第9回コタンの首長「平取1号」のゆくえ 二転三転する北大、子孫は叫んだ

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大滝哲彰
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 「平取1号」

 そう書かれた箱の中に、あるアイヌ民族の遺骨が納められている。

 平村ペンリウク。北海道平取町にあったコタン(集落)の首長だった人物だ。

 1832(天保3)年に生を受けた。アイヌ民族の人口が多かった平取でアイヌ指導者としてコタンを治め、1903(明治36)年に亡くなった。

 アイヌ民族がたどった歴史といまを伝えるシリーズ連載「アイヌモシリをたどって」の第4弾。大学から返還されたり、墓地改修事業で掘り起こされたりした後にも、故郷の土に眠ることができない遺骨が道内各地にあります。その現状を伝えます(全3回)。デジタルで表記できない小書きの文字が一部、含まれています。

 ペンリウクと深い交流をもったキリスト教の宣教師のジョン・バチェラーは、遺稿「わが人生の軌跡」にペンリウクから聞いた「首長の役割」を記した。

 「日本当局と、彼の民族との間の仲介として―。また炉の火を礼拝するために、自分の家においての司祭としての役割りを行うこと」

 「コタンの人びとの間の争いの裁定。法で定められた命令が適切に実施されているかを確認するために、他の人びとに相談することなど」

 バチェラーはペンリウクの家に住み込み、アイヌの言葉を習い、和人からの差別に苦しんでいたアイヌ民族に救いの手を差し伸べたといわれている。

「提供ありがたい」と書くも、収集の経緯は不明

 ペンリウクの死から30年。北海道大学の研究者によって、コタンの墓が掘り返された。

 遺骨は「平取1号」と番号をふられ、ほかの遺骨とともに北大医学部研究用の「標本」として保管された。

 北大が2013年にまとめた「アイヌ人骨収蔵経緯に関する調査報告書」。計183ページの資料には、全1014体の遺骨の出土経緯などが一覧表で刻まれている。その690番目に、ペンリウクと思われる遺骨の記述があった。

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