東日本大震災直後から職員派遣…陸前高田市への名古屋市の“丸ごと支援” 15年の歩みが2つの市に残したもの
東日本大震災で甚大な被害を受けた岩手県陸前高田市を、名古屋市が行政機能ごと支えた『丸ごと支援』が2026年3月で終了した。のべ262人の職員が現地で直面した教訓や課題を、今後名古屋を襲う災害にどう生かしていくかが問われている。 【動画で見る】東日本大震災直後から職員派遣…陸前高田市への名古屋市の“丸ごと支援” 15年の歩みが2つの市に残したもの
■職員111人が犠牲…15年間続けた陸前高田市への支援
2011年3月23日、名古屋市の職員4人が初めて陸前高田市を訪れ、東日本大震災の惨状を目の当たりにした。それが、『丸ごと支援』として全面的にサポートするキッカケになった。
河村たかし名古屋市長(2011年): 「陸前高田市の皆さんのためですけど、それは必ず名古屋市民の防災のために生かされますので」 全職員の4分の1にあたる111人が犠牲になった陸前高田市。名古屋市は、止まってしまった行政機能を支援するため、職員の派遣を決めた。
被災者支援の窓口対応や病院の復旧など、行政全般のあらゆる現場を、文字通り“丸ごと”支援してきたが、15年が経った2026年3月で終了した。 “被災地の復興はおおむね完了した”と政府が表明したことなども踏まえ、1つの区切りと判断したという。
■「三宅さんの姿を見るだけでほっとした」支援受けた保育園
名古屋市中央療育センターで勤務する、三宅正記(みやけ・まさき)さん。 三宅さんは、震災の2カ月後に陸前高田市に派遣され、被災地の人と協力して保育所の仮設園舎の整備をすすめたり、補助金の支給手続きなどを担当した。
三宅正記さん: 「人と人とのつながりを持てたのはすごく有難かったと思うし、貴重な機会だったと思う。支援の在り方としては、有益じゃないか」 津波に襲われ、大きな被害を受けた竹駒(たけこま)保育園。 当時園長だった村上和加恵(むらかみ・わかえ 68)さんは、三宅さんら名古屋市の丸ごと支援を受け、保育所の復旧を取り組んだ。
しかし、村上さんを始め保育所の職員は全員、自らも被災者。15年たった今、改めて当時の話を聞いた。 村上和加恵さん: 「一緒に働いていた人は、旦那さんが行方知れずで。探しながら保育園の再開をめざしていたので、なかなかうまくいかないし。私1人で再建の準備をしました。一人ぼっちなので、三宅さんが来ることは、姿を見るだけでほっとした。“話せる人がいるんだな、次に進めるんだな”っていうのが分かった」