彼氏が米津玄師かもしれない
この小説作品は、以下に当たる人は気分を害する可能性がとても高いため、読まないことを強くお勧めします。
・米津玄師さんのファン
・米津玄師さんご本人
※
彼氏が米津玄師かもしれない。
彼の名前は米塚健一、ケンちゃん。
違和感を感じたのは、バーで呑みながらだべっていた時のこと。彼の顔は見慣れていたはずが、いつのまにか右目の下あたりに大きなホクロがあった。
「あれ?ケンちゃん、それ……」
私がそのホクロについて聞こうとした時、彼の携帯が鳴った。
普段だったら、私との時間を優先して電話を切ってくれる。なのに、その時の彼は液晶を一目見て顔をこわばらせると、「ちょっとごめん」と席を立ってしまった。
私は一瞬、液晶に映る名前を見た。
「ハヤオ」
女の名前ではないが、ハヤオとは……。
「米塚です。あーっ、宮さん。ええ、はい、大丈夫ですよ。ええ、ええ、そうですね、いやーちょっと、地球儀を買ってはみたんですけど、まだちょっと足りないと言うか、ええ、ええ……」
聞き耳を立てるのは行儀が悪いとは思うが、どうしても気になってしまったのだ。宮さん……?
宮……ハヤオ……?
「ごめん」
彼が戻ってくる。
「いいよ。仕事の人?」
「そうなんだ。いやー、流石に厳しくてね」
「作曲の仕事なんてしてたっけ?」
なんとなくカマをかけてみた。
まさかとは思いつつ。
「え、作曲?」
彼はキョトンとした顔で目を丸くする。どうやら本当に知らないらしい。気のせいだろうか。
「そんなことよりさ、今日俺んち泊まっていくだろ?」
「うん」
彼らしい誘い方だった。もちろん私もそのつもりで来ていた。
※
「まるでこの世界で二人だけみたいだね」
「ふふ、どうしたの?」
「いや。ただ少し夢を見てしまっただけだ」
ロマンチストな彼らしい言葉が、薄暗い部屋にころがる。
私と彼は数度のキスを重ねた後、どちらともなく肌で触れ合い、やがて彼のそれが中へと入ってくる。
荒く上がっていく息の中、彼は何度となく私に睦言を紡ぐ。
「死ぬほど可愛い上目遣いだ」
「ここ弱点?」
「この世に生まれた君が悪いんだよ」
……ん?
なんか変じゃない?
変っていうか、米津玄師じゃない?
米津玄師すぎない?
気が削がれかけた私。しかし、しだいに彼は言葉を紡ぐことすらできないほど興奮していった。
「ああっ、ああっ、ああっ、ああっ、ああっ、ああっ、ああっ」
彼の喘ぎ声。しかし、なんだ?この違和感……。いや、既視感……“既聴感”とでもいうべきか……。
「ああっ、ああっ、ああっ、ああっ、ああっ、ああっ、ああっ、ウフフ」
ウフフ?
ウフフってなに?
なんで今……笑って……?
あっ。
「ああっ、ああっ、ああっ、ああっ、ああっ、ああっ、ああっ」
これアイリスアウトじゃない?
アイリスアウトのイントロじゃない?
「ケンちゃん!ちょっと、ちょっとストップ!」
たまらず私は彼を引き剥がす。
行為の最中に何事かと驚く彼に、私は構わず尋ねる。
「ケンちゃん……なんか、変じゃない?」
「変って何が?」
「なんだか、その……別の人みたいな……感じがして」
「別人って……俺は俺だ。カナのことを愛してる、米塚健一だ」
「……うん」
「ベイビーベイビビアイラブユー」
「いやあ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
間違いない。
彼は米津玄師になろうとしているのだ。
彼は苦しげに頭を抑え、ベッドの上で身を悶え始める。
彼は米津玄師に抗っている。
「ぐああっ、なんだ……っ!脳みその中から……モラリティが……っ!」
「負けないで!ケンちゃん!」
このままでは彼は米津玄師に飲み込まれてしまう。
しかしこうしている間にも彼の髪型はどんどんくるんくるんに丸まっていく。
「カナ……逃げろっ!」
「でも、ケンちゃんは!?」
「俺のことはいい……だから早く、逃げるだけ逃げてレイニー!」
私は彼の叫びに押し出されるように、最低限の服を着て、靴をつっかけて部屋を転がり出た。
マンションの階段を落ちるほどの勢いで降りると、飲酒状態などお構いなしに自分の車に乗り込んだ。
※
とにかく逃げないと。
なんでもいい、どこでもいい。家に帰りたい。
その一心で私はアクセルを踏む。
だから私は忘れていたのだ。
米 津 玄 師 に は ワ ー プ 能 力 が あ る こ と を 。
パラパラッパッパ!
高らかな音が響くと、私の車のヘッドライトが照らす先にいきなり米津玄師が現れた!
思わず急ブレーキを踏む。しかし目の前の米津玄師はまるで慌てるそぶりはない。
それどころか狂気的な笑みを浮かべて髪を振り乱し、そして彼は車の周りで瞬間移動を繰り返す。
米津玄師は私を嘲笑うかのように歌い回ると、ついに――
「邪魔くさくてイラついて迷い込んだにゃんにゃんにゃん」
車の中にワープしてきた!!!!!!!!
「きゃああああああああああああああああ!!!!」
彼の歌声を掻き消すほどに叫ぶ私は、咄嗟にドアに手をかけて外に転がり出る。
「ケンちゃん!もうやめて!ケンちゃんに戻って!」
ほとんど枯れた声で私は叫ぶ。
「……ぐっ!?」
その想いが届いたのか、目の前の米津玄師は頭を抱え、動きが止まる。
「ケンちゃん……私よ、カナ。私のこと、わかる……?」
「ああ……わか、る……!あい、あい……して、る……」
「私も愛してるよケンちゃん!だから、どうか……!」
「愛してるよVivi」
「誰よその女!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
私は車を捨てて走り出した。
もはや自我を失いつつある彼はそれでも私に叫ぶ。
「違うんだ、カナ……!俺は……君だけを……カナ!」
私は振り返らなかった。彼が米津玄師となるのはもう止めようがないとわかっていたから。
だけど――愛する彼が私の名前を最後に叫んだとき、私は……振り返ってしまった。
「カァアアアアアアアアァアアアアアアアアァアアアアアアアアナァアアアアアアアアァアアアアアアアアァアアアアアアアア!!!!!!!!!!!!」
ケンちゃんが!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
けれど私は走り出す。もう振り返らない、足を止めない!だってここから何が起きるかわかっている。
そう。
米津玄師の大群が追いかけてくるからだ!!!!
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」
私は喘ぎ声がアイリスアウトにならないように気をつけながら夜の街を走り続ける。
「なにか……なにか米津玄師にできないことはないの……?」
後方から私めがけて一心不乱に追いかけてくる無数の米津玄師。
「ッ!?」
しかし米津玄師は万能だ。私は夜の街を自分の家に向かって走っていたはずなのに……。
「どうして!?」
私が乗り捨てたはずの車が目の前から現れたのだ!
「こんなことができる米津玄師は一人しかいないッ!」
そう。
さよーならまたいつか!の米津玄師だ!!!!
米津玄師は時空すら操る。
時空系米津玄師は軽快なバイオリンの音ともに現れると、しかし次の瞬間あたりにサイケデリックなテクノの曲に変わる。
米津玄師はゆらりと腕を振る。不思議と周りの空間が波打つと……。
米津玄師が、飛んだ。
「plazmaの米津玄師!?」
米津玄師は空をも飛べる。
陸海空、米津玄師のテリトリーでない場所はもうどこにもないのだ。
それでも、私は再び走り出す。それ以外に何もできない。時空を操られる以上、もう家には帰れない。
※
ふと視界の隅に、誰も住んでいない空き家が見えた。
隠れられるならどこでもいいと私はそこへ飛び込むと、鍵をすぐに閉めた。
しかし米津玄師はあっという間に空き家を取り囲み、私が根負けして出てくるのを待っている。
「夢ならばどれほど良かったでしょう。いまだにあなたのことを夢に見る」
聞こえてくるのはlemon。絶望のえずきが皮肉にも合いの手の「ウェッ」と重なった。
もうダメだ。
この空き家には何もない。せいぜい甘そうなチェリーボンボンや、無理して焼き上げたであろうタルトタタンだ。なんだこの家。
「あの日の悲しみさえ、あの日の苦しみさえ」
家の周りの米津玄師の群れはlemonを歌い続ける。まさに四面楚歌だ。
しかも今はラスサビの手を上下にする踊りで私を誘っている。
このままでは、私も米津玄師に飲み込まれる。
それならば、いっそ――。
そう思い、私はキッチンのナイフを手に取った。
米津玄師に勝てるとは思わない。でも、今この場で私の自由にできるものは……私自身の命しかないのだ。
私はナイフを自らの首に当てる。
思い浮かぶのは、ケンちゃんとの思い出だ。
「ごめんね……」
そして私は、ナイフを引いた。
頸動脈から溢れるのは――。
「ケンちゃん、愛してる……」
※
『――続いてのニュースです。住宅街の空き家で女性が倒れているとの通報を受け、警察が――』
「物騒な事件があるもんだな」
夫の健太はつまみのミックスナッツを食べながらビールを煽る。
「ほんと、すぐ近くじゃない」
息子の健介は大丈夫かしら。そんなことを思いながら夫を見ると、彼の右目の下あたりに大きめの黒子のようなものがあった。
「あなた、それ……」
※
終
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