漁獲の激減という現実から国民の目を逸らし、 「印象操作では」という疑心暗鬼すら招きかねない。 先週発表の政府の水産白書から、 日本漁業のピーク(80年代)のデータが削除されました。 本来は7割以上減った生産が、あたかも4割強しか減っていないかのように グラフの形は激変しました。 やすくしたとのこと minato-yamaguchi.co.jp/minato/e-minat… ですが、例え良かれと思ってのことでも、こうしたデータの切り抜きは、 国民が客観的に現状を捉えることをしづらくしてしまいます。 それに昨年はスルメイカや太平洋家のマサバについて 「資源のリスクを示すデータを軽視(時に無視)し、 もっと獲っても問題ないと判断する」 事例が日本で続いたことは確かです。 スルメ marinemanager.njc.co.jp/magazine/minat… サバ marinemanager.njc.co.jp/magazine/minat… このことで水産業界内外に「もっと獲るのを正当化するため、意図的では」 「水産資源を回復する意欲があるのか」といった疑心暗鬼が 国民や水産業界内に少なからず生じてしまったのも、また確かです。 suisan-summit.com/wp-content/upl… 魚をもっと獲りたい人は「乱獲だろう」と非難され、 魚を回復させたい人は「本当に魚を食べ続けられるのか」と不安になる。 というかすでに日本の魚介資源の多くは減っているし、食べられなくなっている。 誰にとっても、良いことではありません。 インターネットがある今、政策の議論には、 少しずつでも着実に、業界外からの目と声が入ってくる。 水産資源の回復のような「大変だが、国民生活に不可欠」という政策には、 必ず意見が分かれますし、疑心暗鬼も伴います。 疑心暗鬼をなるべく生まず、かつ海と漁業と食を守るため。 できることは、嫌な現実からも目を背けず「どうすれば一歩でも改善できるか」 「どう改善策の負担を軽くできるか(例:科学的に資源を守る漁師さんへの支援)」 建設的に考えることのはずです。