クーベルタン男爵の「人気度」は?…フランス社会の冷ややかな視線
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7月に開幕が迫るパリ五輪。パリは、近代五輪の父ピエール・ド・クーベルタン男爵が生まれ、その主導で1894年、国際オリンピック委員会(IOC)の創設が決まった地でもある。ところが今パリの市民の間では、クーベルタン男爵は「人気がない」のだという。女性の五輪参加に反対したとされる彼の考え方が、現代のパリっ子たちの冷ややかな視線を浴びているらしい。
クーベルタンの子孫、異色の会見
5月30日、IOCが異色の記者会見をオンラインで開いた。クーベルタン男爵の4世代後の子孫で、家族協会会長でもあるアレクサンドラ・ド・ナバセルさんと、クーベルタン男爵についての著書で知られる米国の作家ジョージ・ハースラー氏らが出席。その意図の一つは、「男爵が差別主義者だとする虚偽」(同氏)を正すことだった。
ハースラー氏は言う。「五輪は世界中で知られているのに、意外にもクーベルタン男爵を知る人は少ない。とても人間味あふれる人物だったのに、今や彼の略歴を読むと、保守的なモンスター(非道な人物)のように書かれているものさえある」。専門家からIOCまでが危機感を抱くほど、人々の間での男爵評が落ちている、というのだ。
そういえば、フランスの五輪アカデミー会長も、昨年同様の指摘をしていた。女性参加に対するクーベルタン男爵の視点への社会的批判が、近代五輪の発祥地フランスの五輪教育で、男爵を取り上げにくいという状況を生んでいるのだと。反対に、当時「女性の五輪」と銘打った大会を開催するなど、実力行使でIOCに対抗しようとした、アリス・ミリアという女性の顕彰が進んでいる、とも。
女性への偏見? 五輪出場には否定的
クーベルタン男爵(1863―1937)は、古代ギリシャ五輪に触発され、1894年6月23日にパリ・ソルボンヌ大で開いた国際会議で、オリンピック競技大会の再興と、それを担う組織としてのIOCの設立を実現した。最初は事務局長、その後第2代IOC会長(1896―1925)を務め、近代五輪の礎を固めた人物だ。
ただ、男性のみ参加が許された古代ギリシャ五輪に触発されたからか、こと女性の五輪参加については、晩年まで非常に保守的だったことで知られる。例えば、男爵は次のような言葉や文章を残している。
「女性のオリンピアードなどというものは非実用的で面白みに欠け、ぶざまで、あえていうなら不道徳だ。それは私の考えるオリンピック大会の概念とは相いれない」
「私は女性が公の競技大会に出場することに賛成できない。女性はスポーツを行うべきではないと言うつもりはないが、(見せ物になり)注目を集めるべきではないのだ! オリンピック大会では、女性の役割は勝者に栄冠を与えることであるべきだ」
男爵が「古代の理念に合致する」として五輪のメダル授与に賛同した女性は、6人の息子を五輪に出場もしくは参画させたスウェーデンの「母」に対するものだった。
パリ五輪は、男女の選手参加が史上初めて同数となる「ジェンダー平等」を掲げる大会だ。そんな現代の感性に照らして、クーベルタン男爵のこうした視点がどう映るかは想像に難くない。
ただ、男爵がどんな時代に生きていたのかも考える必要があるとナバセルさんは訴える。「私も女性ですから、今の時代にこうした言葉を聞くと衝撃的に感じてしまうのは理解できます。でも彼が生きていたのは、女性はコルセットをつけ、脚を見せてはいけないとされ、医師が女性の運動を禁じていた時代だった。仕事や銀行口座さえ持てなかった。クーベルタン男爵はガールスカウトや女性の教育を推奨するなど、開けた考えも持っていたのです」と。
IOC初の女性副会長を務めたアニタ・デフランツ委員(米)が、肩をすくめてこう言っていたのを思い出す。「誰も完璧な人間じゃないのよね」
「女性の五輪」を初開催したアリス・ミリアに脚光
その逆に、今フランス社会で脚光が当たっているのがアリス・ミリアだ。スポーツ関連施設やゆかりの場所に名前が冠され、仏五輪委の入り口には、クーベルタン像と並んでミリアの前衛的な像が建立され、閣僚やパリ五輪・パラリンピック組織委会長らが式典に駆けつけた。今年になって複数の本も出版されるなど、「遅きに失した栄誉」(ル・モンド紙)に浴している。
女性のためのスポーツクラブなどを運営していたミリア(1884―1957)は、1919年、クーベルタン男爵が会長を務めていたIOCに対し、五輪の特に陸上競技での女子種目の実施を要求した。IOCが拒否すると、実力行使とばかりに国際女子スポーツ連盟(FSFI)を設立し、1922年には「女性の五輪」を初開催する。その後日本の人見絹枝選手も出場したこの競技会は、多くの世界記録が誕生するなど社会に強い印象を残した。
ミリアの挑発的な試みはスポーツ界内外の圧力もあり永続しなかったが、クーベルタン男爵の会長任期後の1928年アムステルダム五輪で、女子の陸上競技種目が初採用されることに道を開いた。ある意味で、こちらは2024年パリ大会のジェンダー平等に至る、女性の五輪参加の闘いという長い道のりを、最初に強く後押しした人物だと言える。