フィジカルAIの「3乗」で効く高リターンさを踏まえれば、たとえ高リスクであろうともチャレンジすべきだろう。そうしなければ将来の巨大市場の一角に食い込めなくなってしまう。図3の区間Yの時期になってからキャッチアップすればよいという戦略もあり得るが、国の中で戦略は1つに絞るのではなく、いくつか選択肢を持っておくのがよいはずだ。いち早くこの競争に身を投じるという戦略も実施しておくべきだろう。

図10 日本には十分な資金がある
図10 日本には十分な資金がある
個人金融資産は約2350兆円、企業の内部留保は約630兆円もある。

 では、こうした高リスク・高リターンの投資テーマをまかなえる資金とは何だろうか。ここでよく言われるのが「日本には資金がない」という言説だ。

 確かに日本の研究者や技術者の個々の現場では十分な開発資金がないことが多く、技術者のミクロな実感としてそうなるのは致し方ない面はある。しかし、それと「日本に資金がない」はまた別の問題だ。日本はかつて世界第2の経済大国だったのであり、その過去の栄光もあり、現在でも個人金融資産は約2350兆円、企業の内部留保は総計で630兆円もある(図10)。これは世界でも有数の規模である。マクロなレベルでいえば「日本に資金がない」などとは到底言えず、莫大な資金があるといえる。

 問題はこれらの資金の大部分が低利回りに固定され、「産業の血液」、リスクマネーとして適切に回っていないことだ。例えば、個人金融資産の約5割は低利の銀行預金・現金であり、企業への融資や国債などに回っている。「安心・安全」が美徳であり、ひたすらそれを求める傾向が強い日本においては、高リターンを求めて高リスクを負う姿勢というのは「強欲だ」「失敗したらどうする」「そんなのは無謀だ」と非難されやすく、結果として社会の様々なステークホルダーが「減点」「糾弾」されるのを恐れ、意思決定が「低利回り」的になりやすかったが、フィジカルAIのような大きなチャンスがあるのであれば、一部でも改める必要がある。たとえ少数でも周囲の風潮に歯向かってチャンレジする人々がいれば、きっとその成功を機に潮目が変わる。ホームラン級の成果が1つでも出てくれば、それをロールモデルに社会も変わりうる。フィジカルAIにおける「未来のNVIDIA」が日本由来で出てこないとも限らない。

 フィジカルAIで必要になる数千億円~数兆円の資金の出し手となる主体は3つある(表2)。① 日本政府(一般会計や特別会計など)、② 大企業のR&D投資、③ スタートアップエコシステム、である。

表2 フィジカルAIの投資資金の出し手の候補
表2 フィジカルAIの投資資金の出し手の候補

 まず① については高市政権になり積極財政に舵を切ったことで、AI関連の予算が拡充。2026年3月には「AIロボティクス戦略」も政府から出され11)、フィジカルAIについて2026年度予算で3873億円を拠出することとなった(正式事業名は「AIロボット・フィジカルAIを見据えたマルチモーダル基盤モデル開発事業」)注6)。この事業には、ソフトバンクやNEC、ホンダなどが出資した「日本AI基盤モデル開発」という企業が応募予定と言われている12)。資金規模も大きく期待できる取り組みだが、フィジカルAIの将来の市場規模の大きさを踏まえれば、国家プロジェクト支援企業に限らず、より多くの挑戦者が出て来るべきだろう。国家プロジェクトは政府の資金を使うことによる公平性への配慮や、多数のステークホルダーが参画することによる調整・意思決定スピードの劣後といったデメリットが発生する可能性もある。

注6)財源は「GX経済移行債(GX債、脱炭素成長型経済構造移行債)」というタイプの国債である。GX債は「クライメート・トランジション利付国債(CT債)」としての発行が主体で、カーボンプライシング(化石燃料賦課金など炭素への課金)などで償還する点が通常の国債と異なる。脱炭素への移行に資するものなどに用途を限定している。GX債は2023年から10年間を予定しており、20兆円規模の発行を予定する。フィジカルAIの事業については、このGX債を基にし、NEDO経由の執行となる。GX債という目的付き財源に裏付けられている点が通常の支出と異なる。

 ② については、大企業の場合、イノベーションのジレンマで高リスク・高リターンの新規事業には投資しづらいという事情がある。内部留保が630兆円もあり巨額ということは、裏を返せばそれだけリスクマネーとしての投資に長年消極的で、資本効率が低い状態とも言える。日本の「失われた20年」は、こうした消極姿勢の証左でもある。大規模投資であっても工場建設のように投資対効果を説明しやすい案件であれば踏み出しやすいが、フィジカルAIのように不確実性が高く、既存事業とのシナジーも説明しにくい案件となると、さらにハードルが高い。特に大企業のように何らかの既存事業を抱えていると、どうしても視点が特定の事業やドメインのユーザー的立場になりやすく、基盤モデル本来の幅の広さや汎用さを存分に引き出しづらいともいえる。

本記事はロボットとAI技術の専門誌『日経Robotics』のデジタル版です
本記事はロボットとAI技術の専門誌『日経Robotics』のデジタル版です

 こうした状況を踏まえると、フィジカルAIへのリスクマネー供給を支えるのに最も適しているのは、③ のスタートアップエコシステムだろう。スタートアップエコシステムは本来、リスクマネーの供給に特化した仕組みであり、フィジカルAIのような高リスク・高リターン、不確実性の高い投資案件には最も向いている。既存事業とのしがらみも一切なく、基盤モデルとしての幅の広さを存分に生かせる。

 さて、それでは日本のスタートアップエコシステムは、このフィジカルAIという喫緊の投資テーマを果たして支えられるのか。後編では、この点について詳しくみていく。

フィジカルAI 日本の処方箋[後編]

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日本のフィジカルAI 9の誤解

誤解1 「GAFAMが持っていない現場データが日本の勝ち筋になる」

(写真:gguy - stock.adobe.com)
(写真:gguy - stock.adobe.com)

 何をもって「現場データ」とするか次第だが、現場は日本だけに存在しているのではない。日本以外の国・地域にも現場データは無数に存在する。米国や中国にも産業は多くあり、欧州・アジアにもある。それらが皆、同様に現場データを持っている。ファストフードの厨房は世界中にある。トイレ掃除も世界中にある。物流の現場も世界中にある。農作業も世界中にある。「日本は特殊」という前提は一度捨てた方がよい。また、日本に強い現場があるのだとしても、それをフィジカルAIで使えるような形でデジタル化できなければ意味がない。「現場データが日本の勝ち筋」という言説は、フィジカルAIのような新市場・新技術に及び腰になりやすい日本の大企業に前向きな勇気を与える効果はあり、国内企業を鼓舞するスローガンとしては秀逸だが、言説の内容そのものは過度に楽観的に単純化されているといえる。

誤解2 「匠の技、職人芸をフィジカルAIにすることが日本の勝ち筋だ」

 フィジカルAIで実用化される順序としては、まず「多くの人間なら誰でもこなせるような低難易度のタスク・動作」から先に事業化・普及し、その後、かなり技術が進化した段階になって、ようやく「匠の技」をAI化できる、という流れとなる。米Meta PlatformsのMeta FAIRによるマルチモーダル基盤モデルの論文(https://arxiv.org/abs/2603.03276)の結果などを踏まえると、人間のegocentric動画など広範なマルチモーダルデータで事前学習させたフィジカルAIは「日本が強みの現場データ」がなくとも、将来的に「人間なら誰でもできるようなタスク」を、zero-shotやfew-shotでこなすようになる可能性がある。

 労働市場ではアルバイトやパートについて「未経験者OK」のようなタスク・仕事があふれており、現状ではフィジカルAIの技術水準が未成熟でロボットがこなすのは難しいことから、これらタスクは人間が実施しているが、ひとたびフィジカルAIが「ChatGPT moment」を迎えた暁には、職人技などのニッチなタスクよりも先に、まずは高度な知見が不要なアルバイト的なタスク(最近の流行語でいえば「タイミーさん」がこなすようなタスク)がロボット化され(しかもこちらの方が職人技よりボリュームは大きい)、そこでシェアを取ったベンダーが、稼いだ資金を強みに職人技・匠の技にも進出するという流れになるとみられる。このため、現在日本で流布している「職人技や匠の技をフィジカルAI化することが日本の勝ち筋」という言説はそもそも順序が逆である可能性が高く、基盤モデルの特性・定義をあまり正しく踏まえていないといえる。

誤解3 「フィジカルAIの波及は徐々に進む」

 確かに研究レベルでは地道な工夫を積み上げていくことで漸進的に改善が進む。しかし、フィジカルAIや大規模言語モデル・生成AIのような基盤モデルの社会的なインパクトは、技術水準がある閾値を超えた瞬間、突然増大する傾向が強い。つまり技術進化は漸進的でも、社会的インパクトは非連続に発生したように見えるのが、基盤モデルの性質である。それは、基盤モデルが、使える局面(状態)の分布の広さ、いわば「汎用さ」を指向しているAIだからである。大規模言語モデルでのChatGPT momentしかりだ。GPT-1の頃のように技術水準がこの閾値を超えるまではユーザー側がいくらPoCを重ねようともなかなか現場で使えず、製品としての付加価値も薄い。しかし、ひとたび閾値を超えると、広範な用途・産業に突然影響を及ぼす(実際に使えるかは安全性などの課題を乗り越える必要があるが、タスクとして技術的に可能になることは大きなインパクトである)。

 ディープラーニングが勃興した当初、CNN主流の時代に度々流布された「自社で現場データを集めてアノテーションし、ImageNetなどをfinetuningすると自社業務で使えるようになる」といった古いAIのイメージから一度離れる必要がある。基盤モデルというのは、幅広いタスクに再学習なしで、zero-shotやfew-shot、最小限の追加開発で適応できるモデルというのがそもそもの趣旨・定義であり、汎用性こそが核心である。ユーザーは往々にして自社のタスクにしか興味がなく、個別タスクの性能(縦方向)で基盤モデルを評価しがちだが、本質はこの幅の広さ(横方向)こそに価値がある。高さよりも横方向に広げることに腐心し、それで面積を稼ぎ、事業としての付加価値を出そうというのが基盤モデルの趣旨である。いちいち「我が社自慢の現場データ」でfinetuningしないと使い物にならないのでは、それはAIではあっても、基盤モデルではない。今世界がフィジカルAIに注目しているのは「物理空間で使えるAI」だからではない。「基盤モデルとしての性質を持ったAIが物理空間でも使える」と期待されているからだ。ひとたび、物理空間でフィジカルAIが基盤モデルとして実用化されたら、一部の非常に特殊な職人芸・難しいタスクを除けば、産業や用途を問わず、最小限の追加設定・構成で幅広い用途に使えるものになるはずだ。だからこそ、非連続な影響を社会に及ぼす。現状の生成AIも個別用途で見ると性能的な限界はあるものの、幅広い用途に個別開発もfinetuningもなしで役立っている。それと似たことだ。ディープラーニングが広まった5~10年ほど前、基盤モデル登場以前の頃と現在とでは、AIとしての性質が全く様変わりしているが、AIに詳しくない日本の大企業などではディープラーニング初期に言われていた言説を今もそのまま信じている傾向が強い。

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