財務省の広報誌『ファイナンス』の2025年1月号に山野車輪氏が情報源として肯定的に引用されていて驚いた - 法華狼の日記
ファイナンス 2025年1月号 No.710
引用しているのは財務官僚としてキャリアをつんで、第二次安倍晋三政権で内閣府事務次官になってアベノミクス策定にくわわった、国家公務員共済理事長の松元崇氏だ。
「日本語と日本人」という連載記事の第10回において、韓国はさまざまなことに起源を主張して、それに同調する日本人がいるという話として、山野氏と呉善花氏との対談を引いている*1。
上記エントリの問題だが、山野車輪氏の名前が出てくるのは一部分だけではある。
松元氏は全体として対談相手の呉氏の、2022年の著作に依拠して論を立てている。
論の内容はというと、韓国が漢字ではなくハングルを公式にもちいることになったことで、文化の連続性を失ったかのように論じるというもの*1。
北朝鮮は1948年の建国の際に漢字を廃止して全面ハングル化し、韓国も1970年に漢字廃止を宣言して漢字教育を全廃した。以後、しだいに新聞、雑誌、書物から漢字が消え去り、漢字に支えられていた文化が失われていくことになった。画家で文人でもあった呉之湖氏は、大学を出ても「自分の国の言葉で書かれた(かつての)新聞すらまともに読めない者など、人類の歴史上どこにも探すことができない。(中略)我が民族文化は、漢字と漢字語を基盤につくられて発展してきた。漢字を廃止することによって、数千年間続いてきた固有文化は、その伝統が断絶する」とした。
漢字で書かれた過去の資料が韓国では読めなくなったことで偽りの歴史が流布されるようになった、といった主張の根拠として十数年前にはよく見かけた論だ。
事実として後段で森元氏は軍艦島の過酷な労働を否認して、日本に対して理不尽な批判がおこなわれてきたという被害者意識を露呈している*2。
戦争末期の物資不足の下、朝鮮半島から徴用された人々の労働条件には厳しいものがあり、暴動が起こったところもあったという。しかしながら、こと三菱の端島炭鉱(軍艦島)に関しては、非人道的なことがあったとは思われない。というのは、筆者も出席していた三菱マテリアルの株主総会において株主から「自分の父親は端島炭鉱で朝鮮半島から来た人々と一緒に働いていた。戦後も毎年同窓会が行われ、そこには韓国からも多くの参加者があり、みな口々に『自分たちは端島炭鉱で働いていたことを誇りに思う』と語っていたと聞いている。それが、最近封切られた韓国の映画*38はひどい。会社として何か対応しないのか」という質問があったのである。そんなこともあって、財政史を研究していた筆者は、2021年に新潮新書から共著で出した「決定版 大東亜戦争(上)」の「財政・金融規律の崩壊と国民生活」において徴用工問題も取り上げた*39。
*38) 端島炭鉱で、非人道的で地獄そのものの「強制労働」の下にあった朝鮮人労働者400人余りの決死の脱出行を描いた韓国映画(2017年)
*39) 「決定版 大東亜戦争(上)」新潮新書、2021,p248−50
韓国では、戦後、今日に至るまで新たな歴史が創り出され、それを基に日本に対して理不尽ともいえる批判が行われてきた。韓国では、そのような批判に対して日本を擁護するような発言があれば、それが学術研究であっても売国奴といった非難が浴びせられる。それは、異論を許さない中国流の天命思想の下における言論空間になっていると言えよう*40。
加害を否認する内容であれば伝聞証言でも採用する態度が興味深いが、もちろん過酷な生活におかれた植民地出身者でも過去への愛着を語ることはある。あえていえば、映画『バトルシップ・アイランド』*3で描かれたように、日本の植民地支配に加担することで安楽な生活をおくれた朝鮮半島出身者もいた。
そもそも端島炭鉱は労働の過酷さが緩和された戦後も稼働していた。絶海の孤島から泳いで逃亡することすらあった*4、戦時中の増産体制における過酷さを否定する証言としては弱い。
何より暴動があったなら過酷な労働環境の証拠としていいならば、端島においてもサボタージュがおこなわれたこともあった。造船所にうつるという一定の成果を勝ちとった徐正雨氏が有名だ*5。
ともかく日本語論の話題にもどすと、森元氏は、かつて日本の民衆がほとんどひらがなで生活していたような歴史を無視して、漢字がないと読みにくいという「日本人の感覚」をもちだす*6。
それにしても、なぜ韓国で全面ハングル化が可能だったのだろうか。漢字をなくしてしまったのでは読みにくくて仕方がないというのが日本人の感覚だろう。我が国でも明治維新期に、カタカナだけにすべきだという提言がなされたことがあったが、実現しなかった。それは、日本語が目で見てわかる漢字を自国語化した結果、日本語が大変ビジュアルな言語になって、漢字を見なければ音で聴いただけではなかなか正しくは理解できない言語になっているからだ。
しかし日本にしても、たとえば先日に下記のような指摘があったように、表現として法的な整理や簡略化はおこなわれてきた。
「肩甲骨」を読めないからじゃなく、普通の固有語としての呼び方があるからです。
「ふともも」を日常で「大腿」と呼ばないことと一緒です。
蝶々を「てふてふ」と表記するような歴史的仮名遣いや、花札の「あかよろし」に代表されるような変体仮名は日常からほどんど消え去った。
ひらがなが成立した平安時代どころか、江戸時代の文章をそのまま現在の感覚で読み書きできるわけではない。
さらに森元氏は、『マンガ嫌韓流』も広めていた、ハングルは表音文字であるため同音異義語が区別できなくなったという主張もおこなっている*7。
ここから、全面ハングル化による韓国の漢字文化からの断絶という問題について見ていくこととしたい。それは、漢字の同音異義語が区別できなくなってしまったことに象徴されている。韓国では漢字の読み方は一種類だったので、読み方という観点からは漢字の全面ハングル化に特別な問題は生じなかったが、表意文字である漢字を捨て去ったことによって、同音異義語の区別が出来なくなってしまい多くの語彙が失われていったのである。例えば、ハングルで「にちろせんそうのせんきは」と書いた場合、その「せんき」は戦記なのか戦機なのかが分からない。そこで、戦機なら「戦いのチャンスを得て」などと書くようになった。「せんき」という発音で「疝気」といった難しい言葉は、そもそも使わなくなってしまった。法律書で「せんきでは……」とあるのを「先規」の意味で理解できる人は、かなりのインテリしかいなくなってしまった。それは、韓国人の理解する語彙が急速に少なくなったことを意味していた。
ここで森元氏は韓国語が漢字を見なくても音で聴いただけで正しく理解できる言語になっている可能性に気づかない。
もちろん『マンガ嫌韓流』が批判されたように、そもそも韓国語の音の表記は日本語よりはるかに多い。日本語の五十音と呼ばれるくらいで、濁音などをふくめてもせいぜい百音くらいだろうが、ハングルは文字を構成する部品のくみあわせで一万以上の表記ができる。さすがに日常的につかう文字は二千から三千くらいだそうだが、それでも日本語とくらべて同音異義語は少なく、区別に困る場面は少ない。
逆に日本語にしても「工場」を「こうじょう」と呼ぶか「こうば」と呼ぶかでニュアンスが変わったりするように、文字を単独でぬきだせば区別しづらい局面はある。良くも悪くも、そうした不合理もふくめて文化というものだろう。
*1:ノンブル23頁。
*2:ノンブル26頁。
*4:韓国映画『軍艦島』を利用した歴史の否定がおこなわれつつある - 法華狼の日記
*5:首相をやめた安倍晋三氏が、産業遺産情報センターの用意したブーメランを脳天に刺していた件 - 法華狼の日記
*6:ノンブル23頁。
*7:ノンブル24頁。