小野和幸、格差トレードと言われた男が…18勝を挙げ中日リーグ優勝&最多勝を獲得した「”確変”以上」の1年
2026年6月9日 05時45分
球団創設90周年を記念し、優勝に貢献した名選手を取り上げる企画「V この男あり」。1988年、星野仙一監督の下でリーグ優勝を果たした中日を、投の中心として引っ張ったのが18勝(4敗)した小野和幸(63)だった。平野謙とのトレードで加入1年目。移籍当初は“格差トレード”とやゆされた右腕が、星野監督の信頼を得て快進撃した。(文中敬称略)
◆投げる右手に打球直撃した痛みをこらえて完封
1988年4月9日。開幕2戦目・大洋戦(ナゴヤ)の先発に抜てきされた小野の快投から優勝へのストーリーが始まった。1回、屋鋪の強烈なゴロがいきなり右手を直撃。ベンチへ下がって治療を受けても、星野監督が「握手してみろ」と差し出した手を握る右手に力が入らない。それでも続投を志願した。「これが移籍後初登板。1回に交代はできない。家族も来ていたし。確か『点数が入ったら代えていいです』と言いました」
小野は「紫色に腫れ上がった」右手の痛みをこらえ、最後まで「点数」を許さなかった。「たぶん、スピードはがくんと落ちていた。今思うと不思議でならない」。名刺代わりの完封となった。
◆床屋さんで生まれた”ひげの小野”
前年は西武でわずか4勝(11敗)。新天地に懸ける思いが、後にトレードマークとなる口ひげだった。「中日への移籍が決まり、いつもの床屋さんへ行ったら『何かを変えてみたら』と。無精ひげが伸びていて『何かやりそうだぞ』ということで、ここ(口元)だけ残してね」。“ひげの小野”がこうして誕生した。
オフに名古屋でイベントに出演すると、無言の圧力を感じたという。「『平野を出したんだぞ、こっちは』『おまえみたいなのが勝てるのか』とね。会場がずっとざわざわしていました」。トレードに対するファンの疑念は大きかった。それを払拭する意味でも、初登板での完封に価値があった。以降は面白いように勝ち星を重ねていく。
主な持ち球は140キロ前後の速球とスライダー。圧倒的な球威はなく、球種が豊富なわけでもなかったが、制球力と投球術で打者を牛耳った。カウントは3ボール2ストライクになることが多く「フルハウス」の異名をとるほど。それでも「四球が怖いとは思わなかった。あえて3ボールにしている打者もいたくらいです」とボール球もフル活用し、相手の裏をかいていった。
◆中6日で起用し続けた星野監督の後押し
星野監督も活躍を後押しした。中4日、中5日が当たり前の時代に、小野は判で押したように中6日で先発した。「回復が遅いという自分の特徴を分かってくれていた」という。
今も忘れられないシーンがある。伊東昭光(ヤクルト)と最多勝争いを繰り広げていた秋ごろ、星野監督がナゴヤ球場のヤクルトベンチで、相手の関根潤三監督を怒鳴りつけていた。「伊東は抑えで勝っていたから『抑えが勝つなんてやらせだろ』と。ものすごいけんまくだった」。何とか小野にタイトルを取らせたい。鬼の形相から親心が伝わってきた。
シーズン最終盤、小野が投げる日はブルペンからほとんど人が消えた。「絶対に代えなかった。(降板後に)ひっくり返ったら勝ちがつかないだろと。あれは本当にきつかったですね」。ラスト2試合は完投。伊東と並んで最多勝を獲得した。 結果的に、小野が投手陣の中心として活躍できたのはこの年だけだった。「球速を上げようと思って、実際上がったんだけど投球フォームが変わっちゃった。打者には簡単に捉えられるし、四球も増えた」。右肘痛の影響もあり、以降は5シーズンで計6勝。94年にロッテへ移籍し、翌年を最後に現役を退いた。
それでも、88年に放った強烈な輝きが色あせることはない。「人生で一番いい時期。“確変”以上だったでしょ」と小野。今も変わらない口ひげをなでつつ「この方が小さい子どもが寄ってくるんですよ」と笑った。
「森繁和さんに憧れて」西武時代からグラブはずっと青色【お宝拝見】
小野が大切にしているのが中日時代に愛用していたグラブだ。「グラブは西武にいた時からずっと青。(西武で先輩だった)森繁和さんに憧れていて。あの人が青を使っていましたから」。今では少々色あせた「青」には思い入れがある。
グラブは年間2個と決めていた。「ふにゃふにゃになったら嫌。堅すぎても嫌。シーズン3カ月くらいでグラブを変えていた。キャンプで型をつくって、6月くらいまでは最初のグラブ。その期間に2つ目の型をつくって、7月以降に使っていた」。守備にも定評があった現役時代。グラブへのこだわりが支えていた。
金足農からドラフト外で西武入団、87年オフに中日移籍
▼小野和幸(おの・かずゆき)1962年8月19日生まれ、秋田市出身。現役時代は投手。右投げ右打ち。秋田・金足農からドラフト外で81年に西武入り。87年オフに平野謙とのトレードで中日へ移籍し、1年目の88年に18勝で最多勝を獲得してリーグ優勝に貢献。西武との日本シリーズは第1、5戦に先発した。89年は開幕投手。95年にロッテで現役引退。通算成績は151試合の登板で43勝39敗、防御率4・19。引退後はロッテなどでコーチ、四国IL徳島で監督を務めた。
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