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〈新約聖書と仏教サンスクリット文献における物語の対応例を挙げたバシャムは、しかし、十九世紀的な仏伝・福音書比較研究を復活させようとしているわけではない。彼の視野は、二つの点において昔の比較研究とまったく異なっている。

一つは、彼は、イエスの伝記とブッダの伝記とのあいだに対応を見ようとしているのではなく、前者と西暦紀元ごろから数世紀間にわたってインドで生成・発展した大乗仏教──あるいは紀元後の小乗経典のあるものとのあいだに対応を見ようとしていること。二つは、キリスト教と大乗仏教とのあいだに、一方の他方からの直接の借用を主張するのではなく、両者の共通の源泉としてイランのゾロアスター教を想定し、その東西両側への影響を考えていることである。

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キリスト教と仏教とのあいだのこれらの相似を、偶然に帰してしまうこともできる。また、偶然に帰するにはその数があまりに多いために、なんらかの概括的な判断をすれば、それはきわめて主観的なものとなってしまう。とすれば妥当な唯一の結論は、それらの一致の大部分は西アジアにおける両者に共通の源泉に由来するとすることであり、その共通の源泉としてはイランの二元論が考えられる、とバシャムはいう。

古代イランのゾロアスター教、ズルワン・アカラナ(無際時)やミスラの信仰などの神話が一方で大乗仏教に、他方でバビロン幽囚以後のユダヤ教とキリスト教の神話に多くの暗示を与えた。後代のユダヤ教に始まり、キリスト教において完成されるメシア信仰は、仏教の未来仏マイトレーヤ(弥勒)信仰と関係づけられるが、それらはいずれもゾロアスター教の、世界の終末における救済者サオシュヤントに共通の起源を求めることができる。キリスト教の天使、仏教の菩薩の観念は、ゾロアスター教のフラワシやアメシャー・スペンターに基づいている。〉

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