかなかったぞ?


 いや、確かに古本屋の顔をした店ではあった。立ち読み客がいてもおかしくはない。


 おかしくはないが、絶対に嘘だろ。


 あの店で本を読む人間がいたとしても、それは本が目当てではなく、何か別のものを見ている人間だ。


「お兄さんが売ってた魔石、あれね、正規の買い取り価格、八万ちょっとするよ?」


「……は?」


 は ち ま ん ?


 待て。待て待て待て待て。八万? 八万っていったか?


 俺の手元にあるのは六千三百円だぞ?


 それが正規の買い取り価格は八万?


 嘘だろ?


「そ、そんなわけないだろ。あの店だってちゃんとした商売をしてるんだろ? いくらなんでも、そこまで買い叩かないだろ?」


 声が震えた。震えるな。冷静になれ。


 この女がわざわざそんなことを言うメリットは何だ。


 俺を動揺させること。残りの魔石を狙うこと。何かの詐欺。


 もしくは、本当に俺が買い叩かれたことを教えに来た親切な通行人。


 最後の可能性は低い。


 この世に、親切な通行人などそうそういない。


「普通の素材なら、あそこまで露骨なことはしないよ。でも、お兄さんが持ち込んだやつ、本当に珍しい魔石だからね」


 少女は、指を一本立てた。


「それに、間違いやすい似た魔石があるの。そっちの買い取り価格は、だいたい八千円くらいかな。熟練の探索者でも間違えるから、あの店主は狙って安い方の値段で買い取るんだよ。これ、常識ね」


 キノコかなにかかよ!? 食えるやつと毒のあるやつを間違えた、みたいな話を魔石でやるな!!


 ……ていうか、安い方の価格にすら届いてねぇじゃねえか!?


「ず、ずいぶんと詳しいんだな。だが、ちらっと見ただけでは分からないだろう?」


 俺は必死に否定してみた。


 いや、否定というより、確認だ。


 この女がただのイタズラで俺をからかっている可能性もある。だが、話し方に妙な具体性がある。


 しかも、俺が持ち込んだ魔石を「珍しい」と言った。


 コアちゃんの中で生成した魔石。普通のダンジョンで拾ったものではない魔石。


 それを、見ただけで何かおかしいと感じ取ったのなら――かなりまずい。


「鑑定には自信があるのよ」


 少女は胸を張った。立派な胸もある。


 いや、そこを見るな。


 今は金と秘密の話だ。


「で、その魔石、まだ持ってるでしょ? 私がうまいこと換金してきてあげようか?」


 その瞬間、俺の背筋に冷たいものが走った。


 こともあろうに、この女。


 俺が他のポケットに入れておいた残りの魔石の存在にも気づいていた。


「……何で分かる」


「音」


「音?」


「歩くたびに、ポケットの中でかちゃかちゃ鳴ってた。さっき売ったのと似た音。あと、お兄さん、店を出てからずっと右のポケット気にしてる」


 観察力が高い……非常に嫌なタイプだ。


「手数料で二十パーセントもらうけどね。いい?」


「それが目的か……」


 俺は黙って考えた。


 元々、この魔石の元手はゼロだ。


 コアちゃんに作ってもらったものだ。もちろん、欲望というコストは支払っているのだろうが、現金はかかっていない。


 仮に八万円で売れるとして、二十パーセントを取られても六万四千円。


 六千三百円とは比較にならない。


 ただし、目の前の女を信用できるかは別問題だ。


 初対面なのにやけに距離感が近い。鑑定に詳しい。俺のポケットの中身に気づいている――そして異形。


 ここで一瞬、嫌な計算が頭をよぎった。


 仮に何かあったとしても、警察や士業は俺の味方になるかもしれない。異形である彼女より、普通の人間である俺の言い分を信じるかもしれない。腐っているが、そういう世の中だ。


 そう考えてしまった時点で、俺も相当嫌な人間である。祖父の話を聞いたばかりだというのに。


 だが、彼女もその構造を知っているはずだ。知ったうえで、俺に声をかけている。なら、単なる善意ではない。勝算か、目的か、逃げ道か。


 何かがある。


「……なんで俺がまだこれを持っているのかとかは、今回は聞かなかったことにして」


「うん。聞かない。今はね」


「今は、か」


「商売って、順番が大事だから」


「名前は? 俺は網代駆」


 少女は、名前を聞くと、ほんの一拍遅れてにっと笑った。


真白鐘々ましろ かねね。」


「かねね」


「そう。かねねでいいよ」


 名前まで金の音がした。


 いや、漢字は知らないが、たぶんそういう音だった。


 俺は、ポケットの中の魔石を握りしめる。


 真白鐘々。


 ダークエルフ。


 鑑定に自信があり、魔石の相場を知っていて、俺が買い叩かれたことを一瞬で見抜き、残りの魔石の存在まで察した女。


 危険だ。


 非常に危険だ。


 だが、今の俺に必要なのは、こういう危険な人間なのかもしれなかった。


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