まずフィジカルAIにどう関与するのかを大きく整理してみよう。それによってフィジカルAIへの向き合い方は全く変わってくる。大きく2つの区分けができる。

 1つはフィジカルAIを自社業務で使いたいと考える「ユーザーとしての立場」である。製造業の工場やサービス業の現場などで、これまでの非AIのロボット技術では自動化しにくかったような作業・タスクを、新しいフィジカルAIで自動化できるのではないか、という立場だ。そして、もう1つはフィジカルAIを自社製品・サービスの一部として他社に売る「ベンダーとしての立場」である。フィジカルAIをロボットや各種機械装置に組み込んで他社に売るハードウエア込みのベンダー、フィジカルAIをサービスとしてAPI経由などで提供しようとするベンダー、フィジカルAIをモデルやソフトウエアスタックとして他社に提供しようとするベンダー、などである。

 前者のユーザーとしての立場の場合、現時点ではいたずらにフィジカルAIの利用・導入について性急な姿勢になるのはやや違うといえる。本誌が度々解説しているように、そもそもフィジカルAIはまだ研究レベルで多数の課題を抱えており、ユーザーの観点ですぐにでも実用になるというフェーズではない。前号で解説したフィジカルAIのスタートアップ、米Generalist AIの「GEN-1」1)に象徴されるように、フィジカルAIは現時点でもこれまでのロボット技術では不可能だった作業を一部可能にしつつあり、技術が進歩しているのは確かだが、研究レベルで技術が進歩するのと、ユーザーの現場で使いものになるというのは、全く別の話だ。

GEN-1についての日経Robotics記事

AI最前線

GEN-1:汎用ロボットはどこまで実用化に近づいているか

 ロボット基盤モデルをベースとしたロボットへのAI応用が急速に進んでいる。しかし現時点では、汎用性、実用性、動作速度など、多くの課題がなお残されている。...

 確かに日本では人手不足という課題が深刻だが、残念ながら課題が深刻だからといって、AI技術について急に基礎研究レベルでのブレークスルーが起きるわけではない。研究レベルで課題を抱えた現在のフィジカルAIを、仮にユーザーの現場で試してみることで、いかに実用とのギャップが大きいか、そのズレの距離を実感することは可能であり、課題があるなりにどこか使える業務が社内にないかといった模索も可能だが、ユーザー1社の力でフィジカルAIの製品としての付加価値を大幅に底上げできるわけではない。大規模言語モデルでいえば、GPT-1のころに、もしユーザー企業が自社業務でGPT-1のPoCを積み重ねたからといって、それで大規模言語モデルの性能を実用レベルに引き上げられるわけではなく、あくまでベンダー側の米OpenAIの自助努力を待つしかなかったのと同様だ。

極めて不確実性が高い技術

図2 高リスクのフィジカルAIの事業
図2 高リスクのフィジカルAIの事業
フィジカルAIは基礎研究レベルでまだ多くの課題が山積しているほか、それが解決した後も市場に製品を投入する(PMF)までに、安全性や信頼性、製品ディストリビューションなど数多くの障壁を突破していく必要がある。基礎研究レベルでの課題の多さや、導入時の安全性などの問題を踏まえると、通常のディープテックのスタートアップ(SU)よりもリスクは大きいといえそうだ。(図:産業革新投資機構の図に、「フィジカルAIのSU」(オレンジ色部分)を本誌が加筆)

 一方、フィジカルAIのベンダーとしての立場の場合、どうだろうか。この場合、フィジカルAIが極めて高リスク・高リターンの技術であることを十分に踏まえる必要がある(図2)。どんな新技術でも研究開発や事業開拓においてリスクがあるのは当然だが、フィジカルAIは通常の技術開発よりもさらにその度合いが高いといえる。

 フィジカルAIの開発にベンダーとして取り組む際、高リスクとなるのは2つの要因がある(図3)。1つは開発に膨大な投資が必要なこと自体は分かっているものの、果たしてそれが最終的にどれほどの規模にまで膨らむのか、誰も正確には分かっていないことだ。そもそも、現在のフィジカルAIの中核技術群は、大規模言語モデルや画像生成モデル(拡散モデル)のようなメインストリームの生成AIに多く由来しており、技術の面ではかなり近いものである。クラウド上のGPUを数カ月などの長期にわたって回し、様々なハイパーパラメータ・条件を試すことで、はじめて適切なモデルを得られるというのも共通している。

図3 本誌が考えるフィジカルAIの発展シナリオ
図3 本誌が考えるフィジカルAIの発展シナリオ
従来のロボット技術は漸進的な進化をしてきたが、AIの領域で革新が起き、大規模言語モデル(LLM)に代表される基盤モデルが登場したことで、それをロボットの行動生成にも応用できる道筋が見えて来た。現状では実用化に必要な水準とのギャップは大きいが、学習データ量をスケールさせていけば、近いうちに汎用的なロボットを実用化できるとみて(図中の「シナリオA」)、挑戦する企業が多く現れてきている。ひとたび、実用化に必要な技術レベルを超えれば(LLMにおけるChatGPT momentのような閾値)、フィジカルAIは非連続な変化を社会に与える可能性がある。ただし、単純な学習データ量のスケールだけでは実用化に必要な水準に達しない可能性もあり(図中の「シナリオB」)、再び長い「ロボット冬の時代」が訪れる可能性もある。

 メインストリームの生成AIと近いのであれば、開発に必要な投資額もそれを参考にできると思うかもしれないが、それはやや違う。フィジカルAIでも、できるだけ多くの学習データがあった方がよいことは分かっているものの、どのようなタイプのデータをどれほどの量だけ集め、それらをどのような割合で、どのようなカリキュラムや順番で与えればよいのか。有効な学習方法のレシピ・正解が、フィジカルAIではまだはっきりと分かっていない。ここが既に実用化フェーズを迎えている大規模言語モデルなどと大きく異なる点である。

 現在、フィジカルAIで使われるモデルは、ロボットで動作させる際のリアルタイム性、遅延時間を考慮してメインストリームの生成AIのモデルよりも小規模なもの、数十~数百億パラメータのものが使われることが多く、この点だけをみるとメインストリームの生成AIよりも投資規模が少なくて済むと思うかもしれない。しかし、文字という情報が圧縮された離散的な記号を扱うことが多い大規模言語モデルと異なり、フィジカルAIでは複雑な現実世界を把握・理解した上で、物理空間に即した連続量を入力と出力の両側で扱う必要がある。最終的にロボットに実装する際は蒸留注1)や量子化注2)などを経てリアルタイム性のある軽量化したモデルを使うのだとしても、現実世界を適切に理解して、適切な行動を生成できる汎用的なフィジカルAIを学習・開発する際は、数千億~数兆パラメータの大規模なモデル容量が必要になり、フロンティアモデル級の多額の資金が必要になる、という可能性もある。通常の生成AIとフィジカルAIがほとんど区別がなくなり、融合していく可能性もあるだろう。フィジカルAIに取り組む米国のスタートアップなどは数千億円規模の資金を調達しているが(図1)、それらはあくまで現時点で調達済みの金額を示しているだけに過ぎず、フィジカルAIを最終的に商用レベルにまで持って行くのに必要な資金がその枠内に収まるなどという保証はどこにもない。

 つまり、フィジカルAIの開発は単純に莫大な投資が必要だから高リスクというだけでなく、どこまで増えるか不明であること、その不確実性(uncertainty)の高さがリスクの本丸ということだ。ロボット向けにフィジカルAIの開発に携わる、あるAI研究者はその心持ちを「壁に向かって猛スピードで突っ込んで行っているような気分」と表現する。毎月数億~数十億円以上を学習用GPUを回す費用として溶かしつつ、猛スピードで開発にまい進する。どこがゴールなのかは誰も分からず、向かう先には突然見えないコンクリート製の壁があるかもしれない。そんな気分ということだ。

注1)蒸留(distillation)とは、学習後の大規模なモデルの知識を、より小規模なモデルに転移させること。大規模モデルで入出力データを生成し、それを小規模なモデルに教師あり学習で真似させる。小規模なモデルを最初から学習させると高度な知識を得られないことが多く、豊富な知見を大規模モデルで得てから、その「上澄み」を移す方が性能が良くなることが多い。
注2)ニューラルネット内のパラメータは通常、浮動小数点で表現されることが多いが、演算負荷やデータ量を削減するため、推論時はよりビット幅を切り詰めた(量子化した)データ形式が使われることがある。

 ロボット技術というのは長らく頭脳の部分がボトルネックになってきており、数十年にわたってなかなか社会の期待に十分応えられるだけの価値を実現できてこなかったが、大規模言語モデルが登場し、それがロボットの行動生成にも応用できそうなことが分かってきたことで、技術向上のペースは従来よりも少し向上したといえるだろう(図3)。

図3 本誌が考えるフィジカルAIの発展シナリオ
図3 本誌が考えるフィジカルAIの発展シナリオ
従来のロボット技術は漸進的な進化をしてきたが、AIの領域で革新が起き、大規模言語モデル(LLM)に代表される基盤モデルが登場したことで、それをロボットの行動生成にも応用できる道筋が見えて来た。現状では実用化に必要な水準とのギャップは大きいが、学習データ量をスケールさせていけば、近いうちに汎用的なロボットを実用化できるとみて(図中の「シナリオA」)、挑戦する企業が多く現れてきている。ひとたび、実用化に必要な技術レベルを超えれば(LLMにおけるChatGPT momentのような閾値)、フィジカルAIは非連続な変化を社会に与える可能性がある。ただし、単純な学習データ量のスケールだけでは実用化に必要な水準に達しない可能性もあり(図中の「シナリオB」)、再び長い「ロボット冬の時代」が訪れる可能性もある。

 図3でいえば、区間Xの部分だ。しかし、フィジカルAIの技術が向上してきたとはいえ、前述したように実用化に必要な技術水準とはまだギャップがある。そして、「実用化に必要な技術水準」が一体どのくらいの高さなのか、それ自体が未知である。その技術水準が図3の閾値Aのような高さであれば、このままロボット用学習データの収集を続けていけば、数年後にフィジカルAIにおけるChatGPT momentを迎えられる「シナリオA」の可能性もある一方で、この技術水準が現在の人類が思うよりもかなり高く、図3の閾値Bのような「シナリオB」の可能性もある。

 フィジカルAIの開発にベンダーとして取り組む際、高リスクとなり得るもう1つの要因は、フィジカルAIがChatGPT momentを迎えた後のフェーズにある。図3でいえば、右側の区間Yの部分だ。フィジカルAIが仮に「ロボットの頭脳」としてかなり使える水準にまで達したとしても、それをロボットなどのハードウエアに組み込んで実世界で動かす以上、安全性などの問題と無縁ではいられない。サイバー空間で動く通常の生成AIも、人との言葉のやり取りで心理的な負担を人間に負わせたり、虚偽の事実を人々に信じ込ませたりといった可能性があるが、物理空間で動かすフィジカルAIの場合、物理的な傷害を人間や周囲の環境などに発生させる可能性がある。これをどう上手く制御すればよいのか、現時点でも妙案と呼べるほどの方策・枠組みは出来上がっていない。工場内など特定の環境であれば、人が働く空間と隔離し、安全柵で囲んでしまえば、この安全性の問題は解決しやすいが、それではフィジカルAI本来の能力を存分に生かせず、使える場面・市場規模が限られてしまうだろう。

 安全性以外にも、軸数(アクチュエータ数)の多いヒューマノイドのような汎用ロボットにフィジカルAIを搭載した際の信頼性確保・低コスト化、ローンチカスタマーとのPoCの積み重ね、例外ケースへの対応、量産体制の確立、各種認証の取得、製品としての配布やマーケティング、世界市場でのサポート体制の確立など、ハードウエアが関わる製品として乗り越えなければならない課題は多くある。フィジカルAIは人間の物理的な労働を置き換える手段ととらえると、通常の生成AIと異なり日本語など言語面での障壁が少なく、世界中で共通に販売できるが、それはつまり世界中のベンダーとレッドオーシャンで戦わなければならなくなることを意味し、競争が激しくなることも予想される。日本語という壁が存在する通常の生成AIと異なるフィジカルAI特有の性質といえる。AIとしてキチンと機能するまでの前述の第1のリスク(区間X)に加えて、こうした社会実装フェーズでの第2のリスク(区間Y)もフィジカルAIには山積している。

高リターンの根拠とは

 このように高リスクの技術であるにもかかわらず、世界中でフィジカルAIへの注目が高まり、ベンダーとして開発に取り組む企業が増えているのはなぜか。

次のページ

それはフィジカルAIが「基盤モデル(founda...