おみつさん | 虚空のラクタ

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ふと、藁ぐつの中の神様のことを思い出した。
正式なタイトルの字がどうなのかはわからんが、とにかく思い出した。
具体的には、それを教材とした授業の記憶をだ。
大元の本があるそうだが、儂は教科書記載の話しか知らん。

なぜ思い出したのか。
女中さんのことを調べていたからだ。
なぜそれを調べたのかは述べないでおこう。
いいものではない。
とにかく、ほっかむりした女中さんの絵から件の授業を連想したのだ。

そういえば、儂のご先祖の家にも女中さんが何十人か居たらしい。
人をやたらめったらこき使うのはあまりいいもんではないなと、見識に乏しい儂の直感では思う。
物事を代行してもらえることはありがたいがな。
それはいい。

かつて、その話の核となる「『神様』とはなにか」と先生が生徒に問うた時、儂は「神様とは、その人が心を込めて作ったものの結晶ではないか」と答えると先生にえらく気に入られ、その回答が暫くの期間、黒板の左端に三行で縦書きされていたことを思い出した。
小5の時だ。
おそらくその文言で間違っていないと思う。
記憶が正しければな。
掃除の時に誰かが誤って一部消してしまっても、改めて書き直されていた。
儂も誤って消した。

(なんだかこうして過去の自身の回答を思い出していると、技術の先生に「数学は必要か」と問われた際、「普段の生活で使う機会はほぼ無いと思うが、そこで学んだ数学的な考え方、物事を色々な面から見る考え方は役に立つと思う」と、要するに多方面から捉える力が活きるということだな、その旨を述べ褒められたり、ポイ捨てについて身振り手振りを交えて「ごみがあると景観衛生が悪化するだけでなく、それに蹴っつまずいてすっ転んでしまう云々」と述べると皆が笑い、にやけた国語の先生が「今のは口直しな」と全員に言ったことも連鎖的に思い出す。心外である。まあ話者が動いてりゃ笑うか。同じくその先生に、小学校から使っていた筆箱を「物持ちいいな!!」とでかい声で言われたこと、ものごとの比喩の単元時に、確か現実の表現としてあり得ないものを文中から抜き出せって問題だったかな、「脚が笑う」みたいなやつだ。儂がそこに線を引いて文中から抜き出していると、廻ってきたその先生に「そうだよな!」と言われ、その期の成績が5だったことも思い出す。いずれも中学生の頃だ。また、小学生の頃、ショーケースに入った日本人形の片付けをしている時に、女子生徒が物をぶん投げてそのケースに当て、近くに居た儂が冤罪で怒られたこともある。「も、もうやめてー!!あっち行ってて」と。とても悲しかったし、腹立たしかった。未だにその時の先生に釈明したいと思っている。またある時、儂はその先生を馬鹿にする意図なんぞ一切持ち合わせていなかったが、先生の身長を超えたことをその後ろで比較していると、それに気付いた先生が「先生を馬鹿にしているんです!」と皆の前でまじに怒り、心外だったことも釈明したいと思っている。思い出すときりがない)

思えばこの頃から儂の価値観の大筋は定まっていたのかもしれない。
神とは精緻で無駄がなく(遊びはあってもいい)、意図や真意つまり核の揺るがないものだからだ。
その延長で、神は宇宙と自然、その構造だとも思っている。
反面、霊的神秘的なものとしての神も存在すると思っている。
要するに、いずれも神がっている存在ということで、そのようなものが儂の判断するところの神となる。

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