時代に遅れた者の悲劇、蜀の姜維の失敗に見る、50歳を超えたら誰もが注意すべき落とし穴とは姜維

 約1800年前、約100年にわたる三国の戦いを記録した歴史書「三国志」。そこに登場する曹操、劉備、孫権らリーダー、諸葛孔明ら智謀の軍師や勇将たちの行動は、現代を生きる私たちにもさまざまなヒントをもたらしてくれます。ビジネスはもちろん、人間関係やアフターコロナを生き抜く力を、最高の人間学「三国志」から学んでみませんか?

諸葛亮が高く評価したその才能、姜維という武将

 三国志という歴史、あるいは三国志演義という物語の中で、蜀帝国の終わりを演じた

 武将の一人に、蜀の姜維がいます。彼は202年生まれで、264年に蜀の滅亡とともに命を落としています。

 姜維はもともと、魏の支配地域の武人であり、諸葛亮の最初の北伐(228年)で味方に裏切られます。この結果、蜀の諸葛亮軍に降伏したことで蜀陣営に参加しました。劉備の死去から5年が経過し、蜀が夷陵の戦いで受けた敗戦の痛手から、ようやく回復した時期です。

 姜維は、死去するまで36年間、蜀に属したことになります。なお228年の北伐は、馬謖の失策によって敗北。馬謖は処刑されますが、姜維は武将としての才覚と誠実さを諸葛亮に認められ、劉備や関羽、張飛なき蜀において、重要な地位を占める武将となっていきます。

蜀の国境を守る4将軍の一人としての活躍

 姜維は、蜀に属してから諸葛亮にしたがって数度の北伐に従軍します。残念ながら諸葛亮の北伐は成功せず、234年に諸葛亮が戦陣で病死して一つの時代が終わりを告げます。諸葛亮の後継者に指名された蔣琬は、一時期は北伐の準備をしますが、決行せずに終わります。

 240年代には、姜維は蜀の国境の1つを守る大将軍となります。姜維のほか、蜀の国境を守る将軍となっていたのは馬忠、王平、鄧芝の3人でした。この3名はいずれも、先帝劉備の存命中から蜀に仕えており、戦場の機微を知る歴戦の武人といってよいでしょう。

 馬忠のみ、夷陵の戦い(劉備が大敗した最後のいくさ)から蜀に参加していますが、馬忠、王平、鄧芝の3人は、いずれも魏呉蜀が火花を散らして戦った大戦の残り香を知っている者たちです。姜維は4大将軍の中で、唯一北伐時代しか知らない世代だったのです。