「昨夜、誰かの夢で人が死んだ」Part.6
第六章 時計師
ハルメアの南区にある小さな時計店。壁を埋め尽くす無数の振り子時計が、それぞれ少しずつ異なるリズムで秒針を刻んでいる。
ウォルダ・キリクは、右目に作業用のルーペをはめ込み、ピンセットで極小の歯車をつまみ上げようとしていた。 しかし、指先が小刻みに震え、真鍮の歯車がカチンと甲高い音を立てて作業台の上に落ちて転がった。
ウォルダは深く息を吐き、ルーペを外した。 両手で顔を覆う。掌には、長年ゼンマイを巻き上げ、硬い金属のケースを削ってきたことでできた、分厚いタコがある。 この数ヶ月、彼は毎晩のように同じ夢を見ていた。 霧の路地。目の前に立つ男——かつて潜り手としてコンビを組んでいた相棒、セルゲ・ナダル。 夢の中で、ウォルダはこのタコだらけの手でナイフを握り、セルゲの腹に深く突き立てている。刃先が肉を裂き、骨に当たる生々しい感触。吹き出す血の温かさ。
「俺は……誰も殺したくない」 誰もいない薄暗い店内で、ウォルダは呻くように呟いた。 彼は温厚な職人だ。虫一匹殺したこともない。しかし、夢の底でセルゲを殺し続けるうち、その「記憶」が現実の自分を少しずつ浸食し始めていた。 彼にはわかっていた。夢は絶対に嘘をつかない。この街の掟——潮が寄れば、いつか必ず自分はセルゲを殺すことになる。 そして何より恐ろしいのは、セルゲもまた同じように「自分が殺される」あるいは「自分を殺す」夢を見ているに違いないという疑心暗鬼だった。殺される前に、殺さなければならないのか。その確信だけが、毒のように彼の思考を麻痺させている。
カラン、と店のドアベルが鳴った。 馴染みの部品屋の男が、油紙に包まれた交換用のゼンマイを届けにやってきた。 「ウォルダさん、なんだか顔色が悪いですよ。また潮の夢でも?」 「……少し、眠りが浅いだけだ」 「気をつけた方がいい。そういえば、さっき港の食堂で妙な二人組に会いましたよ」 部品屋の男は、声を潜めて言った。 「インクで指を真っ黒にした新聞社の若い衆と、目つきの鋭い女です。二人で、あんたの名前を出してました。『時計師のウォルダが絡む殺人の夢を見た奴はいないか』って、片っ端から聞いて回ってるらしい」
ウォルダの心臓が、ドクン、と不自然に大きく跳ねた。 自分の夢が、第三者に漏れている。いや、誰か別の人間が、自分がセルゲを殺す夢を受信し、嗅ぎ回っているのだ。
「……どんな若者だった?」 「首から、古い拡大鏡を下げてましたね」
ウォルダの脳裏に、あの夢の光景が鮮烈にフラッシュバックした。 ナイフを振り下ろした後、ふと強烈な視線を感じて顔を上げた。そこにいた「視点の主」。拡大鏡を下げた、怯えた目をした若者。昨日、市場の雑踏の向こうで偶然目が合った、あのインクまみれの男。 あの若者が、現実のこの街で自分を追い詰めている。潮が、決定的な速度で寄り始めているのだ。
部品屋が帰った後、ウォルダは作業台の引き出しをゆっくりと開けた。 精密ドライバーやピンセットが並ぶ一番奥に、時計師の道具とは不釣り合いなものが二つ、隠すように置かれている。 一つは、鹿角の柄がついた狩猟用のナイフ。 もう一つは、今朝の新聞の『潮見表』を切り取った、小さな紙片だった。
ウォルダは震える手で、その切り抜きを握りしめた。 殺したくない。だが、誰かが自分を探り当てた以上、もう時間は残されていない。 握り込んだ紙の端が、掌の汗でぐしゃりと潰れる。店内を埋め尽くす無数の時計の秒針が、まるでウォルダ自身の狂った脈拍と完全に同期するように、カチ、カチ、カチと、破滅へのカウントダウンを冷徹に刻み続けていた。


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