藤川監督退場で露呈したリプレー検証の限界 「納得の制度」が不信を生む危うさ
阪神・藤川球児監督(45)の就任後初退場は、単なる「熱くなった監督の暴発」で片づく問題ではない。6月10日のソフトバンク戦、7回表1死一塁での熊谷敬宥の二盗はアウト判定となった。阪神ベンチはリクエストを要求。審判団は時間をかけて映像確認を行ったが、結果は覆らなかった。
場内でもプレー内容が何度も放映され、セーフ見えるシーンが繰り返された。その度に左翼スタンドは大きな拍手が生まれるなど、判定が覆るものだと虎党は信じて疑わなかった。だが、結果は知っての通りである。
藤川監督は不服を示し、ルールも知った上であえて抗議したに違いない。当然、リプレー検証後の異議申し立てとして退場処分を受ける結果となった。ルール通りと言えばそれまでだ。だが、だからといって、テレビで観戦していた全国の虎党、あの場にいたファンの疑問まで消えるわけではない。
まず、審判の判定が最終決定である前提がルールブックに明記されてはいるが、NPB独自のアグリーメントとしてリプレー検証が存在する。元来のルールならやる必要のないことなのだが、移りゆく時代の流れで、プロ野球を支える多くのファンの「納得」のために出現した背景がある。
肉眼では見えにくいプレーを映像で確認し、より正確な結論に近づける。誤審を減らし、試合の公平性を高める。制度の建前は実に美しい。だが今回のように、何度も映像を見たはずなのに、なお「なぜアウトなのか」が十分に伝わらないまま終わればどうなるか。残るのは納得ではなく、不信である。考えたくもないが、身内への忖度はないのかという疑念を抱き、格好のSNSネタとなってしまう。
問題は、アウトかセーフかの一点ではない。検証という手続きを踏んだのにも関わらず、納得いく説明があまりにも薄いということだ。どの角度の映像を重視したのか。どこをもって判定の根拠としたのか。その説明をする義務はアグリーメントにない、とかではないのだ。ファンが知りたい部分、そこが見えないからモヤモヤする。何分も待たされて、最後に簡潔なアナウンスだけ。それでは、制度が審判を守るどころか、むしろ審判への疑念を増幅させる。こんな皮肉はない。
もちろん、リプレー検証後の抗議を認めないルールは必要だ。アンパイアの存在がなければ試合も成立しないし、これまでの野球の歴史も語れない。野球人、ファンからリスペクトされるべき仕事だと認識している。
ただ、10日の出来事のような事例が続けば、試合の秩序は保てなくなるだろう。審判の権威も守れない。令和のファンは映像を確認したので従ってくださいで引き下がるほど単純ではない。むしろ映像技術がある時代だからこそ、見たなら説明してくれと思うもの。そこを怠れば制度は皆の納得の装置ではなく、主観を押し通すための装置に見えてしまう。
藤川監督は退場した。ルール上、それは仕方ない。だが本当に問われるべきは、監督の感情ではなく、制度の透明性の方だろう。リプレー検証は、野球を前に進めるためのものだったはずだ。もしその制度が、いま逆に野球への不信を生む入口になりつつあるのなら、もう一度立ち止まって考える必要がある。
判定を変えるかどうかではない。見たなら、なぜそうなったのかを、きちんと伝える。
その当たり前が欠けた時、リプレー検証は「正しさ」を守る制度ではなく「疑念」を残す制度になる。
今回の藤川監督退場劇は、その危うさを露わにした。制度の限界は、いつだってルールブックの外側。つまり人の納得の中で露呈する。野球はまだ、その難しさの途中にいる。