私は逆です。
『何で』撃ったのではなく、『どこで』『何を』撃ったのかを問題にしています。
私の亡父はミリオタで、我が家にはモデルガンが残されています。
それでも父は射撃場やサバゲーの施設のようなゾーニングされた場所ではない限り、絶対に人も、人を模したものも撃たないし撃ってはいけないと決めていましたし、私もそう教育を受けました。
屋台でお菓子やおもちゃを撃つのと、プロパガンダで路上で似顔絵を撃つことは絶対に違います。
射的屋さんの仕事を否定はしません。射的の銃だろうとモデルガンだろうと、誰かわかる対象を撃つことその行為そのものが不快だという話です。
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