~前回までのまちあるき~
たくさんの著名人をお参りできる東京は巣鴨の染井霊園に来訪。
5人のメンバーをひきつれ自分の趣味全開の回遊をきめこむ。下岡蓮杖のお墓って巣鴨にあるんやね!
12:00
染井霊園のほど近くにある慈眼寺とその墓地へ。
司馬江漢、芥川龍之介、谷崎潤一ら郎のお墓がある。
「へーここにお墓建てたんや」と思うも、慈眼寺はめちゃくちゃ移転を繰り返しているらしい。
深川六間掘猿子橋に創建
↓
1693年本所猿江に移転
↓
1912年谷中妙伝寺と合併し巣鴨に移転
司馬江漢のお墓なんかは、本所にあったときに建てられ、巣鴨に移転するときに一緒にうつった模様。
本所、めちゃくちゃ遠い。
遺族からしたら、「え!お墓ごと別んとこうつるんですか!?」と面喰ったんじゃないだろうか。
①司馬江漢のお墓
司馬江漢は、1750-1815年頃に活躍した画家・科学者・文筆家。西洋絵画の技法を取り入れた、遠近感や立体感のある「洋風画」を描いたり、銅版画にチャレンジしたりと気鋭の人物だった。
様々な功績はあるものの、かなり変な人だったっぽい。晩年は自分はすでに亡くなったとの嘘のビラをまいたらしい。聞いたことないビラ。
縦に長細いお墓は、ぽっきり折れて修復した跡があった。
②芥川龍之介のお墓
彼が自殺する前に見た「歯車」の幻想は、閃輝暗点だと言われている。
私も数年前、閃輝暗点がときどき出るようになった(今は治った)。急にクラっときて激しい頭痛がくるし、理由もよくわかんないし、精神的に参るのはよくわかる。
長男で俳優の比呂志と、三男で作曲家の也寸志のお墓もあった。
③谷崎潤一郎
高校の現代国語の教科書に、谷崎潤一郎『陰翳礼讃』が掲載されており、タイトルだけを見て、「め、めちゃくちゃ淫靡な話に違いない・・・!」と勘違いして読んだら、まったく艶っぽいシーンがなくて肩すかしをくらった記憶がある。
よく考えたら、高校生の教科書に色っぽい話がのるわけがないが、その教科書には坂口安吾が「必要がないなら法隆寺は駐車場にすればいい」と語った「日本文化私観」が載っていたので、ちょっと期待をしてしまった部分はある。
慈眼寺の境内も覗いてみる。
門の左手に「比翼塚」があった。吉原の遊女浦里と札差伊勢屋のせがれの時次郎のお墓が二つ並んでいる。この2人は歌舞伎や新内でも取り上げられた、有名なカップルらしい。

墓石がぴったり寄り添っている
物知りの先輩が、「落語の『明烏』にも、時次郎の名前があったよね」と言ってきた。落語研究部で同期が「明烏」をやっていて見たのは見たが、落語のなかの地名も名前も適当に聞き流して一つも頭に残っていない。「そうでしたっけ~へへっ」とおもねっておいた。
慈眼寺の門のすぐ内側の石畳に、ビワが落ちてつぶれていた。四谷くんが「ぼくビワ食べたことないなあ」と言っていた。
次回、本妙寺でお墓参り!
「遠山の金さん」でおなじみの遠山金四郎や、めっちゃ将棋がつよかったという天野宗歩のお墓も!
そのあと巣鴨地蔵通りで「ときわ食堂」へ!
まだまだ歩くぞ!町!
たくさんの著名人をお参りできる東京は巣鴨の染井霊園に来訪。
5人のメンバーをひきつれ自分の趣味全開の回遊をきめこむ。下岡蓮杖のお墓って巣鴨にあるんやね!
12:00
染井霊園のほど近くにある慈眼寺とその墓地へ。
司馬江漢、芥川龍之介、谷崎潤一ら郎のお墓がある。
「へーここにお墓建てたんや」と思うも、慈眼寺はめちゃくちゃ移転を繰り返しているらしい。
深川六間掘猿子橋に創建
↓
1693年本所猿江に移転
↓
1912年谷中妙伝寺と合併し巣鴨に移転
司馬江漢のお墓なんかは、本所にあったときに建てられ、巣鴨に移転するときに一緒にうつった模様。
本所、めちゃくちゃ遠い。
遺族からしたら、「え!お墓ごと別んとこうつるんですか!?」と面喰ったんじゃないだろうか。
①司馬江漢のお墓
司馬江漢は、1750-1815年頃に活躍した画家・科学者・文筆家。西洋絵画の技法を取り入れた、遠近感や立体感のある「洋風画」を描いたり、銅版画にチャレンジしたりと気鋭の人物だった。
様々な功績はあるものの、かなり変な人だったっぽい。晩年は自分はすでに亡くなったとの嘘のビラをまいたらしい。聞いたことないビラ。
縦に長細いお墓は、ぽっきり折れて修復した跡があった。
②芥川龍之介のお墓
彼が自殺する前に見た「歯車」の幻想は、閃輝暗点だと言われている。
私も数年前、閃輝暗点がときどき出るようになった(今は治った)。急にクラっときて激しい頭痛がくるし、理由もよくわかんないし、精神的に参るのはよくわかる。
長男で俳優の比呂志と、三男で作曲家の也寸志のお墓もあった。
③谷崎潤一郎
高校の現代国語の教科書に、谷崎潤一郎『陰翳礼讃』が掲載されており、タイトルだけを見て、「め、めちゃくちゃ淫靡な話に違いない・・・!」と勘違いして読んだら、まったく艶っぽいシーンがなくて肩すかしをくらった記憶がある。
よく考えたら、高校生の教科書に色っぽい話がのるわけがないが、その教科書には坂口安吾が「必要がないなら法隆寺は駐車場にすればいい」と語った「日本文化私観」が載っていたので、ちょっと期待をしてしまった部分はある。
慈眼寺の境内も覗いてみる。
門の左手に「比翼塚」があった。吉原の遊女浦里と札差伊勢屋のせがれの時次郎のお墓が二つ並んでいる。この2人は歌舞伎や新内でも取り上げられた、有名なカップルらしい。
墓石がぴったり寄り添っている
物知りの先輩が、「落語の『明烏』にも、時次郎の名前があったよね」と言ってきた。落語研究部で同期が「明烏」をやっていて見たのは見たが、落語のなかの地名も名前も適当に聞き流して一つも頭に残っていない。「そうでしたっけ~へへっ」とおもねっておいた。
慈眼寺の門のすぐ内側の石畳に、ビワが落ちてつぶれていた。四谷くんが「ぼくビワ食べたことないなあ」と言っていた。
次回、本妙寺でお墓参り!
「遠山の金さん」でおなじみの遠山金四郎や、めっちゃ将棋がつよかったという天野宗歩のお墓も!
そのあと巣鴨地蔵通りで「ときわ食堂」へ!
まだまだ歩くぞ!町!
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