「17歳の夏」が人より遅れて来る仕様。
「17歳の夏」は往々にして、華々しい青春を送る高校2年生の代名詞として謳われる。羨ましい限りであり、忌々しい限りだ。
3月28日生まれという害悪仕様のせいで、私の「17歳の夏」は、見事に「大学受験生勝負の夏」とバッティングしやがっているのである。
まあそれはそれとして、私にも高校2年生の華々しい(かはわからないけども)夏はあったので文句を言うのはお門違いかもしれない。
何が言いたいかというと、これから始まる過酷な受験勉強、既にだりい〜、これに尽きる。絶対耐えらんねえ。
とにかく、17歳の夏への助走として、私の17歳の春が始まってしまったわけだ。そういえば「良いジャンプは良い助走から」ってハイキュー‼︎で縁下さんが言ってたな。
高三を目前に周りを見渡して思うことは、バケモノばっかりだなってこと。常々思っていることを、毎度改めて口にせずにはいられない。くっそ。
なんという時代の、なんという世代に生まれてきてしまったのだろう。
勉強でも運動でも音楽でも俳句でも、怪物はどこにでもいた。たった一握りしか生き残れない残酷な世界で、怪物はありふれた存在である。ただでさえありふれた怪物が、溢れんばかりにひしめいている翠嵐高校77期生。バカじゃないの。
怪物になれない私は、それでもそこで生きることを強いられる。怪物同士の熾烈な競争を勝ち抜いた一握りの怪物だけが生き残る世界で、スタートラインに立てない私は、一体。
日々続く競争の中で一番苦しいのは、競争を降りるという選択肢が存在しないこと。いや、ないことはないかもしれないけれど、ないに等しいこと、その選択が許されていないこと。
その次に、ナンバーワン以外に、世間は興味がないということ。
頑張ることを強いられながら、頑張りにスポットライトが当てられる資格を得られるのは結果を出した人だけ。
小さい頃から、「将来の夢は何?」とよく聞かれて育ちました。
これは中学校の卒業文集に載せた私の文章の、一文目。ちなみにこの文章の行き着く結論は、「将来の夢はわからない」。あれから2年経った今でもわからないまんまだ。
できること、好きなことならいっぱいある。水泳も体操も大会で優勝したことがあるし、それなりで良ければピアノも弾ける。アトリエに通っていたし、今なら文学も人並み以上に触れている。
だけど、私は永遠に「それなりでよければ」の呪いから抜け出せないでいる。将来の夢がないから、将来の夢に繋がるほどできることがないから。
ナンバーワンだけが絶対的である世界で、常にトップを目指す誰かとそうじゃない私との差は、いつしか埋めることが不可能になっていく。
「普通」に満足してしまうことは、悪なんだろうか。怪物になれない私は、それなりでいい、はずだった。
バケモノだらけの77期に囲まれて、俳句に出会ったことは二年間の高校生活で一番の財産だと思う。
思えば中学生の私は、臆病で小さい人間だった。
安全地帯に閉じこもっていた私が、俳句に出会って、俳句甲子園に出会って、殻を破ることを覚え始めたような気がしている。
それなりでいい、という思考は、ずっと先に立つバケモノたちにどこかで負けることを危惧して、無意識に自分で線引きしていた結果であることに気付いた。気付いたからといって、簡単に変えられはしないけど。
負けた時の、努力が報われなかった時の、圧倒的な力の差に出会った時の痛みは私にはまだ強大すぎて、そして怖すぎる。
文芸部に入って変わったことは、自分から外の世界を見るようになったこと。
それは例えば、ずっと先にいるバケモノたちをちゃんと見るようになったこと。言われたことだけやってきた私が、自分で句集を買うようになったこと。
だからってバケモノじゃない私が簡単に勝てるわけではなくて。未だに初年度は補欠で、とか決勝の句はほとんどぶっつけ本番で、みたいに情けない保険をかけないとマイクを握っていられない。
本気でやってません、勝つつもりでやってきてません、という意思表示でも無ければ喧嘩を売っているわけでもないのだが、そう捉えられる発言をしていることは自覚していて、早急に治さなければと毎回頭を抱える。
悔しいと思うのは久しぶりで、やっぱりとんでもなく痛かったけど、その分こんなに嬉しい楽しいと思うのも久しぶりで、痛みもどこか心地いい気がした。
文芸部に入って変わったことは、外の世界へ踏み出すようになったこと。
それは例えば、横の世代だけじゃない縦の繋がりに気付くこと。
言われたことだけやってきた私が、自分から賞に出すようになったこと。
勝ちたいと思う、文学で生きていきたいと思う、「思う」ことに対する躊躇が薄れていくことが嬉しい。
どれもこれも考えるまでもなく人に当たり前に搭載されている思考なのかもしれないけど、まあそこは、3月末生まれの遅咲きってことで。
「やりたいこと」は、今まで出会った「できること」の中に埋もれているかもしれないし、まだこれから新しい何かに出会うかもしれない。
小さい頃から、「将来の夢は何?」とよく聞かれて育ちました。
私の夢は、いつか「それ」を見つけたとき、迷わず使える武器を手に入れることです。
中学生の私の結論。
バケモノ同期に囲まれて、先輩を追いかけて、後ろから猛スピードで迫ってくる後輩に焦りながら、未成年最後の一年も迷惑をかけまくるかもしれないけれど、笑っていられる17歳でありたい。
自分の作品を待ってくれている友人のいることがどんなに嬉しいか。
試合中に目を合わせてくれる対戦相手のいることがどんなに楽しいか。
馴染んだ声で私を当ててくれるスタッフさんのいることがどんなに頼もしいか。
俳句に出会ったことが宝物であって、そしてそれ以上にその俳句の向こう側に立っている仲間たちが、いつの間にかかけがえのない存在になってしまった。
また、もしくはいつか、みんなと試合をするために。打ち上げで笑い合えるために。どこかで会えるように。それが今一番の生きる気力です。
どうしようもなく落ち込む時があって、その反対に、どうしようもなく自分が幸せだと思える時がある。
これからも、怪物でない私を時に追い詰めながら引っ張り上げてくれるだろう同期、先輩方、後輩方、
助けてくださいと叫ぶまでもなくそこに居てくれるのであろう世話焼きなお兄さんお姉さん方、先生方、
17年間で出会った全ての人へ、
誕生日の私から出会ってくれてありがとう、生まれてきてくれてありがとうを叫び、そろそろ筆を置くことにする。
高三を目前に周りを見渡して思うことは、バケモノばっかりだなってこと。
ああ、くそ。こんな時代の、こんな世代に生まれてきてしまったことを毒付きながら、それでも今、世の17歳に名を連ねたことを誇らずにはいられない。
良いジャンプは良い助走から。
「17歳の夏」が人より遅れて来る仕様は、助走が人より長い仕様。


コメント