【閲覧注意CP有】日車「懐かしい夢を見ていた気がする」2

  • 1二次元好きの匿名さん26/06/10(水) 22:58:07

    あらすじ
    春夏秋冬を経て恋を自覚し、虎杖が二十歳になり愛を露わにし、やっと同棲に至った二人。
    しかし、虎杖はあることを隠していた。

    ※見切り発車
    ※胸糞注意

  • 2二次元好きの匿名さん26/06/10(水) 22:59:23
  • 3二次元好きの匿名さん26/06/10(水) 23:05:07

    「いつからだ」

    俺の低い声が、雨の音しかしない静かなダイニングに鋭く突き刺さった。
    手を組む俺の指先に、どれほど強い力が籠もっていたか分からない。悠仁は俺の手を心配そうに眺めつつ、泳ぐように唇を動かしていたが、やがて諦めたように肩の力を抜いた。

    「……この家に、棲み始めた頃から、かな」

    ぽつりと言ったその声には、悲壮感など欠片もなかった。まるで、明日の天気を予想するような気軽さで、彼は自分の肉体の崩壊を語り始めたのだ。

    「最初はさ、なんか、飯が美味いのか不味いのかよく分かんなくなって。次に、お腹が全然減らなくなったんだ。何日も何も食わなくても、動けちゃう。あ、これ、肉体に栄養を摂るっていう代謝が必要なくなってんだな、って。……だからさ、寛見と一緒に食べるの、やめちゃった。せっかく寛見が作ってくれたり、俺が作ったやつ、美味いって顔して食べられないのが、なんか申し訳なくて」
    「……他には」
    「ご覧の通り、ある程度のキズやケガは細胞が受け取るのをやめてて怪我すらしないんだって家入さんが言ってた。それに付随して、痛いのがよく分かんない。任務で殴られても怪我しないし、そもそも『痛っ!』って感覚自体がすっげえ遠いんだよ。あ、でも、寛見に触られてんのだけは、ちゃんと分かる。それだけは、なんか、頭の奥の方でちゃんと分かるんだ」

    彼はそう言って、困ったようにへへ、と笑った。
    その無防備で、どこまでも他人事のような笑顔が、俺の脳髄を激しく逆撫でした。

    「どうして、それを俺に言わなかった」
    「だって、言う必要ないじゃん」

    悠仁は白くなった俺の指をひとつひとつそっと剥がし、俺の手を両手で優しく包み込んできた。その手は、先ほど熱湯を浴びたはずなのに、やはり不気味なほど滑らかなままだ。

    「俺さ、寛見と付き合えて、この家で一緒に過ごせて、本当に幸せなんだよ。だから、身体がどうなろうと、そんなのどうでもいいと思ってた。ていうかさ!寛見がいなかったら、俺、ずっと化け物のままかもしれなかったんだぜ?それに比べたらさ、お腹が減らなくても、痛くなくても、寛見にちゃんとまっとうにキスできて、こうして一緒にいられる。苦しくもないし、寧ろハッピーっていうかさ。だから――」
    「ふざけるな!!!!」

  • 4二次元好きの匿名さん26/06/10(水) 23:06:26

    俺の絶叫が、平屋の壁に跳ね返った。
    人生で、これほど声を荒らげたことがあっただろうか。
    俺は彼の両手を激しく振り払った。衝撃で、悠仁が目を丸くして数歩後退る。

    「……寛見?」
    「何が、どうでもいい、だ……!何がハッピーなものか!君は、自分がじわじわと人間ではなくなっていく恐怖を、そうやって笑顔で誤魔化すのか!?自分を化け物だと受け入れて、諦めて、それで満足なのか!」

    怒りで、視界が真っ赤に染まっていた。
    俺が、あの呪具を毟り取ってきたのは、彼をまっとうな人間の幸福に連れ戻すためだ。キスができるようになれば、それで終わりではない。彼に、人間として歳を重ね、人間として美味いものを食い、人間として痛みに涙し、最後は人間として、俺と共に老いていってほしかった。
    それなのに、彼はその呪具のバグによって、別種類の化け物になろうとしている。俺のミスだ。俺の探して来た呪具が、彼にこんな思いをさせてしまった。

    「俺は、君にそんな歪な諦めをさせるために、あの呪具を渡したわけではない……!」
    「違うよ、寛見!俺は諦めてなんか――」
    「諦めている!!」

    俺は彼の言葉を、烈火のごとき声で叩き潰した。

    「君がそうやって自分を安売りするたびに、俺の心がどれほど磨り潰されるか、君には分からないのか!痛くない、腹も減らない、それが『ハッピー』なわけがあるか!君は、またそうやって一人で全部、化け物の理不尽を背負い込むつもりか!!」

    俺の言葉に気圧されて、悠仁が唇を引き結んだ。自分の双眸が濡れているのがわかる。自分の声がみっともないくらい感情に揺られて震えているのも、わかっている。だが、声は止められない。

    「だから、……俺を諦めさせないでくれ」

    沙汰を待つ罪人のように頭を垂れる俺に、悠仁は何も言わなかった。
    ただ、その愛おしい体温を寄せてくれる彼に、俺は両の腕を回して抱き着くことしかできなかった。

  • 5二次元好きの匿名さん26/06/10(水) 23:42:05

    本来毒の血も生物としては強アドだし、それと引き換えに五感すら必要なくなった究極生命体に進化したのかな
    巡る呪いやめて…

  • 6二次元好きの匿名さん26/06/11(木) 00:39:28

    次スレ感謝
    この2人の辿り着く先を見届けさせてくれ

  • 7二次元好きの匿名さん26/06/11(木) 02:36:04

    怖いから流し見してる
    じっくり読むとしぬ

  • 8二次元好きの匿名さん26/06/11(木) 02:53:32

    🙏🙏🙏😭

  • 9二次元好きの匿名さん26/06/11(木) 03:05:01

    呪霊化なのか呪物化なのか

  • 10二次元好きの匿名さん26/06/11(木) 03:22:47

    スレ立て感謝

    味覚が食欲を促進させる為なら、代謝の退化に合わせて味蕾が鈍くなるのは解る
    身体が強靭に成った所為で痛覚が鈍るのも解る
    けど、触覚と嗅覚は…生き物としてマズいよね?
    「寛見に触られてんのだけは、ちゃんと分かる。それだけは、なんか、頭の奥の方でちゃんと分かるんだ」って、視覚からの情報と記憶を結び付けてる感覚なのかと想像
    となると他は?
    五感って話、言動から視覚と聴覚はまだ大丈夫そうだけど、今後支障出てくる?
    実は気付かないだけで既に何か起きてたりする?
    呪霊化とか?
    怖いけど、続きが気に成る

  • 11二次元好きの匿名さん26/06/11(木) 07:33:04

    泣きそう
    虎杖の身体めちゃくちゃじゃん

  • 12二次元好きの匿名さん26/06/11(木) 16:52:12

    保守

  • 13二次元好きの匿名さん26/06/11(木) 21:35:43

    あの日を境に、俺達の家からは、あの蜜のような空気は完全に消え失せてしまった。
    俺は再び、狂ったように机に向かう日々に戻った。高専の医務室へ悠仁を連れて行き、家入に何度も検査を依頼し、そのデータを血眼になって分析した。

    「日車、あんたまたあの頃に戻ってるよ。これ以上やったら先にアンタが死ぬ」

    家入に何度もそう警告されたが、俺の耳には届かなかった。
    分かっている。これは俺のミスだ。俺が半端な呪具を彼に与えたせいで、彼は美しく凍りつく呪いにかけられてしまった。ならば、俺のこの手でその呪術の理を再び捻じ曲げ、解呪してみせなければ、男としての、恋人としての、何より一人の人間としての尊厳が保てない。
    来栖に頼み、邪去侮の梯子による呪具の強制解除、あるいは無効化を試みた。あらゆる術式や呪物を消滅させる天使の光なら、この歪な繋がりを強引に焼き切れるはずだと信じたのだ。
    だが。

    「日車寛見、お前の絶望は理解する。だが、それは不可能だ」

    脳内に直接響く天使の、冷徹なまでの声音が今も耳に張り付いている。

    「あの呪具は、彼の肉体に宿る九相図の特性と完全に融和し、一体化してしまっている。受肉体から呪物を引き剥がすのとは訳が違うのだ。今あの少年に最大出力の術式を浴びせれば、呪具だけでなく、九相図の魂、ひいては虎杖悠仁という存在の根底そのものを内側から焼き尽くし、消滅させることになる」

    ――それはつまり、俺の手で悠仁を殺せと言っているのと同義だった。
    法廷で、救えるはずの依頼人を救えず、ただ司法のシステムに圧殺されていくのを見届けるしかなかったあの無力感が、最悪な形で脳裏を過る。
    なぜ俺は、また同じ過ちを繰り返している。なぜ、一番大切な人を前にして、俺の差し伸べる手はこうも無益なのか。
    だが、俺の執念を嘲笑うように、世界はただ静かに、残酷な速度で春夏秋冬を巡らせていった。
    庭の小さな桜の木が青々とした葉を茂らせ、それが赤く染まって落ち、やがて冷たい冬の霜が降りる。
    リビングの棚に並んだ紅茶の缶は、開けられることもないまま、ただ陽の光を浴びてじわじわとラベルの色を褪せさせていった。かつて鮮烈に部屋を満たしていた紅茶の香りも、今では遠い過去の幻のようだ。

  • 14二次元好きの匿名さん26/06/11(木) 21:38:57

    そして――何より残酷だったのは、悠仁の変質だった。
    彼は起きている間、不気味なほど健康だった。
    顔色は良く、肌は瑞々しく、どこにも衰えは見られない。二十歳になったあの時のまま、彼は一点の曇りもなく美しい姿を保っていた。
    だが、彼の目覚めている時間だけが、季節が巡るごとに、確実に、段階的に短くなっていったのだ。
    食事も水分もろくにとっていないから衰弱しているのかと思えば、血液検査や心電図など様々な検査を行っても健康そのもの。数値だけは健常者のそれであるのに、彼の時間は確実に止まりつつある。
    家入と俺が出した結論は、このまま時間が過ぎれば、虎杖は仮死状態になるということだ。まるで、童話の白雪姫のように。キスで目を覚ましてくれるなら何度だって彼の唇に俺の唇を重ねよう。しかし、現実は残酷だ。俺達の間に奇跡は起こらない。

    「寛見」

    背後から悠仁の声がかかる。俺は振り向けずに、ただ俯いていた。成果を出せない焦りと、彼に対する罪悪感。出来ればこれ以上、彼の前で惨めを晒したくなかった。
    しかし、太陽が旅人の服を脱がすように、悠仁は俺の隣に歩み寄る。

    「……悠仁。体調はどうだ」
    「平気。寛見のほうが心配」
    「どうしてこっちに来た。何があるか分からないから安静にしていろと、高専からも通達されているだろう」
    「家の中でくらい自由に過ごしたっていいじゃん?」

    そう言って、悠仁は俺の背中へそっと手を回してきた。
    体温はあの日と変わらないままで、確かに不調も内容に見える。しかし、今や彼は高専にとっても爆弾に等しい。宿儺の術式、赤血操術、五条悟に継ぐ存在として見ていた虎杖悠仁が、呪具により不具合を起こした。仮死状態になるまで、どんな刺激を与えて何が起きるのかわからない。
    愛した人が怪物扱いされることが、こんなにも苦しい。

    「……寛見、お願いだから少し休んで。もう何日も寝てないでしょ」

    悠仁の腕が、俺の腰を強引に引き寄せる。逆らえない圧倒的な力は、全盛期そのままであることを示している。彼はそのまま、俺を引き摺って寝室に向かい、ベッドへ押し倒そうと体重をかけてきた。

  • 15二次元好きの匿名さん26/06/11(木) 21:39:08

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  • 16二次元好きの匿名さん26/06/11(木) 21:45:47

    「放せ……っ、放さないか、悠仁!」

    押し潰されそうな焦燥感の中で、俺の心奥の導火線に一気に火がつく。俺は彼のたくましい胸を激しく突き飛ばしていた。しかし、彼はびくともしていない。鼻の奥がツンと痛くなる。

    「寝ていろと言っているだろう!なぜ俺の邪魔をする!一分一秒でも早く、君を救い出す方法を見つけなければならないんだ!」
    「邪魔なんてしてない!俺はただ、寛見に生きててほしいだけだよ!」

    悠仁もまた、ベッドの上で声を荒らげた。
    だが、その琥珀色の瞳は怒りではなく、今にも張り裂けそうな悲痛さに揺れている。

    「俺さ、分かってんだよ。味覚も痛覚もなくなったけど……寛見のことだけは、最後までちゃんと見てたいから。だから多分、五感の中でも視覚と聴覚だけは、残してくれてんだ。そんな気がするんだよ。寛見が俺を呼ぶ声も、寛見の顔も、俺にはちゃんと分かってる。……だからさ」

    悠仁はベッドの上で、ただの恋人同士として睦みあった頃のように、俺の身体を抱きしめる。

    「寛見の笑った顔が、見たいよ。俺のために無理するの、もうやめて欲しい。これ以上、俺のせいで寛見が壊れていくのを見てるなんて、耐えられないんだ……!」
    「……何が、俺のせいだ」

    俺は彼の腕を振り払った。ぎりりと噛み締めた奥歯が鳴る。自分の無力さが、そしてこの期に及んで俺の心配ばかりする彼の健気さが、俺をどうしようもなく狂わせる。

    「勘違いするな、悠仁。これは俺の人生だ。俺が勝手にやっていることだ!」
    「嘘つけ!寛見にだって、元々はまっとうな人生があったろ!?呪いに巻き込まれて、俺なんかと出会って、付き合って……俺のせいで、寛見の人生はめちゃくちゃになったじゃんか!」
    「――ふざけるな」

    寝室の薄暗がりのなか、俺は悠仁を見上げ、声音からすべての温度を削ぎ落として言い放った。

    「もともと、俺の人生なぞ、どうでもいいものだった」
    「……え?」
    「法に絶望し、一度は人を殺めた身だ。高専に来てからの日々も、いつ死ぬか分からない帳の裏。そんな灰色の生の中で、君と出会い、君と過ごしたあの三分間だけが、俺の人生で唯一の光だったんだ。君を失った世界で、俺がまっとうに生きる人生など、最初から一秒たりとも存在しない!」

    怒りと苛立ちのまま、己の決意を吐き捨てる。シンと静まり返った部屋の中で、俺の荒い呼吸音だけがいやに耳についた。

  • 17二次元好きの匿名さん26/06/11(木) 23:39:25

    虎杖はパパラチアみたいになっちゃったのか
    せめて残された時間を2人で穏やかに過ごしてほしいのに

  • 18二次元好きの匿名さん26/06/11(木) 23:54:56

    辛いな…2人が何したっていうんだ
    折角幸せな時間を過ごせていたのに

  • 19二次元好きの匿名さん26/06/12(金) 01:27:25

    胸を締め付けられるようだ…
    あの呪具のお陰で、毒の影響からは逃れ得て、愛し合える時間は手に入った訳だけど
    引き換えにするのが、虎杖が起きていられる時間というのはな…
    しかもその残り少ない二人で過ごせる時間をも、日車は犠牲にしている訳で…

  • 20二次元好きの匿名さん26/06/12(金) 01:49:25

    この話が某米津のアザレアにぴったりで最近はBGMにして聴いて読んでる

  • 21二次元好きの匿名さん26/06/12(金) 07:34:27

    保守

  • 22二次元好きの匿名さん26/06/12(金) 16:00:50

    保守

  • 23二次元好きの匿名さん26/06/12(金) 17:00:49

    呪術っぽい鬱状況書くの上手いね
    良かれと思った事が愛する人をグロテスクな地獄に置いてしまっていた

  • 24二次元好きの匿名さん26/06/12(金) 21:57:45

    「……すまない、声を荒げてしまった。君も起きていられる時間が段々短くなってきている。このままで大丈夫なわけがないことは分かっているだろう?早くどうにか」
    「寛見」

    彼が、名前を呼んだ。凛とした声に思わず口を噤むと、悠仁は陽だまりのように微笑む。

    「もう、いいよ」

    暫く理解が出来なかった。もう、いい?一体、なにが?

    「……何を、言っている」
    「だからさ、もう頑張らなくていいんだよ、寛見」

    悠仁は俺の頬にそっと手を伸ばし、包み込む。その動きはどこまでも穏やかで、この残酷な現実をすべて受け入れてしまった聖者のようだった。
    その諦念の表情が、俺の胸の奥の、最も触れられたくない逆鱗を容赦なく踏みつけた。

    「――君だけは、諦めて欲しくない!!」

    俺は頬に触れた温もりから逃れ、彼の腕からも逃れる。ベッドのシーツが大きく乱れたが気にすることもできず、なんとかベッドの脇に立った俺は彼を見下ろし、怒りで真っ赤に染まった視界で言葉を叩きつけた。

    「世界が君を化け物と呼び、世界が君を諦めようとも、君自身だけは生きることを、人間としての幸福を諦めるな!なぜそうやって簡単に終わりを受け入れようとする!君がいない世界で、俺に一人で呼吸をしろと言うのか!?そんな生殺しを、俺に強いるつもりか!!」
    「違う!俺はただ、寛見がこれ以上――!」
    「俺のため、などと言い訳をするな!」

    そう言い捨てて寝室から立ち去ろうとした。もう一度、あの冷えた書斎へ戻り、資料を漁り、海外の非合法ルートへ連絡を取るために。ああ、そういえば呪具を所持していた人間と連絡が取れるかもしれないんだったか。日下部に聞きに行かなければ。
    思考を巡らせていた、その時だった。

    「待てよ、寛見……っ!行くな!!」

    行かせまいとした悠仁のたくましい腕が、俺の肩を背後から強引に掴んだ。
    引き留める、ただそれだけ。たったそれだけの、彼にとってはほんの些細な手加減だったはずだ。だが――痛覚を失い、自身の肉体の出力のコントロールすら狂い始めていた彼は、その一瞬、世界の最高峰を張った彼自身の力を、完全には御しきれなかったらしい。

  • 25二次元好きの匿名さん26/06/12(金) 21:59:07

    ――ガッ、と、鼓膜の奥で鈍い音が弾けた。

    「……っ、あ」

    凄まじい衝撃が俺の後頭部を襲い、視界が激しく火花を散らす。
    立ち上がった悠仁が肩に手をかけただけで、俺の身体は吹っ飛び、壁にぶつかったのだろう。遅れて背中を打ち付けたことがわかる。
    一瞬の間を置いて、寝室の中に、恐ろしいほどの静寂がなだれ込んできた。
    くらくらする視界で、こちらを見て目を見開く悠仁の顔が見える。

    「あ……」

    悠仁は自分の右手と俺を凝視したまま、完全に凝固していた。
    その琥珀色の瞳が、恐怖と、絶望と、取り返しのつかない罪悪感で、みるみるうちに震え始める。

    「あ……寛見、ごめん、俺、そんなつもり、じゃなくて……手加減、した、したんだよ、でも、なんか、よく分かんなくて……寛見、ごめん、ごめんなさいッ!!」

    子供のように怯えた声で謝罪を口にしながら、悠仁が跪いて手を伸ばしてくる。

    「来るな」

    俺はそれを、低く、地を這うような声で拒絶した。
    その一言に、悠仁の身体が目に見えてびくりと強張る。差し伸べられた彼の手が、空中で哀れに震えて止まった。
    俺はゆっくりと立ち上がり、乱れた背広の襟を直した。
    幸い出血はないようで安心した。このくらいの怪我なら、問題なく動ける。俺もロートルではあるが、呪術師として経験を積んできた。咄嗟の呪力強化が功を奏したようだ。

  • 26二次元好きの匿名さん26/06/12(金) 22:00:28

    「……君は、ここで寝ていろ」

    声音から一切の揺らぎを消し去り、俺は冷たく言い放った。

    「俺は……少し出る」
    「寛見……!待って、行かないで、寛見……!!」

    通り過ぎた途端に背後から上がる、泣き叫ぶような恋人の声を、俺は一度も振り返ることなく置き去りにした。
    寝室を出て、玄関へ向かう。これが、あの子の魂を人間の世界へ繋ぎ止めるための、最後の望みを賭けた闘いになる。海外の底流、そこに蠢く呪詛師どもから、この呪いを解決する方法を何としてでも毟り取ってくる。
    彼には辛い思いをさせるかもしれないが、あのまま言い合っていても平行線であり、俺は更に激怒していたことだろう。今は、一旦距離を置くのがちょうどいい。そう言い聞かせる。
    がちゃり、と冷たい音を立てて、俺は玄関のドアを閉めた。

  • 27二次元好きの匿名さん26/06/12(金) 22:17:41

    辛すぎるよ…

  • 28二次元好きの匿名さん26/06/12(金) 23:27:42

    バカ野郎
    大丈夫ぐらい言って出なさいよ
    涙止まらないやないかい

  • 29二次元好きの匿名さん26/06/13(土) 00:06:28

    哀しきモンスターと化した虎杖をギュッと抱きしめてあげてよォ!!!!

  • 30二次元好きの匿名さん26/06/13(土) 01:02:39

    オマエそれでも元弁護士か…
    言葉が足りなさすぎるんだよ…
    このどうしようもなさ、苦しさがスレを待つ身を止められない

  • 31二次元好きの匿名さん26/06/13(土) 09:40:05

    保守

  • 32二次元好きの匿名さん26/06/13(土) 15:16:29

    アラフィフ日車が海外呪詛組織相手に大暴れの様子もすげー見たいけどな
    その時隣に虎杖がいてくれたらどんなに…相棒としてはもう一緒に闘ってはくれないんだね…

  • 33二次元好きの匿名さん26/06/13(土) 20:02:29

    まさかそのまま海外に飛ぶんか…?
    恋人を元に戻すのも大事だが今目の前で涙を流して絶望している大切な人をすっと抱きしめる事の方が重要だろうがよぉ…ばかやろぉ…

  • 34二次元好きの匿名さん26/06/13(土) 23:53:48

    高専を経由して、俺は例の呪具を深く知る人間との接触に成功した。
    その人物は呪物への造詣が深く、悠仁を元の状態へ戻すための方法を探してくれた。
    彼によれば、新たな呪物を利用することで現在の呪具の影響を抑えられる可能性があるらしい。
    その人物と言葉を交わしてから、たった数日でそれを持ち帰ることができたのは奇跡に近かった。殆ど徹夜で行動しており、頭は重く、視界も霞んでいる。それでも早く、早くこれを彼に届けなければ。
    その一念だけで、俺はボロボロの身体を動かし、我が家へと這うようにして戻ってきた。
    だが、そこに「おかえり」の声はない。
    一瞬の怯えが胸に過った。俺も限界に近かったとはいえ、彼に向き合う事を拒否してしまった。酷い態度だったと思う。もう、顔を合わせることも嫌だと言われてしまったらどうしようか。そう思うと、全身の血が冷え固まっていくようだった。
    だが、このまま彼をうしなうという選択肢はない。
    家の中は薄暗く、静かだった。リビングに進むと、うっすらローテーブルに埃が積もってすらいる。彼はきっと、この数日起きていないのかもしれない。
    懐から呪物を取り出し、家の中を歩き回る。寝室の前にたどり着いて、俺はゆっくりと深呼吸をした。扉を二回叩く。

  • 35二次元好きの匿名さん26/06/13(土) 23:56:44

    「悠仁」

    呼び掛けてみるものの、返事はない。怒っているのか、眠っているのか。
    恐る恐るノブを回して、ドアを開けた。

    「……悠仁?」

    薄暗い寝室のベッドの上。あの日、俺を強引に抱きしめようとしたあの場所で、悠仁は小豆色のブランケットを胸元までかけて静かに横たわっていた。
    顔色は良く、肌は瑞々しい。二十歳になったあの時のまま、彼は一点の曇りもなく美しい姿で、ただ呼吸をしていた。

    「寝ているのか……すまない、悠仁。怒っているな」

    俺はベッドの傍らに跪き、対抗策を彼の口元に押し付ける。それは呪物であり、何かの骨片のようにも見えるものだ。これを彼の口から経口摂取させること。それが、体内に新たな根を張らせてバグを上書きする、唯一の絶対条件だった。

    「悠仁、起きてくれ。これを飲みこめば、また元に戻れる。君の好きなものを美味いと言って食えるし、痛みに涙を流せる。……俺と一緒に、老いていけるんだ」

    俺は彼の顎を優しく上向かせ、その滑らかな唇を開かせた。
    あの日、俺を突き飛ばして怯えていた、あの温かい体温のままで、彼は静止している。
    震える手で口を開かせ、その冷えた舌の上へと呪物を乗せ、喉に押し込む。
    ――だが。彼の喉は、ぴくりとも動かなかった。
    押し込もうとする俺の指先を、ただ冷たい肉の管が虚無のまま拒絶している。どれだけ奥へ指をさしこんでも、生物が異物を胃へと運ぶための、あの無意識の嚥下という運動が、彼の肉体から完全に消失してしまっていた。

    「悠仁、頼む……呑み込んでくれ、悠仁……!」

    必死に喉をさすり、人間としての機能を再起動させようと試みる。しかし、悠仁の身体は穏やかな眠りを保ったまま、外側から美しく、完璧に凍りついていた。

  • 36二次元好きの匿名さん26/06/13(土) 23:58:03

    ――遅すぎたのだ。
    彼はもう、味覚や空腹を失うだけに留まらず、物を飲み込むという、人間が生きるための最も根源的な代謝そのものを停止させてしまっている。魂のコンセントが抜けたように静止した彼の肉体は、どれほど優れた対抗策であっても、それを内側へ受け入れることすら叶わない。
    かつて、彼が俺に最初についた嘘は「飯ならもう外で食ってきた」という、経口摂取の誤魔化しから始まったものだった。
    それが最後の最後で、これほど残酷な形で、俺の目の前に立ち塞がるのか。

    「悠仁……、悠仁……!!」

    何度呼びかけても、押し込んだ呪物が彼の身体に根を張ることはない。
    キスをすれば目を覚ますなど、やはりお伽話の妄想に過ぎなかった。何度彼の唇に俺の唇を重ねても、彼の吐息が還ってくることは、二度とないのだ。

    「……かえりたい」

    思わず口から零れた言葉は、まぎれもない本心だった。
    かえりたい。あの、何もかもが優しくて、紅茶の香りに満ちていた、俺たちの我が家へ。
    視界がぐらりと歪む。数日間の不眠不休と、あまりの絶望に、脳の防衛本能が限界の悲鳴を上げたのだろう。
    押し込んだ呪物をそっと引き抜き、床へ落とす。俺は這うようにしてベッドへ上がり、動かない悠仁の身体を強く、強く抱きしめた。
    その温もりに触れた瞬間、俺の記憶の歯車が、キリキリと音を立てて逆回転を始めた。

  • 37二次元好きの匿名さん26/06/13(土) 23:59:58

    ――ああ、そうだ。俺たちは今、新居に移ってきたばかりなんだ。
    まだ段ボールも片付いていない、新しい平屋の我が家。
    記憶が、都合よく塗り替えられていく。
    五感を失うバグなんて起きていない。悠仁は今、ただ任務で疲れて健やかに眠っているだけだ。
    そうだ、あの子はまだ未成年だから。だから俺たちは、まだそういう、男同士の深い行為には及んでいないんだ。
    彼が二十歳になるその日まで、俺は大事に彼を愛し、ここで待っていなければならない。
    あの子がまだ未成年ということは、俺の年齢だって、まだ四十にはぎりぎり達していないはずだ。
    法に絶望して人を殺め、世界を呪っていたあの灰色の俺は、どこにもいない。俺はただ、一人の若く瑞々しい呪術師として、最愛の恋人の隣で未来を夢見ている、ただの男だ。

    「……悠仁。明日は、どの紅茶にしようか」

    耳元で囁きながら、俺は彼の小豆色のブランケットを引き寄せ、二人で包まるようにして目を閉じた。
    脳裏には、まだ動いていたあの頃の、青い樹脂製のタイマーが浮かんでいる。
    透明な胴体の中で、青い粒子がひとつ、またひとつと、美しく浮かび上がっていく。
    急ぐには短く、ぼんやりするには少し長い、あの曖昧で愛おしい三分間。
    その時間が、今、俺たちを優しく包み込んで、永遠の檻の中へと連れていく。

    「おやすみ、悠仁。明日、目が覚めたら……おかえりって、言ってくれ」

    都合の良い幸福な夢の底へと沈みながら、俺は誘われるように夢の世界へ堕ちて行く。
    あたたかくて、やわらかくて、なつかしい夢を見た。

  • 38二次元好きの匿名さん26/06/14(日) 02:48:44

    ああああ……こうして歪んでしまったのか……

  • 39二次元好きの匿名さん26/06/14(日) 08:13:02

    最後の会話がアレかぁ…

  • 40二次元好きの匿名さん26/06/14(日) 17:33:54

    何処へ着地するのか 固唾を呑んで見守っている

  • 41二次元好きの匿名さん26/06/14(日) 18:44:05

    以前、温もりが残ってるブランケットの件とか、窓が開いてる描写があったのって、この後も極偶に虎杖は目を覚ましてるんじゃ…?
    喧嘩…てか、虎杖視点では意図しない暴力の謝罪を受け入れて貰ってない状況からの、これだし、今の自分を認識してくれなくなったか、見ても他の何かと誤認するようになったとかで、気付かれない様に行動してる…?
    床がボコボコ(だっけ?)してたり車椅子があったり、まだ謎だらけなので、続きが気に成りますね

  • 42二次元好きの匿名さん26/06/14(日) 22:28:06

    指先から滑り落ちたティーカップが床に叩きつけられ、甲高い音を立てて粉々に割れた。それと同時に、淹れたてのポム・デュ・デジールが床一面に広がり、林檎の甘やかな香りが部屋中に満ち溢れた。
    その強烈な林檎の匂いが、俺の鼻腔を、そして麻痺していた脳髄を、容赦なくえぐり回す。

    「……ぁ」

    脳の奥で、カチリ、と狂っていた歯車が噛み合った。
    視界を覆っていた都合の良い夢の霧が、潮が引くように急速に色褪せ、消え去っていく。
    そこに現れたのは、直視することすら悍ましい、目を覆いたくなるような「現実」の惨状だった。
    けして、段ボールなど片付いていない新居ではなかった。
    足元を見れば、いつのものかも分からないゴミや衣服が床一面に散乱し、何層にも踏み固められている。凹凸の正体はこれだろう。
    キッチンのシンクに目を向ければ、長年放置された洗い物かゴミか判別のつかない何かがうずたかく溜まり、どす黒いカビに覆われていた。床に散らばった生ゴミからは異臭が放たれ、そこには無数の蛆が湧いて這い回っている。視線を投げるだけでも、踏み潰された虫の死体や、乾いた体液の痕が散見される。ゴミ箱などはとうの昔に溢れかえり、室内の空気は完全に淀み、腐っている状態だった。
    ――だが。
    その地獄のような家の中で、奇妙なほど歪に、そこだけが隔離されたように美しい場所があった。
    紅茶を淹れるための道具一式。車椅子。そして、あの小豆色のブランケット。
    それらだけは、一点の塵すらなく、新品のように清潔に保たれていた。
    俺は吸い寄せられるように寝室のドアを開ける。寝室の中、悠仁が横たわるベッドの上、彼が眠る場所の周囲だけは、髪の毛一本すら落ちていないほど綺麗に掃き清められていた。

    「ああ、……そうか」

    あの日からの記憶が、崩れた堰のように流れ込んできた。
    俺の精神が狂っても、身体は覚えていたのだ。
    俺は毎日、この地獄のような部屋の中で、悠仁の周囲だけを必死に清め、彼に小豆色のブランケットをかけ、車椅子に乗せて、外へと連れ出していた。無意識のルーティンとして、あの子がいつか目を覚ますその日のために、人間としての尊厳だけは死守しようと、身体だけが動き続けていたのだ。
    俺はゆっくりと、ベッドの上の悠仁に歩み寄った。
    二十歳になったあの瞬間のまま、内側から完璧に凍りついた、世界で一番美しい俺の恋人。

  • 43二次元好きの匿名さん26/06/14(日) 22:29:54

    「悠仁。……外へ行こう」

    声をかける。返事はない。
    俺は悠仁の身体を優しく抱き上げ、車椅子へと座らせた。膝に小豆色のブランケットをかけ、静かに車椅子を押して掃き出し窓の前まで行き、窓を開けて庭へ出た。
    一歩、外へ踏み出した瞬間。
    溢れんばかりの鮮烈な春の光が、俺の霞んだ視界を染め上げた。
    外の空気は、あの澱んだ部屋とは比べものにならないほど清らかだった。
    見上げれば、庭の小さな平屋の象徴だったあの桜の木が、今を盛りと咲き誇り、見事なまでに満開の花を咲かせている。風が吹くたびに、桃色の花びらが雪のように俺たちの頭上に降り注いだ。
    俺は桜の木の根元に車椅子を止め、家の中に戻る。
    思い出の欠片を拾い集めるように、まだ割れていないティーカップを用意してからお湯を沸かし、先ほどの黒い缶ではない、別の茶缶を開けた。
    さらさらとスプーンで掬い上げたのは、ポム・デュ・デジールのような甘い匂いではない。若葉のような、どこまでも青く、瑞々しく、そして少しだけ遮るもののない苦味を持ったヌワラエリヤの茶葉だ。
    三分を待つのに使うのは、壊れてしまったティータイマー。
    新しいカップに持ち歩いても零れない程度にそれが注がれたのを見てから、悠仁の元に足を進めた。

    「待たせてすまない、悠仁。約束通り、桜の下だ」

    悠仁はもう、この紅茶を飲めない。眠っていて、嚥下もできない彼に熱湯を浴びせるだけになってしまう。しかも、割ってしまったからカップはこの一つだけしかない。
    ふっ、と、俺の脳裏にとある光景が掠めた。
    18歳になった彼が高専の桜の下を歩いている場面だ。彼は殆ど葉桜になってしまった桜を見上げながら、くるくると踊るように歩いている。

    『俺の誕生日にはもう桜って大抵散っちゃってるんだよなあ』
    『高専の桜はソメイヨシノなのだろう』
    『へー!日車って桜にも詳しいんだ?』
    『いや……』

    君の髪色が桜に似ていたから。そう言おうとして、言葉に詰まったのをよく覚えている。悠仁は喉を鳴らして笑うと、急に俺の身体を抱きしめた。

  • 44二次元好きの匿名さん26/06/14(日) 22:31:15

    『日車!今年もお花見チャンス逃したけどさ。来年も、再来年も!俺達は諦めないでいようぜ!』

    あの時、陽だまりのように笑った悠仁の眩しい言葉が、今も俺の胸の奥で、確かな熱を持って響いている。

    「……ああ、そうか。だから俺は、ずっと諦められなかったんだな」

    ポツリと溢れた独白は、春の穏やかな風にさらわれて、満開の桜の梢へと消えていった。
    君がその手を引いて、諦めないでいようと言ってくれたから。だから俺は、自分の精神がどれほど擦り潰されようとも、部屋がどれほどゴミに塗れようとも、君を人間の世界へ連れ戻すことだけは、絶対に手放せなかったのだ。
    俺は静かに、桜を見上げた。
    青空を覆い尽くすように咲く花びらが、視界の端で静止したままの車椅子と、その膝の上の小豆色のブランケットへと、優しく、均等に降り積もっていく。
    もう、三分間のタイマーが機能することはない。
    君が笑うことも、その唇を開いて、俺の淹れたお茶を美味いと評することもない。
    すべては一歩遅く、本当の現実は、どこまでも残酷で、取り返しがつかない。
    それでも――俺たちは確かに、約束通り、満開の桜の下にいる。
    俺は、手元にあるたった一つの真っ白なカップを持ち上げ、ゆっくりと口をつけた。
    喉を通り抜けていくのは、遮るもののない現実の苦味を持った、ヌワラエリヤの焦がれるような味わいだった。

    「美味いぞ、悠仁」

    動かない恋人の横顔に、俺はもう一度、静かに微笑みかける。
    一人で啜る紅茶の味は酷く喉を焼いたが、俺は確かに、人間としてここに生きて、彼との約束を果たしている。
    ひらひらと、一枚の花びらがカップの黄金色の水面に落ちて、静かな輪を描いた。
    遅れてやってきた俺たちの蜜月の終わりを祝うように、春の嵐が、俺と、悠仁と、止まったままの二人の平屋を、どこまでも優しく包み込んでいった。

  • 45二次元好きの匿名さん26/06/14(日) 22:54:30

    「小学校までの道、歩いて見たら?」

    ママがそう言ったから、わたしはリードをとって歩き出した。
    ママが「りこん」をして、わたしたちはとうきょうのほうにひっこすことになったけど、とうきょうは、すこしこわい。
    おともだちだったミカちゃんもミツヨちゃんもおてがみをかくっていってくれたけど、ほんとうにかいてくれるかな。
    とうきょうの小学校は、コンクリートにかこまれていて、まわりの桜の木はもうすっかりみどりいろのはっぱばかりになっていた。
    おひっこししなかったら、いまごろちょうどさいてたのに。

    「もう、ぜんぶ、桜……ちっちゃってるなあ……」

    わたしががっかりして呟いた、その時だった。
    さっきまでわたしにひっぱられていた、わたしのかたわれ。とうきょうにきてからずっとしゅんとしてたのに、きゅうにワン!と短く吠えて、ぐいぐいとリードをひっぱってはしりだした。

    「ちょっと、まってよ!どこ行くの!?」

    いつもはおとなしいはずなのに、きょうのこの子はまるで何かに呼ばれたみたいに、力づよくはしっていく。ひっぱられるまま角を曲がると、古くてちいさな平たいおうちのまえに出た。
    びっくり!そのおうちのおにわには、まるでおとぎばなしで見たようせいさんのおうちみたいな桜がさいていた。
    わたしがぼうっとしてたら、急にぐいっとリードがひっぱられて、ひきずられながら中に入ってっちゃう。

    「コラ、入っちゃダメだよ!」

    ひみつの庭みたいなおにわにこっそりはいったとき、わたしの足がピタリと止まった。
    満開の桜の木の下。
    そこに置かれた車椅子の上に、だれかが座っていた。
    桜とおんなじかみのけをした、お兄さんだった。
    お兄さんは、あずき色のきれいな毛布をひざにかけて、しずかに目をとじている。おかおはつやつやしていて、まるで今さっきねむりについたばかりみたいにきれいだった。

  • 46二次元好きの匿名さん26/06/14(日) 22:55:47

    「おや。可愛いお客さんだな」

    うしろから、低くて、すこししゃがれた声がした。
    ふり返ると、おとうさんみたいなスーツをきた、しらがのおじいさんが立っていた。
    「ふほうしんにゅう」だからおこられる、と思ってちいさくなったけれど、おじいさんの目はとてもやさしかった。
    わたしは、気になったことを聞いてみることにした。

    「あの……このひと、死んでるの?」

    おじいさんは、車椅子のお兄さんをやさしい目で見つめて、ふっと微笑んだ。

    「死んでない。まだ生きてるよ。ただ、すこし長い、春の眠りについているだけさ」

    そう言って、おじいさんは足元で尻尾を振っているわたしのかたわれに目を留めた。

    「その犬は?」
    「ユージって言うの!わたしはヒロミ!」
    「……そうか。いい名前だな」

    ちょっと目を丸くしたおじいさんは、すぐにやさしく笑って、お兄さんの髪についた桜の花びらをそっと指で払った。おこられなくて、わたしはホッとして力がぬける。

    「……久しぶりに、茶を入れたくなった。飲むか?」
    「お茶?りょくちゃ?」
    「紅茶というんだ、知ってるか?」
    「ごごのこうちゃ!」
    「ふふ、残念だがそれではないんだ。今日は……ヌワラエリヤをいれよう」
    「ぬわ?」

    おじいさんは声を立てて笑うと、家の中から小さな机と、透明な砂時計みたいなどうぐを持ってきた。よく見ると、その時計の中の青いお砂は、ぜんぜん動いていなくて、こわれているみたいだった。

  • 47二次元好きの匿名さん26/06/14(日) 22:56:48

    「おじいさん、それ、こわれてる?」
    「ああ、もう動かないんだ」
    「こわれてるのにつかうの?」
    「おまじないのようなものだよ。これを置くと、お茶が美味しくなるんだ」

    おじいさんはなれた手つきで、二つの白いカップと、あずきいろのマグカップにお茶をそそいだ。桜みたいないいにおいがする。
    目をさまさない桜のお兄さんと、おじいさんと、わたし。それから、お兄さんの足元にぴったり寄り添って座ったユージ。三人と一匹で、桜の下でお茶をのむ。
    ふーふーして、お茶をひとくち。

    「……にがっ!」

    思わず顔をしかめると、おじいさんは嬉しそうにまた笑った。
    わたしはそれから、こっちにひっこしてきたことと、桜がさいていてうれしかったことと、おてがみがとどかなかったらどうしようってことをおじいさんにはなした。
    ママがりこんしてから、あまりわらわなくなったこと。ママが「これからは幸せになろうね」っていってたこと。
    おじいさんはじっくりおはなしをきいてくれて、たくさんのアドバイスをくれた。
    にがかったお茶のかわりにマドレーヌをくれて、ユージにはビーフジャーキーをたべさせてくれた。

  • 48二次元好きの匿名さん26/06/14(日) 22:57:49

    「東京の小学校、がんばるんだぞ」

    お茶を飲み終えて、おわかれのとき、おじいさんはわたしの頭を優しく撫でてくれた。
    その手のあたたかさがなんだか心地よくて、わたしは門を出るとき、ずっと心の中にあったもやもやを、もうひとつだけ聞いてみたくなった。

    「ねえ、おじいさん。おじいさんは今、幸せ?」

    おじいさんは一瞬だけびっくりしたように目をみひらいて、それから、いままでで一番優しい顔でうなずいた。

    「ああ、幸せだ。大好きな人と、ずっと共に在れるのだから」
    「そっか!よかった!」

    わたしは元気に手を振って、ユージのリードを引いて歩き出した。
    振り返ると、おじいさんは車椅子のお兄さんの隣に腰を下ろし、静かに桜を見上げていた。
    とうきょうは、すこしこわいところだと思っていたけれど。
    あのようせいさんの桜みたいに、すてきな出会いがあるなら、きっと明日からも大丈夫。
    わたしはユージと一緒に、新しいきらきらした春の道を、一歩ずつ進んでいった。

    おしまい

  • 49二次元好きの匿名さん26/06/14(日) 23:41:06

    最初に決まってたこと

    ・虎杖の白雪姫化

    あとから生えたもの

    ・紅茶→本当はコーヒーにしようかと思ってた

    ・桜→虎杖の髪の毛って桜みたいだなとおもったから

    ・その他細々したもの全部


    お読み下さりありがとうございました


    執筆中イメソン

    花の唄

    Aimer 『花の唄』(主演:浜辺美波 /劇場版「Fate/stay night [Heaven's Feel]」Ⅰ.presage flower主題歌)


  • 50二次元好きの匿名さん26/06/15(月) 00:24:01

    お疲れ様です
    とても綺麗な締めで涙止めるの大変でした

    実のところ、自暴自棄で腕自切(「解」や「捌」が使えれば可能かなと)してんじゃないかとか、高専側に自分の処分任せたりしてないかとか、心配しながら読んでました。
    良かった。

    でもやっぱり、最後の会話があれなのは…日車あのさぁ…

スレッドは6/15 10:24頃に落ちます

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