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負けてたまるか

うつ病になった。
とはいえ大学には(たまに大した理由もなく授業を飛ぶけど)普通に通っているし、バイト4連勤も普通にこなしている。精神疾患ってこれだから面倒だよな、とか他人事みたいに思う。

別にうつかも、と思って受診したわけではなく、ただ明らかに調子が悪かった。食欲があんまりなく、夜は全く寝れない日々が一ヶ月弱続いた。疲れているのに脳が思考をやめてくれなくて、スマホもイヤホンも置いて布団に入っているのに平気で2時とか3時まで目が冴えている。やっと寝れたと思ったら全然知らない人を刺し殺す夢とかを見た。殺される夢とか、追いかけられて必死に逃げる夢とか、悪夢ってそういう類じゃないのかよ、と汗だくで目覚めてツッコミをいれてしまった。殺す側かよ。しかも無駄にリアルで、首を斬り落とそうとしたのだが、私の力では刃が上手く通らなかったから本当に死んだか不安で、確実に死んだとわかるまで何度も何度も刺した。3、4時間ほどしか眠れていないのに、それで一度起きたら二度寝はもうできなかった。そんな生活を続ければ当然レジュメの文章も教授の話も頭に入らなくなり、それでもやっぱりどうでもいいことを考え続ける脳は止まらなかった。頭をカパッと開けて、中身を取り出して一旦冷蔵庫とかに入れて、空っぽにしてから眠りたかった。これはまずいと思ったから、とりあえず薬が欲しくて親に黙って病院に行っただけだった。あれよあれよという間にうつの診断が降り、抗不安薬を処方され、月一の通院が始まった。

たしかに変だった。そんなことある?という疲れ方をしていた。友達ととんかつを食べているときに、お茶の急須とソースの入れ物を取り違えてとんかつに思いっきり緑茶をかけたり、まだ7割くらい残っているシェイクを平坦な道を歩く途中で取り落としてぶちまけ、服と周辺の床をシェイクまみれにしたり、大学に行く途中コンビニで昼食を買ったことをすっかり忘れ、大学の購買で全く同じ昼食を買ってしまったりした。

医者に治療が必要な状態のうつだ、と告げられても、カウンセラーさんによく頑張ってるね、と言われても正直ピンと来ない。ただこのいつ終わるかわからない負のスパイラルに、病気としての名前がついたことは多少気を楽にしてくれているのかもしれない。

はっきり言ってそんなことはどうでもいい。私は今のところちゃんと生きている。とにかく、思考が止まらなくて頭が休まらないから、その思考を全部アウトプットしていつでもアクセスできる状態にすれば、安心して思考をやめられるんじゃないか、という試みでこの文章を書いている。
誰かに悩みを吐き出すとか、相談を聞いてもらうという方法は私には無理だと判断した。理由は色々あるけど、私の頭の中に詰まっている情報量はちょっとやそっと私に優しくしようとしてくれるくらいの人には受け止めきれない密度だからである。あとシンプルに私が一方的に思考を垂れ流すのは会話になり得なくて相手に負担を強いるだけだから。相手の反応次第で私が更にまた思考を重ねてしまうから。

きっと膨大な量の記録になるだろう、と思いながら見切り発車で筆をとっている。書いておいてあれだが、読むことはおすすめしない。多分前向きで明るい話はほとんどないので、私の文章を読んでも落ち込むだけになるから。うつになった人の記録を通して、同じような状況な人を勇気づけよう、みたいな立派な大義名分も全くない。むしろ勇気づけてくれ私を。

忘れる、ということを本当に怖いと思う。忘却に、心底怯えている。私は寂しがりやだからなのかもしれない、忘れたら全部なかったことになるんじゃないかと思っている。何もかも全てを忘れたくないけどそんなことは不可能で、忘れているということすらいつかは忘れる。人間は一人では生きていけなくて、人間関係は一人では作れない。私ともう一人の間にしかわからない、私とあなただけが知っている二人の関わりがある。人は私ほど記憶を大切にしていないと、これだけ長く生きていればわかっている。あなたが私のことを忘れても、だから、私は憎まない。むしろ忘れてくれて構わない。でも、なかったことにはしたくないと私は思っていて、だから私だけは覚えていたい。たとえば私が高校三年生のころ、後期の球技大会、あれは高校生活最後の学校行事で、でも別にそんな実感はなかった。三階の廊下の席で親友二人とグラウンドを見ながらぐだぐだしていたこと、窓から見下ろしたら顔見知りの先生がいたこと、窓を開けて「せんせーー!!」って叫んだら届いたこと、「おー、お前そんなとこから見てんのか、いいな」って目を細めながら見上げられたこと。あの角度と先生の眩しそうな顔、ずっと忘れずに抱きしめて生きていきたい。でもこんなことがあったんですよ、って最近その先生に話したけど、先生は覚えていなかった。だからずっと覚えていたい。別にどうでもいい、あのワンシーンが私の人生を何か大きく変えたわけでもない、忘れたところで痛くも痒くもない、でも私には本当に大切な記憶で、先生も忘れて、私も忘れたら、やっぱりそれはなかったことになってしまう、と思う。でも在ったことは事実で、私がそのほんの数秒を愛していることも真実だから、忘れたくない。私の人生はそういう瞬間瞬間を積み重ねて構成されていて、だから何ひとつ忘れたくない。なんでこんな文章を書き始めたかという理由のひとつである。書いたから安心して忘れてもよい、と思えないと、多分私は永遠に眠れない。

ミヒャエル・エンデの「モモ」が好きな家系に生まれた。そんな家系あるかよ、と思うだろうが、祖母も母も大好きで、あともう少しで私の下の名前はカタカナでまんまモモになるところだったらしい。ひらがなか漢字なら別によかったけど、なんでカタカナにこだわるんだよ。無事に笙子と名付けてくれてよかった。この名前を考えた人は私が生まれる前に亡くなっていたので由来は不明だけど、かぐや姫みたいで気に入っている。そういうわけで、読書が好きだった私は人生のかなり早い段階でモモを読んだし、モモ好きの血筋を私もしっかり引いていた。モモが時間の花を見るシーンが好きで、ずっとそのページに栞を挟んだままにしている。
私が自分が常に何かを忘れつつあるということを恐れるとき、いつも時間の花を思い出す。記憶も思い出も花なのかもしれない。日記を書きながら、外がわの花びらから順にぽろぽろと剥がれて散ってゆくところを思い浮かべている。痛くて苦しいのにそれは絶対に止められない。心臓を掻きむしりたくなる。忘れたくないよ、何もかも全部。

最近、人間は生まれた瞬間から死に向かっていて、その過程で起こる全てはその練習だ、と思う。本当に唐突に、啓示みたいに思いついた。息を切らしながら自転車を引きずって、トンネルに向かう坂をのぼっている時だった。門限が近かった。あの坂をのぼるとき、なぜか私はいつも夜空を見上げてしまう、星座を探してしまう。でもその日は疲れていて、俯きがちにアスファルトばかり見ながら歩いていた。それは覚えているのに、それがいつのことだったかはもう思い出せなくなった。心の中で花びらがいちまい落ちる。小説を書くのも、手紙を書くのも、日記を書くのも、この文章も全部練習で、反抗だ。自分の言葉で自分以外の誰かに、自分の人生で起きたことを伝え続けている。生きた痕跡を残すために必死にもがく。そしてまた、ある日突然その努力が報われないことを理解する。全ての努力は、報われない努力が存在するという事実を我々に気づかせるためにある。大切な人と別れること、昔の人の生きた痕跡を探ること、何かを選ぶたび何かを切り捨てること、光のそばには影があること。喪失を乗り越えるためには諦めて受け入れるしかないから。いつか来る自分の死がそうであるように。

何がきっかけでそうなったのかわからないけど、いつからか世界を信じられなくなった。だから全部自力で覚えておこうとするのかもしれない。幸せはいつか終わるものだと思っている。何が書きたいのか、もう自分でもわからない。でも書いていないと気が済まない。考えることをやめたい、と思う。どうせ何も考えたことにはならないくらい、意味のないことだから。人生のことを考えるより、恋と愛のことを考えるより、今日提出の漢文学概論のリアペのためにもっと必死になるべきだ、頭ではちゃんとわかっている。でももう、考えすぎて、考えるのに疲れている。誰かが私と一緒にいる、それだけで不安になる。それだけで幸せになれてしまう、自分の不安定さに不安になる。臆病である。そこらの臆病者とはわけがちがう、筋金入りの臆病である。変化が嫌いだ。だから幸福を恐れる。幸福には不幸がつきものだから、そうなる前にうっかり掴んでしまった幸福は自ら壊すことにしている。恋人を、友達を、いろんなものを失って虚ろな気持ちで目を覚ましたとき、ふわふわの布団にくるまって、ああ、やっぱり不幸は落ち着くなあ、とまず一日のはじまりに思う。不幸に守られている、とすら感じる。幸福はつめたく、不幸はあたたかい。

文学に出会ってから、言葉を使いこなすようになってから、いろんなことを自覚させられる。私は中学高校と、精神的にもそれなりに成長したと思っていた。でも実際は、年齢と精神年齢が反比例しているのかもしれなかった。いつまでも幼い、赤ちゃんのままで、世渡りだけが巧くなっていく。人は私のこれを嫌うのだと気付く。自己中心的で、傲慢で、他人のことなどすべてどうでもいいと思っていて、でも他人には私を一番に大切にすることを求め、それができそうな人間に寄生しては付き合い切れない、と縁を切られる。不幸を盾に悲劇のヒロインを気取っている。他人は私を救って当然だと思っている。治し方がわからないのか、治す気がないのか、それすらも自分でもわからない。不幸への甘えだろうか。でも、文学が人よりちょっと得意なのは、この気質が理由だとも思う。どう生きたいのか、私もわからない。私が年齢を逆行しているのは、生まれ育ちのせいなのか、文学のせいなのか、それとも。

わかってほしい。それだけを考えている。

でも私は傲慢だから、わかられてたまるか、と思っている。特別でありたい。唯一でありたい。平凡から隔絶された存在でありたい。それを、それでも全部、わかってほしい。わかるよ、と言われると、簡単にこの苦しみをわかった気になるな、とはねのける。何を考えていても矛盾に辿り着いてしまうから本当に困っている。きみが好きだ。でもきみのことなんかどうでもいいんだ。

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負けてたまるか|新堀笙子
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