「昨夜、誰かの夢で人が死んだ」Part.7
第七章 逆の結末
「セルゲ・ナダル。彼も元潜り手よ。私よりずっと前に、観潮院を追放されたわ」
重苦しい海霧が立ち込める港のドック跡。赤錆びた廃船が並ぶその陰で、イヴは声を潜めてニノに言った。 二人は、もう一人の当事者である背の高い男——首に古傷のある元潜り手を探し当て、彼がねぐらにしているという廃船の前に身を潜めていた。
「彼はかつて、あの時計師ウォルダと相棒を組んでいたの」 「潜り手同士で?」 「ええ。潜り手は時として、互いの意識を繋いでより深い線へ潜ることがある。でも二人は、ある日を境に突然コンビを解消し、セルゲは姿を消した。……理由はもう、わかるわよね」
ニノは息を呑んだ。 「深く潜りすぎて、互いが互いを殺し合う無数の『最悪の線』を覗き合ってしまったんだな」
「その通りよ。そして今、彼らの元へその潮が確実に寄ってきている」
その時、廃船の甲板で不意にミシッと木材が軋む音がした。 見上げると、霧の中からぬっと長身の男が姿を現した。セルゲ・ナダル。首筋には証言通りの古い傷跡が這っている。彼の目は、ウォルダと同じように、限界まで張り詰めた泥のような疲労に濁っていた。
「……何の用だ、イヴ」 セルゲは甲板から二人を見下ろし、低くしゃがれた声で言った。 「俺の夢を嗅ぎ回っているそうだな。潮見表の犬に成り下がったか?」
「あんたの夢の結末を確かめに来ただけよ」イヴは怯むことなく見上げた。「あんた、ウォルダを殺すつもりね」
セルゲは嘲笑うように鼻を鳴らした。 「あいつが俺を殺す夢を、俺はこの数ヶ月、毎晩のように見せられているんだ。路地裏で、あいつの握ったナイフが俺の腹を裂く光景をな。……俺は潜り手だ。夢が嘘をつかないことくらい、痛いほど知っている」 「ウォルダも同じ夢を見ているわ」イヴが鋭く言い放つ。「ただし、あんたがウォルダを刺す線の夢をね。彼も怯えているのよ」
その言葉に、セルゲの表情からスッと感情が抜け落ちた。 沈黙が降りた後、彼は酷薄な笑みを浮かべた。
「そうか。あいつも俺を殺す気でいるわけだ。……だとしたら、答えは一つしかないだろう」
セルゲはコートの懐に手を入れ、ゆっくりと柄の擦り切れたナイフを引き抜いた。 「どちらかが先に動かなければ、殺される。自分が生き残るためには、相手が動くより一秒でも早く、あいつの喉笛を掻き切るしかない。俺の見た殺される夢が『別の線』のものになり、あいつを殺す夢が『この線』の現実になるようにな」
ニノの背筋に、氷をねじ込まれたような悪寒が走った。 完璧な殺意の論理だ。 二人とも、本来なら誰も殺したくないはずなのだ。しかし、「夢の予言」というエビデンスを絶対と信じ込むがゆえに、互いの死の夢を突きつけられた彼らは「先に動いた方が生きる」という究極の囚人のジレンマに陥っている。
犯人はまだ、存在していない。 しかし、予言への信仰が、今まさに二人の善良な男を「人殺し」に鋳造しようとしている。このまま放置すれば、どちらかが確実に相手を殺す。この狂った論理が完成している以上、言葉で彼らを止めることはもはや不可能だった。
「……もう遅い」 セルゲは手すりに寄りかかり、ナイフの刃先で自分の手首をトントンと軽く叩いた。 「俺の脈は、もうあいつの血を求めて跳ねている。今夜あたり、決着がつく気がするぜ」
セルゲが甲板の奥へと姿を消した後も、ニノはその場から動けなかった。 濃密な海霧が、二人の足元を渦を巻いて通り過ぎていく。 ニノはバインダーに挟んだ証言録を強く握りしめた。証言の底から「不変項」を見つけ出し、彼らの論理の前提そのものを破壊しなければならない。さもなければ、この霧の街の路地裏で、確定した悲劇の血が必ず流れる。
ニノのインクで汚れた指先の下で、真っ赤に修正された紙の束が、彼自身の張り詰めた脈拍を移されたように、かすかに震え続けていた。


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