頼山陽の「対仙酔楼記」に就き

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 頼山陽の「対仙酔楼記」に就き、徳田武は、昨日のブログで「膨大な『頼山陽全書』の内の、

これまた分厚い『頼山陽文集』の目次をすべて検索してみたが、この名は見えなかった。」と書きましたが、それは誤りで、『文集』の文化11年の個所(256頁)に収録されていました。失礼を過去に遡って、編者の木崎好尚に誤まらねばなりません。

折角ですから、これの原文を掲げて、明日以降に、その訓み下しと現代語訳とを掲げましょう。

 

対仙酔楼記      

鞆之詩甲於三備、其所謂対潮楼、所韓客題為日東第一。而津上人家、往々有楼可登。余帰省過備後、鞆人三島怡斎、要余求記其家楼楼在対潮少北、望亦不多譲。蓋鞆之景勝、以仙酔山為主。山容秀麗、望之頽然如天僊酔将眠状。山与津市対、左右各成一湾。舟帆往来、遠近島嶼皆揖遜此山以為趣。而楼正当其面。余因名以対仙酔。主人家業醸、性亦喜飲。齢僅過強、而託家其子。与其歓伴日夕轟飲、不復省塵務。余之来見、楼前醸器雑陳、自其上望山、如迎山而酔之者。予笑謂之曰、僊酔酔子之酒耶。子酔仙酔之色也。子晨起望之、東湾之日、蒸山而昇、如紅玉膚者、山之卯飲也。晩来望之、西湾之霞注入、孱顔色成紫金者、山之暮酔也。至如烟霧空濛、髻乱眉顰、則山之宿酔(原文は醒)未解也。而子亦不能不対之引満焉。則子之酔非徒酔、対僊酔而酔、酔而醒、醒而復酔、擅領秀気、養我天和、与仙酔争寿、酔其有限哉。主人咲曰、是吾願也。又挙一大白、従而浮余。余不甚解飲、亦強為之釂。大酔而書。

 

文化甲戌(十一)冬十月既望、山陽外史頼襄子成撰幷書於鞆津対僊酔楼上山紫水明処

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