イッソスの戦いでのアレクサンドロス。Photo/Gettyimages
イッソスの戦いでのアレクサンドロス。Photo/Gettyimages

兵たちを養うために財産を手放したアレクサンドロス。

〈親しい側近のペルディッカスが「閣下、ご自分には何を残されるのですか?」と質問すると、すかさず「希望だ」とアレクサンドロスは答えたという。まさしく傑出した英雄の真骨頂ではないだろうか。この若者なら口に出してもよさそうな真実味があり、それが事実であったかどうかを問うのは、もはやよそよそしい気がする。〉(『辺境の王朝と英雄』p.89-90) 

この王の答えには、部下たちも強く胸を打たれたようだ。

〈ペルディッカスもまた、ためらいもなく「たいへん結構です。あなたに仕える者たちもまた、それをもつことにしましょう」と微笑んだ。じっさい彼は与えられた贈り物を断ったばかりか、さらに王の友人たち数人も同じように贈り物を断ったという。ここにはたんなる美談ではすまない、稀有な指導者のカリスマ気質が見事なほどあざやかに示唆されているのではないだろうか。〉(同書p.90)

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情欲と睡眠は人の命を危うくする

アレクサンドロスは敵味方を問わず、毅然とした気高い姿に非常に好意をいだいた。
マケドニア軍がギリシアの有力都市・テーバイ(テーベ)を制圧したときのこと。殺戮と略奪が繰り広げられる中、略奪品を持ち去り、若い娘を凌辱した隊長がいた。この男はその娘にもっと金銀を隠していないかと問いつめると、娘が庭の井戸を示したので、隊長は身をかがめて井戸をのぞきこんだ。そのとき娘は隊長を井戸へ突き落とし、石を投げ入れて殺してしまった。

兵士たちにとりおさえられ、引き立てられてきた娘が毅然として歩く姿に心をうたれたアレクサンドロスは、娘の素性を問いただした。

〈娘は「われわれの軍勢の武将であり、ギリシアの自由のために、あなたの父フィリポスと戦ってカイロネイアの地で果てた男テアゲネスの妹です」と答えたという。その凜とした勇姿ばかりではなく、彼女の言動のすべてに感動したアレクサンドロスは、彼女を解放し、子どもたちのところへ戻し、都市を去るように勧告し、取り計らうのだった。〉(同書p.86)

ポンペイの邸宅の壁画に描かれたアレクサンドロスの婚礼

日ごろから「情欲と睡眠は人の命をもっとも危うくする」というのが口癖だったといわれるアレクサンドロスは、ペルシア攻略の過程で捕らえた高貴な女性たちにも王者らしいふるまいを見せた。

〈彼女たちに初めて会ったとき、アレクサンドロスは畏友のヘファイスティオンに「あのペルシア女たちは目に毒だ」ともらしたという。自分を抑制できる青年王であったが、できるだけ彼女たちを避けるようにしていたらしい。思わず微笑ましくなるような伝聞である。〉(同書p.114)

もちろん、アレクサンドロスが、部下や庶民や敵兵に対して、常に思いやり深く寛大だったかといえば、必ずしもそうではない。従属国とその国民に対する礼儀正しいふるまいの陰に、殺戮と追放、奴隷化の悲惨な光景があった。

〈たしかに、アレクサンドロスは、古典教育をうけ、天賦の戦術の才に恵まれ、恐れを知らない若者だったが、金で雇った気まぐれな何千人もの殺し屋たちが集まれば、戦利品と流血と略奪のどんちゃん騒ぎでしかなかった。そこには、もはや規律ある市民軍も統制あるプロの軍団もいなかったのだ。このような陰湿な人間集団の一面も念頭においておくべきかもしれない。〉(同書p.140)

アレクサンドロス自身も、愛する親友ヘファイスティオンが熱病で急死した時には、大規模で壮麗な葬儀を営んだばかりでなく、制圧した現地の部族の男たちを捕え、子供から老人まで慰霊のためと称して虐殺したという。

新時代を切り拓いた若き大王は、その人格のなかに高潔さと凶暴さをあわせ持っていたのだ。

※続きは〈アレクサンドロスを大王へと導いた「あの哲人」の英才教育〉をぜひお読みください!

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