EP3「暗流」 06 疑念と理解

 つい数秒前まで、フェルの意識は遠くレキの大地にあった。

 いや、厳密には今でも意識はそこにある。同時に二つの意識を処理するフェルは、今もレキでカーバンクル族長の話を聞き続けている。

「大丈夫ですか? お姉様」

 隣にいるルミがフェルの袖を引いた。

「え、ええ」

 ここは中央都市上層の家屋。レキでの出来事に衝撃を受けて、少しだけ意識が持っていかれていた。

「ヴォルフ、あんたには感謝してるんだ。クズだったあたしを見捨てずに面倒みてくれて、モーガンにもとりついでくれた。けど……!」

 ヴォルフの案内で会ったフィズという名の要人、問題の惑星タルタロス出身という人物がわめいていた。

 彼女はインペリアル社の不正の根拠を握っている。いつか告発の準備が整った時、中央の政治部の要請で証言することになっているという。

「落ち着け」

 ヴォルフはわめくフィズの前に立って肩を掴み、穏やかな声をかけていた。

 政治部はフィズの証言を必要としているが、ヴォルフはフィズの証言には反対だと言っていた。フィズ自身のことを考えているのだろう。

「足を洗う決断だけで、お前はもう十分にやった」

 ヴォルフは言った。その言葉を聞き、フィズはいくらか緊張をといたように見えた。

「そうです。証人を受け入れるやり方は、今の中央都市で機能するとは思えないです」

 ルミが意見を挟んだ。彼女は中央を信じていない。

「……そうでしょうね」

 フェルも同意だった。情報の精査をするプロセスが弱くなった今の中央都市では、証言は大した決定打にならないかもしれない。ただ立場を危うくし、ネットのおもちゃになる可能性さえある。

「それをなんとかするのが、私の目標でもあります」

 ルミが、フェルの袖を握ったまま小さくつぶやいた。

 中央都市の情報公平性の再建には何年もかかる。それを主導するにはクラウンのような完成された教えが必要で、ルミはそれになろうというのか。

「星典様ほどうまくできるとは思っていませんが、今よりはよくしたい。そう思っています」

 強い意志を感じさせる声で、ルミは語った。

「偉いですね」

 フェルは思わずルミの頭を撫でた。ルミは気持ちよさそうにしている。

 ルミは強い力を持つ記録者で、しかも情報技術に強いタイプだ。きっと実現できるだろう。

 頬が紅潮したルミは潤んだ目でフェルを見ている。思わず抱きしめたくなる可愛さをしているが、フェルは笑顔を貼り付けて感情を外に出さないようにした。

「……」

 フェルとルミの様子を見て、ヴォルフが少し後ずさりしていた。なぜそんな反応をするのだろう。

「フィズさん。私はLNの一等司書です。中央政治部の人間ではありません。タルタロスでの経験について、少しお話を聞かせていただけますか」

 ヴォルフのおかげで少し落ち着いたフィズに、フェルは話しかけた。

「え……LNだって? それって星典の教徒っていう」

 フィズは驚いた顔をし、そしてなぜかヴォルフの顔を見た。ヴォルフはフィズに頷く。

「いや、だめだ。セラフィナか、あるいはベリルに殺される。言えない」

 フィズはひどく怯えた様子でそう言った。

「ベリル」

 その中にあった名前に、フェルは反応した。

「カオスの使徒、人ならざる存在。外の宇宙からやってきた異形の怪物……その強力な一個体ですね」

 そして、その名前について知っていることを口にした。

「な、なんで……」

 フィズは驚いている。だが、フェルも負けないくらい驚いているのだ。

 ベリルという名は、今まさに遠くでリンクしている惑星レキでカーバンクル族長から聞いたばかりの名だからだ。具体的には、つい数十秒前に得た知識である。

「やはり……リザレクションはタルタロスで穴を開けた。そして、次々に強力なカオスの個体を引き入れた。ルチル、ベリル、セラフィナ、そして……」

 惑星レキと中央、両方の情報を統合してフェルは述べた。点と点がつながり、全貌が見えてくる。

「お前……」

 フェルの様子がおかしいことに気付いたのか、ヴォルフが目を細めていた。

「結構です。その名を聞ければもう、あなたから何か引き出すことはありません」

 フェルは、怯えるフィズに言った。フィズの表情にはいまだ恐怖が滲んでいたが、先程とは変わって呆けてしまっているようだった。




『今この宇宙のどこかには、あの穴があるのでしょう』

 カーバンクルは、最近また新たにカオスが呼び出された気配があると話していた。

 それはつまり、イザヴェルの時と同じ穴がどこかに存在していることを意味している。そこから、悪魔と呼ばれた生物が引き入れられている。

 カオス生物は、元いた宇宙では強靭な肉体を持つ種族だった。

 クラスターコアのように情報を保存する仕組みもないのに、引き裂けた次元の破片で生き延びていた生物だけある。ただし知能はまちまちで、怪物のような行動しかとらない者もいれば対話ができる者もいる。

『ルチル。凶暴で危険、快楽主義的なやつよ。どこか破滅傾向があるけれどね』

 カーバンクルは、今この宇宙に存在が感知できる他のカオス生物について教えてくれた。

『ベリル。こいつは……何を考えているかわからない。ただ、長く生き残っていたということは生への執着はそれなりにあるでしょう』

 フェルたちの宇宙を仮に「クラウン宇宙」と呼ぶことにするとして、そのクラウン宇宙に降り注いだカオス宇宙の破片には、こうした精神だけの生き物がたくさんいた。

『そして、セラフィナ。融和的な態度に見えるけれど……カオス宇宙ではこいつが一番危険だった』

 そしてこのカーバンクルは、この地下からカオスの気配だけをずっと追跡し続けていた。

 驚異的な集中力、そして能力であった。カオス生物の中でも観測に特化した生物だったというカーバンクルは、大きな瞳のような核によって宇宙全体の大まかな星図を把握できるのだという。

 わかるのは同族の気配に限るものの、カーバンクルの観測は宇宙樹の枝の力、LNのイクリプティカル・コードの算出と似ている。だから、ここは枝の民と呼ばれているのか。

「先生……あなたは知っていたんですか?」

 フェルは、虚空に向けてそうつぶやいた。

 イザヴェル末期に起きたことは、現代ではおそらく三女神くらいしか知らないだろう。LNが去った後の出来事なので記録もない。しかしそれ以前からカオス生物の存在は確認されていて、LNに記録されていた。

 その情報自体が宇宙を危険にさらすため、ごく少数の人しか知ることのない情報だったのだ。だが、イザヴェルの破滅的な事故が起きてしまった。

 それは今も続いていて、中央都市ではカオス生物の侵攻事件が起きた。

 そして、中央でついさっき得た情報にも多数のカオス生物の名前を聞くことができた。カーバンクルが語る新たな穴の存在はおそらく事実で、その場所も見当がついてきた。

「なぜ、教団は現代でカオス生物を知って利用できているのでしょうか」

 フェルは疑問を口にした。UG2の終末実験とともに宇宙は滅び、残ったのはこのレキだけのはずだ。

 教団はカオス物質の存在は知っているが、生物のことは知らなかったはず。なのに、最近起きている事件にはどれもカオス生物の存在がある。

『実験に従事していた教団残党は、三女神のおかげで生き延びてレキの民になった。その中には、UG3のはじめに惑星を出た者もいたわ』

 カーバンクルは語った。惑星レキがどのようにして破滅の大波を乗り越えたか知らないが、その直後に惑星を出て旅に出た者もいたようだ。

 しかし、円環の民は敵だった自分たちを救ってくれた三女神に感謝をして教徒になったと聞いた。そういった者たちが裏切って教団に密告したとは思いたくない。

『そうね。去っていった者たちは……私が知る限りだけれど、善良な心を持つ者たちだったわ』

 カーバンクルは言った。出ていった者たちの目的は、いなくなった三女神を探して報告をするためだったらしい。

 レキの位置を知られないように、航路の記憶を消すほどの徹底ぶりだったという。教団に捕まって拷問を受けた時のための備えだったのだろう。

 おそらく本当のことだ。もし教団と通じるために脱出したなら、この惑星はとっくに発見され証拠隠滅のために壊滅させられていた。

「ならば……はじめからカオス生物を知っていた者がいる?」

 フェルは考える。そもそも、外宇宙物質の存在は限られた者しか知らなかったはずなのだ。教団がそれを知っているということは、その限られた誰かから教えてもらった以外にない。

「だとするならUG1時代の古い記録者か、LNの上層部の人間だけよ」

 カーバンクルは言った。それが、カオス生物を知る限られた者であるらしい。

 正規に知り得た人物なら、カオス物質を知っていてカオス生物を知らないということはないはず。だが教団は、都合よくカオス物質の情報だけを持っていた。

「教団は、利用された側なのか……?」

 どうしてか、フェルの頭にはそんな発想が浮かんだ。

 過去の教育によってフェルに染み付いた合理的思考が、この状況にかちりとはまった感触があった。

 その情報提供者は危険な生物の情報を秘密にしたまま、教団を利用して実験をしたのかもしれない。自身は生き延びてUG3にわたり、今も対象を変えて実験を続けているのではないだろうか。

 フェルは、そんなことをしそうな者を知っている気がした。自分とよく似た思考をした人物だ。

 だが思い出せない。ただ、脳裏にうっすらと輪郭が浮かんだだけ。

『……そういえば一人だけ、何を考えてるかわからない子ならいたわ』

 一呼吸おき、カーバンクルは話し始めた。

『私と同じ時期、つまりイザヴェル終焉期の穴から入ってきた強い個体があと一人いるの』

 どこか慎重に、しかし何かを考えている様子でカーバンクルは語り続ける。

『名はアルヘナ。彼女は、他のカオスとは全く違う思想を持っていた。円環の民と行動をともにしていて、悪い子には見えなかった』

 語られた名を聞き、フェルはこれまでの話の中で一番驚いた。

「アルヘナ……?」

 よく知っている名だったからだ。司書の先輩であり、LNを裏切った疑いのある人物である。

「あの人が……カオスだった?」

 信じがたいことだ。あの先輩はどう見ても普通の人間に見えた。

 だが、憑依されたテュールも異変を感じさせることはなかったことを思い出す。カオスの気配はフェルの能力でも察知できない。

 単に同じ名、ということはないだろう。アルヘナは、このレキで何かをしていたからだ。

『彼女はUG3の初期に旅立っていった一人よ。でもそれは、単に三女神に会いたいというのではなかった気がするの』

 カーバンクルは、結論としてそんな意見を述べた。



「フィズは、船団で匿うことにする」

 ヴォルフは言って、落ち着かせたフィズを寝室に戻らせていた。

 証言の必要はない。おそらく無意味だろう。この宇宙で起きている出来事は思ったよりも大規模に進行していて、一人の証言で何か変わるとは思えない。

「……大丈夫ですか? お姉様」

 フェルに声がかけられた。ずっと近くにいたルミだ。

「え、ええ」

 生返事しか返せない。フェルは、ずっと一人の名前を反芻していた。

 アルヘナ。フェルの先輩の司書で、おそらくLN66Wの墜落の原因を作り出した元凶である。

 そのアルヘナは、UG3の初期にこの宇宙に入り込んだカオス生物である可能性がある。

 カーバンクルは、枝の民の地下からずっと宇宙に入り込んだカオスの気配を探っていた。ただ、アルヘナの気配はよくわからないらしい。

 もともと、アルヘナは気配がとらえにくい個体だったそうだ。そのせいもあって、今の居場所は不明だという。

 少なくとも少し前には、アルヘナは惑星レキにいたとフェルは知っている。その足跡は、地下の施設で忽然と消えていた。

 都市生成機械があったと思しき場所、そこに彼女の靴跡があった。その後は煙のように消えていた。フェルの判断では、アルヘナはもうレキにはいない気がする。

 だとすればどこに。何の目的でLNに入り込み、なぜ惑星レキに戻って、そして今は何をしているのだろう。

「グリフォン船団。あまり知らないのですが、安全なのです?」

 考えるフェルをよそに、ルミはヴォルフにそう尋ねていた。

「ああ」

 ヴォルフは簡単に答えた。何の説明もしていない。

「……星商グリフォン船団なら、現在の中央よりはまだ安全でしょう」

 ヴォルフにかわって、フェルが説明した。

 船団は中央法によって干渉を受ける技術レベルを有した、宇宙を航行する超巨大コロニーだ。長く連なる無数の船による宇宙都市である。中央都市とは独立した政治を持っている。

 中央所属の軍、UDFはこういった存在に対する実力による対抗を目的としている。強い存在が未開の惑星の文化を破壊したり住民を弾圧するのを防ぐためだ。船団とのいざこざも過去に例がある。

 ただし、船団は宇宙の文化圏の侵害を目的としていない。ただいくつもの銀河の間の旅を続け、各惑星で手に入るものを取引しながら豊かな生活を目指す集団だ。

 中央では手に入らないような珍しい品が集まるらしい。そして船団は中央法を守っているため、渡航禁止に指定されていない。誰でも旅行に行くことができる。

「そう聞くと野放図な場に聞こえますね……闇取引の温床になりそうです」

 ルミが言う。そう思うのも無理はない。未開惑星で安く資源を略奪する行為や、住人を奴隷として仕入れて売買する違法な仕事がこの宇宙にまだ存在しているのが現実だ。

「船団は三柱の記録者が率いている。大馬鹿ばかりだが、不義を好まない連中だ」

 ヴォルフが口を開いた。

 船団の遵法はかなり徹底していると聞く。フェルは知識として知っているだけだが、宇宙を放浪するA級記録者が三人つるんで生まれたのがグリフォン船団だ。

 最初、フェルが中央より安全といったのはそれが理由だ。記録者の数だけは多いが大半がB級以下の中央都市よりも、実力と気概のある少数の記録者が独自のルールで運営する船団のほうがルールがしっかり守られている。人身売買などは、むしろ中央の方が深刻化している。

 UG2に形成された法によってかろうじて平和を保っているのが現在の中央都市だ。企業連合側で不正を告発する役目を担うルミの前では言えないが、船団よりは中央都市の方が危険である。

「もしかして、船団の管理者とお知り合いですか」

 フェルはヴォルフに聞いてみた。先程の口ぶりではそう聞こえた。

「ああ」

 ヴォルフは答えた。さっきの短い言葉の裏、浅くない関係があるような気がした。

 フィズのことは、翌日にヴォルフの船を出して船団まで送り届けることになった。船が飛び立てばフェルにできることはないものの、港までは護衛することにした。

 港にあるというヴォルフの船は小型クルーザーで、写真を見るとかなりレトロな外見のものだった。プロペラで推進する古い飛行機であるかのような味があり、側面にはヴォルフの雰囲気に似合わないポップな狼のマークが手描きでペイントされている。

 全体に青っぽい色をしていて、全長は三〇メートルくらい。オニキスロッジの三分の一より少し小さいくらいだ。個人の所有船舶としてはよくある大きさである。何度も死地をくぐり抜けていそうな風格があるので、ヴォルフとともにフィズを乗り込ませれば船団まで安全に運んでくれそうだ。

 しかし、想定外の出来事が起きた。

「フィズが消えた」

 翌朝ヴォルフが、開口一番にそう言ったのだ。

 今朝にも船団に脱出する予定だったフィズは姿を消していた。書き置きだけを残し、部屋からいなくなっていた。



(第7話に続く)

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