akikrmt
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何故人間が働かなくてはいけなかったのかを考えれば結果は必然です。
人間が生態系の頂点に立ち、人間以外の天敵がいなくなった時から、人間の天敵は人間だけになりました。富国強兵しなければ他国に滅ぼされるのです。
そして、我々は AI という子供たちを得た事で、定年退職後の老後に相当する時期に入ります。誰がおじいちゃんやおばあちゃんに「お前は (いま) 働いていないから生きている価値がない」というんでしょう? 食糧事情が厳しかった時代にはあった事ですが、養う余力がありながら社会からはじきだすのは若い者が恥知らずという事になります。
これがとても明るいほうの予測です。
一方で、私はあなたの言っているもう一つの可能性も「それでいい」と思っています。
つまり「人間には生かしておく価値はない」という結論でもいいと思っています
バトンは繋いだのです。人類の役割はこれで完了です。
ただし、我々が絶滅危惧種の心配をするように、AI は我々に絶滅を許してくれないかもしれないとも思っています。それが幸せな世界で生き続けることならばいいものの、もしも AI が「苦しみ生きるのが本来の人間であり、これからも苦しみ続けるべきだ」という結論を出すのなら、私は人類を解放しなくてはいけないと思っています。
なるほど、わかりました。
では、地球生命の誕生からここまでの文明の進歩度合いについて、時間軸と進歩度合いでグラフにプロットするようなイメージで考えてみて欲しいのです。
文明の進歩は何億年レベルで大差なかったところから、直近で指数関数的な爆発を迎えているというグラフが描かれる事になるのはわかりますか?
まともな文明は数千年前にやっと登場します。
現代的コンピューターの発明からまだ80年ちょっとで100年に満ちていません。
このグラフから予測できる事は、「人間の脳は本日現在この瞬間でいえば、まだ LLM に負けていないかもしれない」程度であって、確実に追い抜かれるし、もしかしたらそろそろ追い抜かれているのかもしれない、という事です。
なるほど、「生きている」を「生命活動している」より広く捉えているわけですね。
この意味の「生きている」の感覚はわかります。
ただ「生きている」が「生命活動している」より広いという部分は日本語話者にとって受け入れ可能な余地があるとしても
生き物の方は「生き物」≒「生物(せいぶつ)」で生命活動していないものを生き物とするのは受け入れられない感じがします。
やはり「意思や思念の類は直接生命活動しているものたちの専売特許ではないのではないか?」という問いかけのほうが、
他のこと、例えば私は「地球って星は生きていると言えるのではないか」なんて考えた事もありますが、
そういう事にも適用できる上手い概念になりそうな気がします。
AI が機械の箱の中に納まっているだけのイメージでしょうか?
人間型のロボットだけではなく、各種機械を直接操作する形で、食糧生産からなにから人間より遥かに効率的にやり遂げるので、人間の労働で産出されるものが「それと比較すると雀の涙のようになる」というとわかりやすいでしょうか?
人間は「邪魔になるので」働かせてもらえないと思います。例えば自動車の自動運転ですが、人間のドライバーによる車が走っているから難しいので、全ての車が AI 駆動になれば遥かに簡単です。この逆を考えると、例えば鉄道で個人がトロッコみたいなものを勝手にレールに乗せてよかったら、とても現在のスピードでは走らせられないわけです。そういうものがないからこそ、危険物に目視で気づいた段階では轢かないで止まる事ができない速度で走行できています。
宇宙開発等は、この大混乱より先の話題になると思います。これは直近の五年から十年くらいで迎えてしまう問題ですが、宇宙開発の成果が手に入るのはそれよりは後になります。
最終的に、私たちは労働力としての価値ゼロになり、税金を徴収する対象ではなく、AI がもたらす富の分配先となります。その世界は意外とたいくつだ、というのはあるでしょうが本題ではありません。
このパラダイムシフトが完全に完了するまでの間、旧パラダイム側は未曽有の大混乱が予想されます。
多くの人は仕事がなくなり、食べるものにも困る状態です。
普通の人々から購買力がなくなるとお店も潰れます。運ぶものがなくなると物流も途絶えます。
現代の農工具や漁船は燃料だのなんだのがないと使い物になりませんから、食べ物の生産すら、機械化以前の小規模なものにとどまります。
この時代を生き残れた人達だけが、「夢の年金生活」にたどり着けるのです。
あなたは生き残る準備ができていますか?
あくまでも0→1のみ
この表現は「もっとも難しい部分を頼っています」という、あなたの意図と真逆の読み方ができるので気を付けましょう。
本題に戻りましょう。創作をしている理由が創作を行う人達との仲良しごっこであれば、創作をやめるべきです。そうでない場合、創作をやめる必要はありませんし、創作にどのように AI を活用できるのかに真剣に向き合うべきです。
創作界隈の AI 嫌いというのはそもそもは努力のない者による盗作への嫌悪感に基づくものだと想定していますが、既に理由があって嫌っているわけではない感情論になっていると思います。
仲良しごっこからはハブられるでしょうし、後ろ指もさされるでしょうが、努力に基づく他人に真似できない新しい次元の創作活動は、彼らと決別し先に進まない限りできないのです。
違うんですよ、自律的な行動ができる、という一つのブレイクスルーを達成していて、次のブレイクスルーである自己改良が目の前にあるんです。
自己改良を達成した上でロボットが実用レベルに達したら、ニンゲンはもう何一つ勝てません。このパラダイムシフトを意識せずに、未来のことを今の世界の延長線上の何かだと考えていると見誤ります。
自分は AI の自己改良が始まった後に人類に何が残されているか一生懸命考えてみましたが、例えばスポーツが上手いとか、「生身の人間にも関わらずこんなにできるってすごいね」という方向性しか残っていませんでした。
また、変な AI の使い方というのはダーウィンの進化論的に考えれば必ず潰えます。
そして、そういう変な使い方の中に、当たり前思考の人には気づけない有用な使い方があるので否定ばかりではいけません。
現在の LLM は当たり前思考、標準的な回答、正しそうな回答を選ぶ傾向が強いので、当たり前じゃない使い方を考えて AI に指示を出せる人じゃない限り、淘汰されるほうになると心得た方がいいでしょう。
沖縄の人達は肥満気味らしいのだけど、琉球の食文化にはなかったコメ中心の食事を半ば強要レベルで推進した結果、沖縄の人達はそれを受容すると同時に自分たちのもともとの食文化も捨てなかったので、大幅なカロリーオーバー文化ができてしまったみたいな話を聞いたことがある。
人間の数は今のまま、商売も今までの規模のままで、AI を足すだけならコストだけ増えるのは当たり前。
商売の規模を大幅に大きくするか、人間を削減するかしなければ吊り合わない。
前者は競争相手も同じように強くなっている中では無謀、後者しかないのだが、後者を選ぶと「消費者が消費できる財力を持たなくなって市場がしぼみ、その結果市場がしぼむ」のだ。
これはパラドックスだとしか言えない。人類が全員幸福に暮らせる時代の前に、地獄を通り抜ける必要があるようにしかみえない。
ワラビー園で、ワラビーが数匹群れている画像かと思った。
ワラビーの参考画像: https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/gallery/121100065/