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ADの人生がうまくいかないのはなぜ?負の引き寄せループの仕組み

52歳、独身、無職。非正規に応募するも通らない日々。
貯金は底をつきかけ、膝の上には寂しさでお腹の毛を舐め壊してハゲた保護猫の「ニャオン」が丸まっている。これが私の現在だ。

私はずっと、自分は努力しても何も叶わないと思ってきた。今もどこかで思っている。

幼い頃、勉強ができても親からは褒められず、「愛嬌がない」「将来は親の面倒を見ろ」と搾取の駒として扱われてきた私には、「役に立たなければ愛されない、私には価値がない」という強烈な信念(観念)が骨の髄まで刷り込まれている。

だが、学校や社会に出てみれば、失敗しても、何の役に立たなくても「それでいいんだよ」と肯定されている人たちがいた。
私は彼らに強烈にイライラした。
「できないのに、なぜ自信たっぷりなの?」
「失敗しても、怒られても、どうしてへこまないの?」
「なぜ、もっと申し訳なさそうにしたり、自分を否定しないの?」
今ならわかる。私が抱いたこれらの感情は、彼らに対する強烈な劣等感だ。

彼らは自己肯定ができている。
私には備わっていないもの。あるいは、私と同じ境遇にいた筈なのだが、
運よく「理解ある人」に恵まれ、そこから脱した者たちだった。

いわゆる「安全基地」は、望めば与えられるものではない。
何か努力したらご褒美としてもらえるものではない。
人生において、信頼できる人と巡り合い、良い関係を築けるのは、親ガチャしかり、ほぼ運だ。
見た目でも性格でも学歴でもない。何か個人の努力でどうにかなるものではない。再現性がない
。だからこそもどかしい。

私は、満たされていない分、人より上に立とうとした。
例えば勉強や仕事ができるように頑張る。それで彼らを優越することで、自分を保とうとしてきた。

しかし、彼らは私が仕事が出来ようができまいがどうでもいい。
むしろ「役立つ人がいるとラクだ」くらいに思っていただろう。
彼らの仕事を散々肩代わりし、産休や育休の穴埋めをしてきた。

彼らの人生と生活のベースは職場にはなく、家庭にあった。
だから会社で別に大した成果を納めなくても、人生は充実している。

そもそも仕事や勉強をがんばってきたのは、劣等感を打ち消すためだった。なのに、頑張れば頑張るほど、逆に劣等感そのものを強化してしまうのだ。

彼らがクリスマス、GW、年末年始、誕生日、新婚旅行、産休・育休……を過ごすたび、私は「まっとうな人生」を送る人たちの眩しさに打ちのめされてきた。
尊敬されようと仕事を頑張っても、上司にいいように利用され、後輩や同僚に恐れられるか、嫌われるかで終わる。
そして最後は、仕事以外では距離を置かれて、孤独になっていく。

それを誤魔化すために「自分へのご褒美」と買い物をしたり、美食に走ったりして、今や貯金もない。愚かな若い頃の私。

私はどこに行っても「そのままで受け入れられている」という感覚を得ることができなかった。
辛うじて私の労力を差し出した時、相手に役に立っている時だけ「ここにいてもいい」と思えた。
そしてボロボロに疲れ果て、その場を去った。

かつての私は、このループから抜け出そうと焦り
「ありがとう、愛してる」「すべては完璧だ」と無理やりポジティブな言葉を唱えて現実を変えようとした。でも、何も変わらなかった。

環境を変えれば、周りも変わるかもしれない。次こそは。
自分を受け入れてくれて、努力を正当に評価してくれて、意地悪な人がいなくて……と期待したが、常に裏切られてきた。

学校でも職場でも、会社が変わっても、住まいが東京から地方都市に替わっても、どこでも同じ気持ちを味わい続けた。絶望していた。
結局、私には、自分を削って居場所を作るしかないのだと。

今なら、これは少し違うと判る。
というのも、そもそもの選択が間違っていたのだろうと思えるから。

人は「いつもの慣れ親しんだ安全な場所(現状)」として設定し、維持しようとするという。それが苦しい環境であっても。

幼少期の愛着の不足や理不尽な環境によって、私の脳のOSには「自分には価値がない」「私は無条件には愛されない」という前提が、初期設定として深く刻み込まれた。

脳の「現状維持機能」や「確証バイアス」というのは、引き寄せの法則で言うところの『RAS(脳のフィルター)』の働きに他ならない。
私の脳には、「私は愛されない」という強固な前提(信念)を維持するために、日常の中から「私がダメな証拠」や「拒絶された証拠」だけを狂ったように拾い集めようとするクセが身についてしまった。

だから、私は無意識のうちに選択を間違える。モラハラ上司など、いわゆるテイカーがいそうな場所を選んでしまうのだ。

おそらくだが、私の脳は過去の原体験(愛されなかった家庭)を克服したいのだろう。だから、似たような人間(外面や初対面は印象が良いが、実は私のことなど全く大事に思っていないテイカー)がいるところになぜか魅力を感じ、自分の人生にわざわざ引き入れてしまっていた。

引き寄せの法則は、スピリチュアルな魔法でも宇宙の罰でもなかった。私のトラウマでバグった脳の防衛本能が、必死に過去の地獄(機能不全家族での立ち位置)を再現し続けていただけだったのだと思う。

そして、想定通りというか、彼らの搾取が始まることで、
「やっぱり私はダメなんだ」「不幸なんだ」と負のループを回し、さらに自己否定が強まる。脳にとっての「安心な現状」を保ち続けていた。

このループが怖いのは「自分で選んだものが常に間違っている」ところだ。常に失敗するから、自信が削られ、自分のことをどんどん信用できなくなっていく。当たり前だ。

じゃあ人に言われるがままで良いかというと、それも違う。なぜなら弱っている人に強く方向を指し示す人間もまた、テイカーである可能性が高いからだ。

私が思うに、自分を肯定できない、自己否定がやめられないのは、性格が弱いからでも、考え方が悪いからでもないと思う。

毒親育ちのアダルトチルドレンが辛い現実を引き寄せてしまうのは、
「私がダメだから愛されないのだ」という理由(防衛線)を死守するために、脳が「失敗」と「自己否定」という現実を、寸分の狂いもなく引き寄せ(現実化させ)続けているのだというのが、私の意見だ。

アダルトチルドレンは、家庭の不和や違和感を「自分のせいだ」と感じやすい。それは本人のせいではないが、親や周りが「お前のせいで」という圧を(無意識にでも)掛けてくるのでそのように洗脳されてしまう。

結果として「自分がどうにかなれば家族は変わる。親から愛される。親が謝罪してくれる」という希望を(無意識に)持ってしまったのが私だ。

これは単なる悪循環ではない。私が「本当の絶望(本丸の虚無)」から目を背けるために、自ら仕組んだ「防衛のための引き寄せ」だ。

もし私が消極的にならず、全力で行動して大成功を収めてしまったらどうなるか。 「これだけ成功して、完璧な結果を出したのに、それでも私は親から無条件には愛されないのだ」という、言い訳のきかない絶望を直視させられてしまう。それは精神の死を意味する。

だから私の脳は、その破滅を全力で回避するために、わざと消極的な行動をとらせ、「失敗」という現実を見事に引き寄せる。 失敗さえしていれば、「私が愛されないのは、私が今回失敗したからだ」「私がダメな人間だからだ」という「理由(ダミーの絶望)」にしがみつくことができる。

自分を責め、自己否定のループの中で苦しんでいる間だけは、「本当は最初から愛なんてどこにもなかった」という身の毛もよだつような虚無を見なくて済むのだ。

一般的な心理学やカウンセリングは、この文章にあるような負のループを「認知の歪みだから、考え方を変えて直しましょう」と安易に解こうとしてくる。

変わるわけない。

引き寄せの法則は「そのエゴを捨てれば願望が叶う」と説くが、それはかなり危険な思想だと思う。自己否定の信念は、これまで過酷な環境で生き延びるために自分を守ろうとしてきた作用だからだ。

引き寄せ成功者は「エゴを手放したから成功した」と語るが、実際は逆だと思う。運良く安全基地を手に入れたり、成功したりしたからこそ、結果的にエゴ(防衛機能)を手放す余裕ができたのだろう。

それは、宝くじに当たった人が「買ったら当たりました」というのに等しい。引き寄せの法則の界隈では、「いい気分でいれば、いいことが引き寄せられる」「ネガティブな感情は悪い現実を創る」「今あるものに感謝しなさい」と口を揃えて言う。

できるわけない。

常に血を流して生き延びてきた人間に向かって、「傷から目を逸らして、笑顔で感謝しなさい。そうすれば血は止まりますよ」と言っているようなものだ。

少しでもネガティブな感情が湧くと「あ、これでは悪いものを引き寄せてしまう」と怯え、無理やりポジティブに変換しようとする。そして、結局うまくいかずに「波動を上げられない私が悪いんだ」「感謝が足りないから現実が変わらないんだ」と、またしても自分を責める材料に使ってしまう。

そもそも、「何かを引き寄せよう」と必死に願う行為そのものが、「今の私には何もない」「今のままの私ではダメだ」という『欠乏』の強烈な証明だ。引き寄せの法則が本当に「自分の前提(信念)が現実化する」という仕組みなのだとすれば、私が「幸せを引き寄せたい」と願えば願うほど、宇宙には「私は幸せではない」という欠乏のオーダーが寸分の狂いもなく通り続け、その現実が再生され続けることになる。
「私は既に願いを叶えています」「私は幸せです」も同様だ。目を開ければ何も変わっていない現実を突きつけられ、絶望する。その絶望が繰り返し再現される。

そこで私は考え方を変えた。「幸せ」の定義そのものだ。これまでの自分の不幸のツケを返済して余りあるものじゃないと「幸せじゃない」と考えてしまうから、全てにおいてちょっとでも前進したことがあったとしても、マイナスが大きすぎて「不幸」に飲み込まれてしまうのだ。

私は、例えば
このnoteを書きながら口にしたお茶を「美味しい」と思うこと、
4月なのに暑くて、でもクーラーが入れられたから部屋が「快適」なこと
猫のニャオンが窓辺で日向ぼっこをしているのを「可愛い」と思うこと、
それぞれを独立して、味わうことを許した。

同時に
「自分はダメだと思っている」
「自分は、誰にも愛されないと思っている」
ダメな感情が沸き上がってくる。
これまでは「そんなことないよ」とひっくり返そうとしてきた。
今は、それをどうにかしようとしない。

ただ、プラスとマイナスの感情のカードを、トランプやタロットのように
自分の心というデッキに広げてみる
だけ。

現実はこうだなあ、と思う。だが、ジャッジしないようにする。

そして、自分にとっての心地よさは、本当はどんなところにあるのかを考える。世間で認められるところのなにかじゃなくて。
自分が「こうだったらラクなのにな」というのは、どこにあるのか。

たぶん、これからもたくさん失敗するし、落ち込むと思う。
でも、失敗しても「これはダメだったんだな」と淡々と学習するしかないのかなと思っている。

まずは、自分が無理せずに働いて受け入れられる経験が必要だと思い、スモールステップで探そうとしているのが今。3~4つくらいの職を掛け持ちしたいと考えているところ。

この考えに至るまでのあれこれを、つたないながらも小説化したのがこちら



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